ザ・マイケルブログ!

Hello、皆さん、陰謀論者リチャードコシミズの無害化に成功したので、現在は司法の闇と闘ってます。応援よろしくです!

💎 2024年9月 マイケル 癌になる ――。

2024-11-17 22:47:05 | 🍄 マイコー日記

 10月中旬 リハビリのため町田市街をウォーキングする俺


 なんちゅうか、TVドラマとかで幼少期から何十回となく見てきたあのシチュエーションに落ちちゃいました ――― うん、あの癌ってやつに。
 ずーっと自分外の他人事と決めこんでいたんだけどね、あらら、いよいよ自分の番がまわってきたのかよ、って。
 2024年の9月20日のこと。
 血尿は1年前の7月から既にあって、そのときには病院に行って検査したりもしたんだけど、なーんの異常もなかった。
 今度は半年後にきてくださいね、とかいわれていたけど、俺はもともと病院が嫌いなひとなんで、体調がいいことにかまけて、まる1年間ずぼらに放っぽらかしにしてたわけ。
 したら今年の9月始め、突然、血尿がでた。
 それも、病院関係職の俺がビビるほどの、濃縮した真紅すぎの鮮血としかいえないものが。
 おろろ。真っ赤すぎるじゃんか、こりゃあ・・・。
 こらヤバイんじゃないかとさすがに20日に病院にいくと、なんでもっと早く来なかったんですか! とドクターに怒鳴られた。

―――― ここ、見てください。右の腎臓が腫瘍でふくらんでるでしょう? これ、たぶん90%の確率で癌だと思います。腎臓の癌というのは、膀胱なんかのそれとちがって、20分の1の発生率という珍しいものなんですけどね・・・。

 という若いドクターの診断を、俺はへえーって聴いていた。
 全然ドラマチックじゃないの ――― 聴きながら俺はこういう宣告話をするときに、ドクターって人種がどんな仮面をつけるのかっていうほうに興味があって、自分の癌のCT画像よりむしろそっちに気を
取られてた。
 その診察室のドア越しすぐのところを、珍しく年少の女の子が何かごねながら通っていくのがちょうど聴こえて、ああ、あの子なにごねてんのかな? ずいぶんと幼い感じだけど病気なのか? 可哀想だな、なんて他所事のほうに心のズームが向かうくらい、俺は醒めてた。

 もともと俺は生きることへの執着というのがあまりない人間なんだ。
 もちろん俺だって生きることは皆とおんなじくらい好きですよ。
 選り抜きのダチと遊ぶこと、食べること、喋ること、動くこと、旅行すること、議論すること、ダベって笑いあったりすること ――― なんてみんな超好きだし ――― 恋すること、グルメに料理、あと素晴らしい音楽、映画、文学、歴史、あと絵なんかに触れるのも大好き。
 ただね、そういった楽しみっていうのが真夏の彩光下のものであって、人生が真夏だけの要素でできてるもんじゃないってことを、意識下で体感してるみたいなところが昔っからあった。
 
 だから、癌と聴いて、おお、今度はでっかい衣替えだなと、そんな風に俺は思ったんだ。

 9月30日に入院して10月1日に手術。
 発見から最短の日取りを選んだ。右腎臓と尿管の摘出。オペには5時間かかったそうだ。
 ICUに4日いて、最初の48時間は水も飲めない完全絶食。
 これは応えた。イスラムのラマダンなら夜になれば飲食はできるんだけど、病院じゃそうもいかないからね。
 ICU2日目にはじめて朝食が喰えるようになったんだけど、ベッド柵に橋渡しした簡易テーブルにむかって、ちゃんとした座位がつくれない。
 身体が起こせない、痛くて、伸ばした足と胴体を90度にできないんだ。
 なんとか自動ベッドを動かして強制的に座位をつくったんだけど、足と胴の角度はせいぜい70度程度が限界、両手をぐーっと伸ばして、遠いテーブルからトーストをやっと取って、シーツにマーガリンをこぼさぬようにセコセコ気を使いながら、のけぞり体勢で食事するのは、久々の食事だという喜びはあったものの、全体的にやっぱ侘しかった。

 しかも、病院食って量がないのよ。
 48時間ぶりの朝食は、パン1枚と、小さな牛乳パックと、薄味ちょこっとの野菜サラダと、漬物とお茶だけ。
 口腔内も元気時とちがってカサついて噛むたびに違和感があるし、身体が喜んでるって手応えもまっすぐ感知できない。
 3分でガツ喰いし終えた直後に腹が鳴って、ちくしょう、ひとり歩行できるようになったら絶対ここを脱走して、印度カレー屋にカレー喰いにいったる! と誓いを立てた。



 ICUに4日間いて、5日からやっと大部屋に戻れた。
 リハのおかげでゆっくり歩きならどうにかできるようになったけど、邪魔な尿バルーンをぶら下げながら歩かなきゃいけないし、廊下を渡ってすぐのところにある洗面台までいくのも最初は一苦労だった。
 けど、回復のため、なるたけむりしても歩くことにした。
 あと、鎮痛剤もできるだけ使わないようにした。痛みで眠れなくて鎮痛剤頼んだのは2回だけだ。
 寝ること、歩くこと、喰うことを至上原理にしてなんやかんややっているうち、手術痕の癒着防止用のドレーンも3本とも抜け、入院後1週目の10月6日、最大の枷だった尿バルーンがようやく尿道から外されることになった。
 
