ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

18年前の思い出・シャルトルの大聖堂 … フランス・ゴシック大聖堂をめぐる旅1

2013年12月04日 | 西欧旅行…フランス・ゴシックの旅

    ( シャルトルの大聖堂の内陣 )

 「一鬼たちは建物の内部へはいった。巨大な建物の内部をぎっしりとおびただしい数のステンド・グラスが飾っている。一鬼は足を一歩踏み込んだ瞬間、はっと息をのむような思いにとらわれた。この世の中に、これほど異様な美しさに満たされた空間は、そうざらにはあるまいと思われた」。( 井上靖『化石』から )

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 高度経済成長の時代、会社にとってなくてはならない有能なオーナー社長として、社員の人望を一身に集めて働いてきた初老の男(一鬼)が、周囲の勧めもあって、初めて休暇を取り、秘書の青年を連れて西欧旅行をする。ところが、パリのホテルで体調を崩し、病院で検査をしてもらったところ、癌の疑いがあることを知った。 当時、癌は、死を意味した。 「死」との葛藤が、この作品のテーマである。

 テレビドラマ化もされ、そういう役ならこの人をおいていないというべき山村聰が重厚に演じた。主人公がパリで知り合う富豪のフランス人の妻、中年の美しい日本人マダム役を、これまたこの人をおいていないというべき岸恵子が演じた。

 引用した一節の中の「建物」とは、パリから鈍行列車で1時間、ボース平野というフランスの穀倉地帯にあるシャルトルという小さな町の大聖堂(カテドラル)のことである。

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 初めてシャルトルの大聖堂を訪れたのは、1995年の秋であった。それが初めてのヨーロッパ旅行であった。

 ドイツとフランスへの視察・研修旅行。 私たちの一行は、ドイツでの視察・研修を終え、スイスのジュネーブに立ち寄って1泊し、翌日、フランスの視察先、ル・マンへと向かった。ジュネーブからTGVでパリへ、パリからはチャーターしてあったバスで向かう。この日は移動日だった。

 ル・マンへ向かう途中、シャルトルの大聖堂に立ち寄ったのは、西洋史を専攻して院まで出たという、その研修旅行の添乗員氏の教養と心意気によるというべきであろう。旅の間、私は彼に、「ヨーロッパとは何か」という問いを何度もしたものだ。

 そのころ、私は、西洋に強くあこがれていたが、西洋の歴史も文化も知らなかった。せいぜいが登山家のあこがれの山、アイガー北壁のこと、或いは、イブ・モンタンの歌うシャンソン、「枯葉」ぐらいであった。

 バスの中で、シャルトルに立ち寄り、大聖堂を見学しましょうと添乗員氏が言ったとき、私の記憶の底から、井上靖の『化石』の一節がよみがえってきて、小説の世界のシャルトルに立ち寄ることに感動を覚えた。

 このとき、初めて、この大聖堂が、塔も、彫刻も、ステンドグラスもすばらしく、フランス・ゴシックを代表する大聖堂であるという、簡単な常識を知った。

 井上靖は、この大聖堂のステンドグラスの美しさについて、「(一鬼は) 足を一歩踏み入れた瞬間、はっと息をのむような思いにとらわれた」 と書いている。

 ただ、そのあと、その美しさを、「異様な美しさに満たされた空間」と表現している。 「異様な」というのが、日本人にはなじみのない宗教的な空気のようなものを言っているとしたら、このとき初めてシャルトルのステンドグラスに対面した私の感想は違った。

 ゴシック建築の特徴は、天に向かう高さであり、その高い窓に嵌め込まれたシャルトル大聖堂のステンドグラスに描かれた宗教的場面を見分けることは、その高さのゆえに不可能で、私は、ただ、宝石箱をひっくり返したような色彩の洪水に感動し、ただただその美しさに圧倒された。

 誤解を恐れずに言えば、これを造った人たちは、発注した司教様も、携わった中世の職人たちも、はじめは宗教的動機でスタートしたかもしれないが、造っているうちに、ただただ美しいものをつくりたいという風に志が変わっていき、やがて「神は美なり」「美こそ神」と、心の中で思うようになり、司教様を含めて誰もがそう思うようになっていったから、その美しさに異議を唱える者など誰もいなくて、従って、「それは反キリストだ」「不敬だ」「神の上に美を置く輩がいる」 「そのような輩は火あぶりにせよ」などと騒ぐ者もなく、敬虔なふりしてみんなで見上げて、ひたすら人間らしく感動していたのではなかろうか、と、思えるほどであった。

 私は西洋近代美術に関心があり、セザンヌやマチスやシャガールが好きだが、そのスタート地点にはルネッサンスがあるとはよく言われる。

 しかし、源流はもっと古く、ステンドグラスの光の洪水もまた、セザンヌやマチスやシャガールやさらにはあのピカソの絵の感覚の中に、DNAとして存在しているに違いない、とも思った。日本で開催される美術展で鑑賞していたのとは違って、そのように考えて初めて、彼らの絵を深くわかるのではないかと思うようになった。継承と創造。継承を忘れて、破壊的なピカソを見ても、深いところは理解できない。

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 それでも、広い堂内は薄暗く、宗教的で、マリア像の前には沢山の蝋燭が灯され、その前のベンチに座って敬虔な祈りを捧げている人たちもいた。

 どのような不幸があったのか、マリア像に向かって涙とともに静かに何かを訴えている老婦人があり、その横には、その夫らしい老人が、死を宣告された人のように、虚脱しきった風情で力なく座っていた。

 ここは、生きたカソリックの聖堂なのだと思った。

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 バスがシャルトルの町を出るころには、もう太陽は西に傾いていた。

 当時、自分が書いた記録を見ると、「初めて訪れたドイツは森の国であったが、フランスは大地の国だ。日本では、太陽は山の端に沈む。フランスでは、日は地の果てに沈む。人によって耕作された大地の地平には、小さな村と教会の塔がシルエットとなって、見えていた」 と書いている。 

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 今回の旅の動機をさかのぼれば、以上のようなことになるであろうか。(続く)

 

(シャルトルの大聖堂・シャルトルのブルー)

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

   

 

 

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