通りすがりの旅でもお導きということがある。
国王神社(茨城県坂東市)という凄い名前が気になって参ると、東京に首塚が残る平将門公が祀ってあった。新皇を名乗って国家を傾けようとしたけれど最期は非業に死を遂げたものの、地元では義によって起ったとして神に祭られている。すぐ心服していたら、みちのく潮風トレイルの南端コースの一つの拠点である相馬中村神社(福島県相馬市)に寄ると、大名家・相馬氏の祖先が平将門ということで境内に国王社が祭ってあって、奇縁を感じた。
また、安達太良山に登ったあと車を走らせていると、霊山神社(福島県伊達市)の標識が目に入ったので寄ってみた。建武の親政に功のあった北畠親房、顕家父子を祭る気合いの入った神社の、例大祭の日であって得をした気分になった。宮城県では芭蕉も感嘆した多賀城碑と、多賀城跡は必見で、広大な発掘跡などを歩いていると、観光案内の目に入りにくい多賀城神社にぶつかった。ここは足利尊氏勢に攻められて霊山地域に撤退する前の北畠顕家らの拠点だったところで、昭和になって顕彰するために創建されたそうだけれど、何か吸い寄せられた感じがする。
塩釜に来れば寿司だけれど、そう罰当たりなことばかり言っていられず、陸奥国一宮の鹽竈神社を素通りできない。ナビに連れられ海側から入ると、まず志波彦神社、並らびに鹽竈神社だった。志波彦で外国人カップルが結婚式を挙げていたり地元では人気なのだと思いながら、鹽竈に重点を置いてお詣りした。塩竃には急峻な階段の表参道があって、下りて数えると130段だった。雨に濡れていたわけでもないのに、ここで滑って転んで大きく尻餅をついて笑われた。あとで聞くと、志波彦の方が社格が高く、軽く見た罰が当たったのかもしれない。
鳴子温泉浴の拠点として大崎市街に泊まった。すると、市内に志波姫神社を発見したのも、お導きだと思う。彦と姫、志波繋がりで何だろうと、地元の人に聞くと、志波姫神社は天照大神が岩戸隠れした際に、前で裸踊りをして天照が何だろうと覗いた隙に天手力男命(アメノタヂカラオノミコト)に大岩をこじ開けさせたという天鈿女命(アメノウズメノミコト)を祭っているのだという。
アメノウズメは天孫降臨のトップバッター瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が天下った時にサポーターとして付いて来た天つ神。そこで迎えた国つ神の猿田彦大神(サルタヒコノオオカミ)が宮崎県の高千穂がいいよと先導した。その猿田彦を志波彦神社で祭っていると説明してくれた。もっとも、志波姫神社は近隣市にもあり、祭神は木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)とするなど諸説あり、日本書紀の「一書によると」の感じかもしれない。
しかし、親切なのは大崎市の志波姫神社である。天照大神を闇から引っ張り出して功績があるのは天鈿女ばかりでなく、手力男が怪力を出したからだとリスペクトを示して、志波姫神社の境内に天手力男命の石碑も祭っている。この神様は怪力が看板なので、野見宿禰より先輩の相撲の神様にもされる。
ところで大崎市周辺は元々の米の本場である。ササニシキ、ひとめぼれなどの品種改良がされる以前の、江戸時代でも当地の米は本石米として江戸市場で高く売れた実績を持つ。美味いコメをいっぱい食べて体を頑健にすれば相撲に強くなるということで、史上最強の横綱白鵬に大崎市の観光大使を委嘱している。そのつながりで、同境内の天手力男命の石碑も白鵬の揮毫を使っている。境内にはまた近隣の力自慢による相撲大会をするための立派な土俵が設けられている。郷土力士としては序二段に『謙豊』三男がいる。
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