 嬉しかったね、これでやっと両手をフリーにしで歩けるわけだから。
 術語、初めて病院ロビーまでよたよたと上がって、玄関からちょっと出てみた。
 日差しがスゲー眩しかった。
 
 翌7日の昼食後、リハなどのスケジュールが空いてるのを確認して、初めての脱走敢行。
 上だけ私服に着替えて、何気ない顔つくって、巾着袋だけ右肩にひょいと下げて、忙しげなNS、Dr、職員、OSの合間を縫って、病院の門外にはじめて出た。
 病院から150mほど先の公園までいって、缶コーヒーのブラックを飲む。
 あかねさんに電話して入院状況なんかをちょっと話す。
 おお、俺なら元気だよ。今さ、念願の脱走中 ――― とかガキかよ(笑)
 足取りはまだ全然不確かなんだけど、娑婆の風は極上だった。

 翌日の8日の昼食には焼そばが出た。おお! とか思ったんだけど、なんと1分で完食。しかも、完食直後にまた壮大に腹が鳴った。
 いかん、もっと喰わんと死ぬ、と思い再び娑婆へ ――― 誓いの印度カレー屋までトコトコと地味に歩き、極辛マトンカレーのライス大盛りを5分で完食した。
 あれ、死ぬほど旨かったな ―――。




 10月9日になって待望の退院 ――― 妹夫婦が病院にクルマで迎えにきてくれ、一路町田へ。
 退院後の10日あまりを妹夫婦のところでリハしながら過ごした。
 寝る・喰う・歩くの三位一体を自分の掟にして、1日最低10km歩くことを目標にした。
 最初は退院したら自分のマンションにまっすぐ帰ろうと思っていたんだけど、妹が強硬にに反対したために、珍しくその意に従ったんだよね。
 あとになってその選択は正しかったことが分かった。
 調理に掃除に洗濯なんかの諸々の家事って、アレ、体力ないときには意外と消耗するんだよ。
 1日10kmウォークのノルマも、家事とかに気を取られてたら、そっちで消耗して、たぶん達成はできなかったんじゃないかな。
 その意味で妹夫婦には本当に感謝してる。
 センキュー、〇子と〇一さん ―――!

 10月12日、後輩のヤンキー娘のマブダチ・ドッシーが町田まで見舞いにきてくれる。
 病院にもきたがっていたんだけど、俺の病院は感染症予防が徹底してて、予定と許可のない見舞いは家族といえども禁止されてたんだよ。
 久々に話しまくり、歩きまくり、めっちゃ笑ったんで ――― たぶん10km以上は確実に歩いたと思う。
 サンキューなーっ、ドッシー ―――!
 礼いって夕刻にドッシーを駅まで見送ったら、帰り路には足腰がガタガタになってた(笑)



 
 10月後半、町田リハを開始して10日くらい経ったころかな、今度はあかねさんがわざわざ町田まできてくれた。
 こらもう大歓迎ですよ!!
 あかねさんと俺って、なんというか逢うたびやたら歩くんですよ。
 1日20kmなんて当たり前 ――― 記録では1日で42km歩いたことなんかもある。
 最初はあかねさんも術後の俺の回復ぶりを心配して、あまり歩かせないように気遣ってくれてたんだけど、話盛りあがって笑いまくってたら、人間ってそんなこと忘れがちになっちゃうもんじゃん?
 横浜そごうからシーバスに乗って、なんやかんや船上で喋りまくって山下公園に着いたときには、なんか俺のほうが結構バテてて、氷川丸のすぐのところでちょうど湾岸掃除してる作業服姿のひとりのおじさんの麦藁帽が、たまたま風にスパーっと飛ばされたのを見て、それをキャッチしてあげようと反射的にタタタッって横走りしたら、その急な動きにまだ塞がってない腹部の手術疵が耐えきれず、麦藁帽を手にしたまま俺は横にステーンとコケちゃった。

 あかねさんが「 きゃっ!」なんていって、おじさんもびっくりして ―――
 いや~ 怪我もなんもなかったんだけど、あのときは驚かせて御免ねえ、2人とも、なんか!!
 
 といったような感じで、俺の癌手術の予後は順調です。
 幸い、転移の兆候なんかもいまのところない。
 ま、この先どうなるかは分からないけど、体力もそこそこついてきて仕事にもなんとか復帰できたし、PCにむかえるようにもなってきたので、このまま粛々と回復の娑婆道を歩いていきたいものだなあ! なあんて今静かに思ってる。

 都合がよすぎる?
 うーむ、そうかもね。
 ただ、俺は、人間っていうのは、最後まで自分を自分にとって都合のいい物語の中枢に置きつづけたい生き物だと思う。
 俺もそうしたい。生と死は俺がそれまで思っていたみたいにきっちしした境界線なんか全然もってなくて、どっちともほとんど重なりあいながら存在しているんだなあ ――― ということが、今回のことでよく
分かった。

 でっかい楡の下の木漏日の路を歩くとき、散歩者のうえには眩しい光のかけらも枝葉の影も同時に、なんの配慮もなしに降ってくる。
 俺等は、自分じゃどうあってもそれらの日影群をコントロールすることはできない。
 俺等にできるのは、そんな複雑で不条理な陰影模様の道を、できる限り自分なりの歩方でしっかりと歩くだけだ。 
 だったら、なにが起ころうとも、しみったれた闇模様より光のかけらの眩しさのほうを瞼に感じて、この不思議なアラベスク文様の小路を、ビビらず、自然体で、ときどき近くの木立を歩いてる散歩者仲間と視線を交わしたりしながら、できることなら笑って、うん、歩いていきたいもんだよねえ・・・。

 今回の超・個人的な記事( というよりこれは絵葉書かな?) は以上です ――― お休みなさい。

 

 


 














💎 袴田冤罪事件はただの事件じゃない、これは『 袴田革命 』なんだ!

2024-11-04 23:37:04 | 袴田冤罪事件再審 畝本直美検事総長 石川健太郎 石垣陽介

 

 1966年の6月30日( S41年 )、静岡県清水市の味噌製造会社専務一家4人を殺害したとして、強盗殺人犯として死刑が確定していた袴田巌( 当時30才 )の再審( やり直し裁判 )で、2024年の9月26日、静岡地裁の國井恒志( くにこうし )裁判長は、検察の捜査には3つの証拠の捏造があり、袴田さんが「 犯人であるとは認められない 」として、これに無罪をいい渡した。

 なんと、事件発生から58年も経てからの無罪確定だ!
 無実の罪で捕われた男が、長すぎる不当拘留の末、念願の自由をとうとう勝ちとった。
 まるでレ・ミゼラブルの主人公ジャン・ヴァルジャンさながらだ。
 これ以上ドラマチックな生涯ってあるもんじゃない。
 おかげでこの袴田事件は、ギネスブックにも「 世界一長い期間拘留された死刑囚 」として紹介され、BBCをはじめとする海外の報道機関からも次々と注目を集め、いまや狭い島国 JAPAN の矩を越えた< 世界的な事件 >として認知されつつある。

 けれども ――!? 


 と、ここで僕はどうしてもこの耳ざわりな疑問符を挟まないわけにはいかない。
 なんとしても僕は「 わあ、袴田さん、無実になって本当によかったね。司法とか検察とかにも色々間違いがあって、時間もかかりすぎたりもして、袴田さんもさぞ大変だったんだろうけど、これで正義はちゃんと実行されるってことは実証されたわけだし 」という一派とは合流できないのだ。

 彼等一派は、この袴田さんの無罪判決を、ハッピーエンドで終わった事件として認識している。あるいは、させようとしている。
 すでに終わった事件、いろいろと問題はあったが過去に流れていく歴史のひとコマとして記帳されていく事件、事件そのものは悲劇だったといえようが、全体としては未来への教訓を残してくれた事件 ――― として。

 現代ニッポンの大多数はこちらの派閥だ。
 大マスコミ各社も、NHKも、ネットを統制するアルゴリズムも、表の媒体はすべてこっちの系列だ。
 TVのヴァラエティ番組は、どれもこれも大本営発表そのままの、上意から下された袴田冤罪事件の「 上っツラのあらすじ 」しか取りあげない。
 判りにくい法律用語を日常語に翻訳する手間なんてかけたら視聴率が落ちてしまう、とでも思っているのだろうか?
 検察や司法や警察の不手際がこれほどまでに悲惨な冤罪事件を招いてしまったというのに、どの局もその責任の所在を追おうとはしない。
 さすがは「 報道の自由度ランキングが世界第70位 ( 2024年 )」のニッポンだわ(笑)
 トラブルを招きそうなネタ報道はなるたけ短時間に切りつめて ―――
 事件の奥底が見透かされないように、ピントはめいっぱい甘く、ソフトフォーカスバリバリの輪郭しか見えないような濃霧画面で ―――

—――― ま、ま、皆さん、無難に無難に・・・お上の機嫌をそこねないよう・・・瓦版の内容はなるたけ尖らないようにいきましょうや、ってか?

 そうやって現代社会機構のネガ部分の象徴であるかのようなこの袴田冤罪事件を、誰もがしゃかりきになって「 過ぎ去った過去事件 」の鋳型のなかにむりくり押しこめようとしてる・・・。


 だからこそ僕はあえていう。
 いやいや、これは過去形でもないし、すでに終わった事件でもないんだよ、と。
 というよりこれは革命なんだ ――― 終わった事件どころか、これからの混乱のほんの序章でしかないんだ ―――ちょうど 仏蘭西革命において初端を飾ったあのバスチーユ監獄襲撃事件のように。

 袴田冤罪事件の今回の無罪確定はね、いいかい、現在進行形の革命なんだ ――― 僕は個人的にこれを「 袴田革命 」と呼んでいる。

 
 

 静岡地裁の國井恒志裁判長の袴田再審での判決は、司法史上初といっていいほど画期的なものだった。
 検察の押印機関ともいわれ、ときには下部機構とまで陰口を叩かれていた司法が、こともあろうに検察の捜査に 組織的な捏造があるとまで断定したのだ。
 それも3つ ――― ひとつ目は袴田さんの本人自白の調書。
 この連日休みなく行われた、過酷な拷問のような連日の取り調べにより引きだした袴田さんの自白を、國井恒志裁判長は「 黙秘権を侵害し、非人道的なもので獲得された虚偽のもの 実質的な捏造であると問答無用の強行姿勢でまずはバッサリと切り捨てておいて、


 2つ目の重大争点 ――― 袴田さん逮捕後1年目に現場味噌工場の味噌タンクから発見(❓)された袴田さんのズボンとされるもの ( この衣装は、発見後のカラー写真では、血痕に鮮やかな赤色が残っていた )についても、「 1年以上味噌漬けされた場合に血痕に赤みが残るとは認められない 」として、この衣類投入は、捜査機関による捏造( 注:捜査のでっち上げ )であると國井裁判長ははっきりと再確認をするがごとく認定し、


 3つ目の重大争点 ――― これは事件当時袴田さんが履いていたとされる()ズボンの共布( ハギレ )に対する云々。
 これはズボンの裾上げのときに 余った裾をカットした布にことをいうんだけど、それが袴田さん宅の箪笥の中から発見された、と検察はこれまで半世紀あまり主張しつづけてきたわけよ。
 静岡地裁の國井裁判長はこうした3つ目の検察主張も返す刀でぐわんと退けて、これら3つの争点とも、すべて袴田さんを事件の犯人としてでっち上げるために検察が行った「 捏造 」である、と判決のなかで声高に断定したんだ。




 うひゃ~っ、びっくり! ――― こんなハードボイルドな啖呵が検察に対して投げられたのって、たぶん史上初なんじゃないかなあ?
 どっからどう見ても明らかに喧嘩売ってるよ。
 より正確にいうなら、真っ正面から検察相手に戦争を仕掛けているとでもいうのかな?

 僕的には、これ、むちゃくちゃに痺れたな。
 むろん司法を自らの下部機関みたいに見做していた検察サイドからすると、こんな司法の態度はほとんど侮辱みたいに映ったことだろう。

 実際、そのとき検察のトップに座ったばかりの、★ 女性初の検事総長・畝本直美 ★ の会見での動揺ぶりったらなかった。

 

 

—――― 加えて、本判決は、消失するはずの赤みが残っていたということは、「 5点の衣類 」が捜査機関のねつ造であると断定した上、検察官もそれを承知で関与していたことを示唆していますが、何ら具体的な証拠や根拠が示されていません。それどころか、理由中で判示された事実には、客観的に明らかな時系列や証拠関係に矛盾する内容も含まれている上、推論の過程には、論理的・経験則に反する部分が多々あり、本判決が「 5点の衣類 」を捜査機関のねつ造と断じたことには強い不満を抱かざるを得ません・・・。( 2014.10.8 畝本直美検事総長 談 )


 え~と、以上がいま現在の検察TOPの談話なんだけど、歯切れがわるいこと夥しいと思わんかね、諸君?
 畝本直美の直美っていったら、「 まっすぐ美しく 」っていうのが本来の意味なんじゃないの?
 けれども、この直美ちゃんの談話には、そういった潔さが微塵もないよ。
 ひろゆきさんじゃないけど、はあ、それってあなたの意見じゃないの? って意地悪なツッコミを思わず入れたくなるくらい。
 しかも、この談話の次展開では、直美ちゃん、なんと検察としての控訴を断念する旨を述べているんだよ。
 
 ① どうゆうことよ ――― 静岡地裁の再審判決が呑めないんなら、こんな怨みごとめいたことなどいわないで、とっとと控訴すりゃあよかったじゃん?

 ② 呑むんだったら、こんなみっともない怨みごとなんて漏らさずに、これ以上は控訴しない旨をはっきりといって、自分ら組織の過去の過ちについての反省点を述べ、これからの改善策についての抱負とかを口にすればいいんだよ。

 控訴する・しないの選択肢は、本来、上記の2択しかない。
 だけれど、梅本直美検事総長の選択は、そのうちのどちらでもなかった。
 もちろんあなたの立場が、実力で勝ち取った「 てっぺん 」だなんて僕は思っちゃいないよ。
 あなたはたぶん検察組織全部のために立てられた、ただの人柱だ。
 これまでの検察の不手際の歴史の責任精算をほんのちょっとだけでも遅らせて、今後も多く浴びせられるであろう轟々たる批難を受けるためにあえて検察前面に掲げられた、弾よけのための可哀想な生贄だ。
 
 超・中途半端! 本音をいわせてもらえば、めちゃ恰好わるいしダサすぎだ、と思う。

 こんな無責任談話でくくられたんじゃ、袴田事件で殺された味噌工場の専務一家の4人も、半世紀も独房で暮らさざるを得なかった袴田さんの苦悶の青春も、まったく浮かばれないよ。

 案の上、この畝本直美検事総長の談話が発表されるやいなや、とんでもない検察の不祥事が次々と、まろび出るようにポコポコと世に出てきた ―――。



 

 これ知って、僕は思わず絶句したよ。
 彼、自分が検事正になった祝いの席で、部下の女検事を飲ませてベロベロにして、正体のない彼女をタクシーに乗っけて宿舎まで運び ――― 検事用のオンボロの宿舎に運んだっていうのが、なんかいじましくて泣ける(笑)――― 死体みたいなその女検事を暴行したらしい。
 しかも、そのときのセリフがいい ――― 「 これで、お前も俺の女だ!」( 実際にはこういったらしい。紹介記事は短縮版 )
 うはっ、おみゃーは昭和日活映画の悪役スターか!?
 時代ズレもここまでくると凄まじいや。

 2024.6.25.被害女性( 部下の検事であったという )の訴えにより逮捕。
 北川による性的暴行が行われたのは2018年の9月12~13日。
 事件後、北川は事件の発覚を恐れ、被害女性に「 自分の時効まで飯をおごるからいわないでくれ 」
 「 俺はもうじき辞めるけど、俺が辞めたら訴えないか?」などといい続けていたという。
 円満退官まであと3年という2019年11月、突如依願退官して弁護士登録。
 2024年、被害女性はPTSDになり、苦しみ続けた末、とうとう被害を検察幹部に報告 ――― という流れだったようだ・・・。

 
 北川健太郎元検事正単体だけでもこれだけ凄まじいとというのに、検察にはまだそういった人材があまたいるんだよ。
 まさに人材の宝庫! ちげえねえ!(笑)
 うん、これは不謹慎すぎる黒ギャグだな。そこいらへんは分かってる。
 けど、こうしたギャグでも飛ばさなきゃこの先へは進めない、みたいなところが、この「 検察&司法 」の事件のなかには確実にある。
 イメージ的には沼だよね。村外れにある人があまり訪れない古い沼から、夕立ちのあとに突然、狸の腐乱死体なんかが打ち上げられた感じ。
 その種の事件の続編をば、じゃ、いきましょうか ――― 





  これ、無実の罪で248日拘留されたプレサンスコーポレーションの元社長・山岸忍さんが、なんとか無罪を獲得したあと、「 違法な取り調べで冤罪がつくられた 」として国に損害賠償訴訟を提訴した事件関連なんだけど、山岸さん側の原告サイドが取り調べの違法性を検証するために「 取り調べの録音・録画を提出せよ 」と国側に訴え、大阪地裁も2023年の9月にこれを認め「 4日間・およそ18時間 」の提出を求めたんだ。

 けれども国サイドは即時抗告。
 そして、これを2審で受けた大阪高裁のどんでん返しがいいや。
 プレサンスコーポレーションの主張を肯って、「 実際にPCの取り調べをした検察の録音・録画を、4日間・18時間分を提出せよ 」という大阪地裁の判決を、2024年の1月、大阪高裁の判決は「 1日・48分の提出ならば認める 」 との超・大幅大幅短縮版! として修正してきたわけさ。
 笑いを取るためにやってんのかと思うほどの、この見え見えのドタバタ大回転(笑)
 なんてド派手な隠蔽メリーゴーランドなんだ、これは!
 取り調べを全部公開されたら、検察の立場がなくなる、と忖度したんだろうね。
 このへんだけでも、検察と司法とのブラックなタッグ心理が読めてきそうなもんじゃないか。
 
 普段だったら、これで事件はまたしても藪のなかってことになる。
 1日48分の動画公開なら、検察は取り調べのヤバイ部分をいくらでもカットできるし、恣意的に模範的な、暴力的でない取り調べ画像を見せて、ねっ、うちではヤクザチックな取り調べなんてちっともやっちゃいないでしょ? と開きなおることもできる。

 恐らくこのとき、検察サイドはほっと胸を撫でおろしたりしたんだろうな。
 でも、安心するのは早かった ――― 2024年10月17日、最高裁のいきなしの英断決定で、この大阪高裁の決定は棄却され、検察は新たに17時間50分の取り調べ映像を公開せねばならない! という最悪状況に追いこまれることになったんだ。

 さらにはこの事件を担当していた調べていた特捜部の 田淵大輔検事 は、山岸元社長の部下を罵倒したり、机を叩いたり、弁解を遮って大声で15分以上怒鳴りつづけたりの違法な取り調べを行ったということで、 特別公務員暴行凌辱 の容疑で刑事裁判にかけられることが正式に決定した


 まったく笑えない話だ ――― 警察官や裁判官じゃなくて、現役検事が刑事裁判の被告になるのは、これが初めてだそうだ。
 うん、泣きたくなるほど情けない話だよ。
 ねえ、そう思わない? ――― 検察TOPの 畝本直美検事総長~!?

 検察篇のラストに、この畝本直美がまだ検事総長に就任する以前、まだ東京高等検察庁検事長でいた時代に投稿されたキノシタ薬品というひとのあるXを、ここに提示しておきたい。
 嫌だよ~、これは。秀逸だけど嫌なんだよなあ~ ――― 日本の権力構造が、なんかかつての藤原氏支配じみてきているというかね ――― 藤原氏は皇室と姻戚関係を結ぶことで、だんだんと権力の中枢に伸しあがっていったんだけどね、それと似たいびつな匂いを僕は感じるよ。

 権力好きな虫たちが夜行灯の光に集まってきて、靄みたいにむりむりとでっかくなっていくあの感じ・・・そのへんをピンポイントで突いてやって ――― GO、キノシタ薬品さん!





 と ――― ここまで僕は「 検察vs司法 」という検察が悪玉で司法がヒーローみたいな、わりかし単純な二元論的な話の流れのなかを漕いできたんだけど、ここからは検察のみが悪玉だという一方的な流れは止まります。
 もともと袴田冤罪事件にしても検察の片輪走行のみじゃダメなのは当然なんであって、検察の捜査結果を司法が肯ったからこそ、世界に冠たるあの袴田冤罪事件が成立できたわけなんだし。
 そのへんの事情は、袴田さんに死刑判決を下した多くの関係者が、みんな、つい最近まで叙勲の勲章を貰いつづけていたことからもよ~く分かる・・・。

 法務省では毎年正月の3日の朝になると、官僚のお偉いさんたちが正装して、みんなしてバスに乗りこんで、堀向こうの皇居へ出かけていくんだよ。
 皇居内で慰労会みたいな会が催されて、それには陛下も参列されて、みなさんその席で談笑するんだってさ。
 僕は何度かそのバスを見送ったことがあり、そのたびに、ああ、ニッポンの上級国民の夢っていうのはこういうかたちをしてるのかあ、と呻ったもんだ。
 
 ま、どんな夢を見ようが個人の勝手なんだけどね ――― そうした個々人のエゴな夢を維持するために、袴田さんみたいな市井の無罪のひとを拘置所に何十年も押しこめておいていいってことにはならないよ。
 個々の栄華のために、国体の一部である検察、あるいは司法の権威とか面子やらのために、あるいは日本の警察が世界的にも屈指の優秀さを持ち、起訴有罪率が99%にもなるという神話のために、不法な起訴やいい加減な審理をしていい、ってことには絶対ならない!

 検察だってもともと優秀なひとが集まっているんだろうし、司法にしてもそれは同様だろう。
 だけど、その初心を忘れて、自分の代にそうした疑惑事件の再審を認めたりしたら、同期や近い先輩後輩の居心地のいい今の環境を結果としてぶち壊してしまうことになりかねない。

—――― だからさあ、〇〇ちゃん、頼むからそっち系のヤバイ闇案件は、なっ、俺らが退官したあとでやってくれよぅ・・・。

 めんどくておっかない、手をつけたら障りがありそうな公の正義より、自分らの生活まわりの小さな平和だけ実践していこうぜ、ってか。

 そういった個々人の無責任と面倒事を後まわしにしつづけてきた大きなツケが、袴田事件プレサンスコーポレーション事件の、あるいは大川原加工機の事件の、それぞれの冤罪に対する因縁の再審花を咲かせたんだ、と僕は思う。

 ついこないだの10.28にも、こうした 因業の新花 が2つひらいた。

【福井女子中学生殺害事件】再審開始決定 供述は「捜査機関による不当な働き掛け」で作り出された疑い | 文春オンライン (bunshun.jp)

【飯塚事件】福岡高裁が証拠品リスト・捜査報告書の開示を検察に勧告 弁護団「裁判所が大きく踏み出した」(FBS福岡放送) - Yahoo!ニュース


 ま、人情として自らの既得権を守りたがる検察の立場も分からないじゃないけど、ここまでくるともうこれはドタバタコメディですわ。
 けど、いまさっきもいったけど、これは検察のみの崩壊じゃない、検察の起訴を司法が認めないことには、そもそもの冤罪自体が成り立たないわけなんだから。
 つまりは双方いけないってことですよ ――― どちらもダメダメさん ――― ということでなるたけ公平に ――― じゃ、次、今度は、司法のほうを落とそうね ――― トップバッターはこのひと!


 


 ねえ、皆さんも呆れたでしょう、これは?
 なんか普通じゃ考えられない事件だもんね。だって、こんなことしたら、そらバレるに決まってるじゃないの?
 司法の皆さんも「 はあ?」と泡食ってると思うな、これだきゃあ・・・。
 ちなみにこの裁判官さんの名は、佐〇〇一郎 というらしい。
 これはもう弁解の余地ないでしょう ――― ま、これほどまでのことがバレても、裁判官っていうのは捕まる率は低いらしいんだけどね。

 そして、あともう一人は、そう、あの人です ――― いま現在仙台高裁民事1部にいらっしゃる、僕らのアイドル、あの 石垣陽介裁判官( 43期 )!!







 僕とあかねさんとのタッグと、かの 石垣陽介( 43期 )との悪縁は、R元年にまで遡る。
 当時の僕は、平成の時分に東京地裁に300人近くの傍聴人を集めて騒動を起こした、ある陰謀論カルト団体と対立関係にあり、その某カルト団体の信者連から厄介極まる「 全国同時多発集団訴訟 」という嫌がらせ攻撃を受けて、ほとほとまいっていた。
 当時の僕は法律なんてものに興味の欠片ももっていなかったし、「 法学 」とか「 判例 」とか「 審判 」とかいう単語を聴いただけで、むしろ生理的嫌悪感がこみ上げてくるような口だった。
 法的知識に関して疎い、というより無知であったそんな僕を、そのカルト組織の党主を批判したから、という名目で、全国津々浦々の彼の信者たちが、その党首のいうまま、憎っくき仇と目された僕に対して、嫌がらせ目的の「 スラップ訴訟 」を同時に複数で仕掛けてきたのだ。

 前橋地裁から、東京地裁から、さいたま地裁から、新潟簡裁から、もう一つさいたま地裁から、さらには再び前橋地裁から ――― 。
 ひとつの民事裁判が決着するには、だいたい1年はかかる。
 控訴、反訴、別訴等なども勘定に入れると、その手間は結構膨大だ。
 反訴や別訴の件で、僕は横浜地裁や大阪地裁などにも行った。
 弁護士をつければ手間暇の大部分は凌げるのだが、当時の僕には金がなかった。
 訴訟攻撃だけでなく、彼等カルトは僕の個人情報も握っていたので、携帯にかかってくる嫌がらせ電話も、また、嫌がらせメールの数も膨大だった。
 脅迫や殺害予告はいくつも受けたし、1日に受ける誹謗メールも優に2000件をこえていた。

―――― マイケル、そんなのいちいち馬鹿正直に受けるこたぁないんだよ・・・放っとけよ、そんなの・・・どうせ民事だし、大したことにはならねぇよ・・・。
 
 と知り合いの社長からいわれたんだけど、僕は馬鹿正直にそれら全部を受けた。
 にわか勉強のために買った法律手引書とネット情報を教師に、僕は下手糞な答弁書を書きつづけ、多くの口頭弁論にもほぼひとりで出かけ、敵側の傍聴席にいるカルト信者の集団から、憎悪に満ちた口汚い野次をひたすら受けつづけることになった。
 もっとも裁判所で襲われるようなことはなかった。
 ( 注意:実をいうと、1度だけそれはあったんだ。気になるひとは、ちょっと下のほうにある、次紹介の僕ブログへの過去記事URLからを参入どうぞ! )
 なぜなら、そのカルト集団は、いつぞやの東京地裁の騒動ですっかり有名になっていたおかげで、危険防止のために彼等関係の裁判には、常に制服組の特別警備が十数人、さらには法廷入廷時に金属探知機による詳細な手荷物検査が行われ、入廷者は全員財布のなかまで入念にチェックされることとなり、誰の危険物も入廷以前に没収されてしまったからだ。

 そんな僕の窮状を見かねたのか、R元年、初めて友人のあかねさんが僕と共闘してくれることになった。
 R元年(ワ)第1818号 ――― これはいままで受ける一方だった僕が初めてこちら側から仕掛けた反撃だった。
 原告は僕とあかねさん ―――
 被告はそのカルトの原告の2人 ―――
 そのさいたま地裁の民事法廷で初めて出逢ったのが、この 石垣陽介( 43期 )だったわけ。


 

https://blog.goo.ne.jp/iidatyann2016/e/43065ab834108fef48f495c9d868ccd4


 上記 の扉をあけて見てもらえば一目瞭然だと思うんだけど、結局、この石垣陽介( 43期 )は僕等の訴状をまったく読まずに判決を書き、R2年6月26日にやっと出たR元年(ワ)I818の石垣判決には、なんと19ページ中に108箇所もの誤記( というか全くの事実誤認 )があった。
 誰が考えても膨大すぎる数だ。
 2審の控訴でこの石垣誤記を初めて認めた 東京高裁筆頭裁判官だった 高橋譲( 35期 )は、口頭弁論開始1時間前に石垣判決を見つけてまっ青になり、控訴審に30分も遅刻してやってきた。
 こういうのって普通新聞ネタクラスのスキャンダルなんだけどね(笑)
 僕等の訴訟は弁護士をつけない本人訴訟だったもんだから、この 高橋譲 のスキャンダルは、そっと闇に葬られた。

 高橋譲 はこの石垣1818号判決のなかでの過ちを認めた。
 認めながら、その108つの膨大な過ちのうち、必死になって70箇所を訂正した。
 頑張ったのは認めるけど、高橋さん、あなた、やっぱりアレじゃあ全然訂正しきれてないんだよ!
 それなのにこれだけ異常な過ちがある石垣1818号の下級審審理自体は正しかったといい、あなたは僕等を負けさせた。

 2022年の1月、僕等は石垣陽介( 43期 )をターゲットにした R4年(ワ)3333号国家賠償訴訟 を提起した。
  すると、その年の10月25日に突如として 石垣陽介 は、それまで所属していた東京高裁から北の最果てである旭川地家裁所長への左遷が決定した!
 そして、2審の審理を決定した 高橋譲 も翌年の3.12.僕等の3333号国家賠償の進行とともに依願退官していたのだ。
 念願の任期満了の円満退官まであと7か月というぎりぎりの時期になって、なんでまた!?


 石垣陽介の膨大誤記と調書改竄を争点とした僕等の3333号はまさに司法にとって鬼門であって、3333号の1審を担当した 丹下友華裁判官( 57期 )は、
 僕等の1審結審後の3日後のR5年4月1日に 司法研修所教官へと左遷 となり ―――

 それから3333号の傍流訴訟であったR4年(ワ)21202号の1審を担当した 佐藤彩香裁判官( 59期 )のほうも、僕等の1審結審の翌日の、やはり丹下と同日のR5年4月1日に 最高裁秘書課参事官へと左遷されてるんだから、これはもはや冗談事じゃあ済まされない!!



 


 
 検察がダメなら司法もダメダメ ――― 不正と不正義と誤魔化しと後ろむきの保身とが渦巻いてるのが見えるだけ。
 現在の我が国ニッポンの国体である彼等は、もはや 官僚マフィア だよ。まったくにおいて救いようがない・・・。

 法律に疎い僕等は、最初のうち袴田事件のことなんかほとんど知らなかった。
 耳にしたことくらいはあったけど、それが実際にどんな事件だったのかなんて全然分からなかったし、こういうとなんだ!? と思われるかもだけど、自分の日常とあまりに遠い彼岸の事件だと思って、正直いってそう興味もなかった。

 だけど、実際に実物である 石垣陽介高橋譲佐藤彩香本人丹下友華 などと法廷で議論したり怒鳴りつけたりもしているうちに、このひとたちが全然誇りのない、ハリボテみたいな連中だってことがありありと、肌で分かった。

 彼等は権力という風車の機構のなかの、ただの歯車だった。
 一介の、根性なしの、ただの臆病な兵隊だった。
 その認識は苦かった ――― けど、この苦いリアルこそ僕等の真実だった。

 僕は、いまもこの認識を噛みしめているところだ。
 袴田冤罪事件は、決してなくならない。
 これからもこんな冤罪は山ほど出てきて、かつての天然痘のように、ニッポンという船の竜骨を徐々に腐敗させていくことだろう。
 もちろんそうはさせたくないと考えて踏んばっているひとが一定数いるだろうということも、僕等は知ってる。
 こういうひとは少数だが、検察にも司法にも警察内にもいる。
 そのひとたちが声なき声を連合させて、秘密裏に編んだ小さな正義をそれぞれ編みあわせ、気の遠くなるほどの歳月をかけてそれぞれの織物同士を大きく繋ぎあわせて、それを青空に向かって高くたかーく掲げて、初めて今回のような「 袴田巌さん冤罪事件の再審 」を始動させ、とうとう袴田さんの無罪を勝ちとれたんじゃないのか!?

 まだ、みんなはそこまで考えてはいないようだが、先にもいったたように、僕は、この事態を「 革命 」だと考えている。
 現に、ここでは描ききれないほどの検察の冤罪再審 ――― 石垣以外の司法の大不祥事も、今までじゃ考えられなかったほどの規模で、バンバンと表舞台に登場してきている。
 どっちとも手狭で閉鎖的な組織だから、互いのスキャンダルは閉鎖組織の常として、いざというトラブル時の抑止力みたいなつもりで、それぞれの最終暴露兵器を暗黙の了解のうちに監視しあいながら大事にストックしていたはずだ。
 ほら、民間でも専務派と常務派の派閥間の諜報戦なんかによくあるアレだよ。
 そうしたリーク情報が、この袴田さん無罪決定を契機に、これほど無遠慮に系統発生してきた事実に、今更ながら人間の浅ましさを痛感させられる。
 いまの中途半端な安泰状態のまま、得をしたまま逃げきりたいという思いの安易な人間がこれほどまでに多くて、そのそれぞれが皆「 やられるまえに殺れ!」とばかりに引き金を引いてとっとと逃げていくさまは、鬼のものか蛇のものか、それとも怯えに逆切れした小心者の乱心か、あるいは餓鬼猿のただの痴れ唄なのか・・・。

 ああ、確かに ――― いまはまだそれの序章に過ぎないのかもしれない。
 革命はいつでもドロドロのカオスから派生する。
 仏蘭西革命の初端に不世出の英雄と讃えられたロベスピエールもサン=ジェストも、誰も抑えきれないカオスの激流に次々と呑みこまれ、結局、ギロチンの露と消えていくしかなかった。
 すぐ先の未来も見えず、それまで常識とされていた秤も読みも全く通用しなくなるのが革命だ。
 悪夢と正義と祈りと騙しとが一緒くたに時代の大鍋で煮られるような、こんなサバトみたいな常夜のカーニバルを革命と呼ぶ ――― なんてほとんどの人が信じられないのは当然とも思うけど、僕はニッポンの国体を成す検察と司法のただなかでふいに炸裂したこの
不吉な運命花火は、革命の色をしていると感じるね。

 今年の9月、腎臓癌がふいに発覚して、この10月1日、僕はオペを受け、右腎臓と尿管とを切除した。
 ICUに4日いて、4日目の朝、ベッド柵につかまって立とうとしたら、急な血圧低下で冷や汗がばーっと出てひっくり返った。
 このとき初めて死を意識したんだけど、その認識はそれほど不快なものじゃなかった。
 どうせ人間、あの世にもっていけるのは思い出だけだ。
 地位も、名誉も、財産も、官位も、勲章も、あっちにはもっていけない。
 だったら、その思い出をいまよりももっとギラギラと、焼けつくほど眩しく輝かせてみたいじゃないか ――― うん、そうだ、それしかない ――― そのために僕は闘う。   
ℱïñ .