(「ロマンチック街道と南ドイツの旅」が(2)でストップしていますが、しばらくお待ちください)。
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明けましておめでとうございます。
皆様にとって、今年も佳い年でありますようお祈りいたします。
私も、例年どおり、元旦は燗酒で新しい年を祝い、1日は龍田大社、2日は信貴山に参拝してきました。
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さて、昨年後半の讀賣新聞の「読売俳壇・歌壇」に掲載された俳句、短歌から、私が心を動かされたいくつかの作品を紹介します。いつも申すことですが、ここに取り上げる作品はその俳句や短歌に対する私の心の共鳴であって、作品の良し悪しは関係ありません。また、「私の心の共鳴」ですから、作者の意図の説明や解説でもありません。その点、お断りしておきます。
今回は俳句。まずは農村の風物を詠んだ作品です。
〇 曼殊沙華 むかし話の ありさうな (東京都/林節雄さん)
秋の田んぼの畔道などに一斉に花開く曼殊沙華を見ていると、メルヘンチックというか、どこか妖しげな、この世ならぬ風情もあり、また、子どもに語って聞かせたい民話の一つも秘めていそうな感じがします。
こういう雰囲気をもつ花は珍しいと思います。しかし、句そのものがメルヘンチックで、私はこういう句に心ひかれます。
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〇 放棄田に 飛ぶ草の絮(ワタ) 義民の碑 (海老名市/山田山人)
季語は「草の絮」で秋。
昔、農民たちが命を懸けて守ってきた大切な田んぼが、今は跡継ぎもなく、収穫の秋に草の絮(ワタ)が飛び交うだけの荒廃地になっています。「飛ぶ草の絮」「義民の碑」… 多くの事象の中から選ばれた言葉の着眼が素晴らしいと思います。昭和を経て、平成、令和の時代は、弥生以来3000年の日本列島の社会と文化に大きな変化が起こっている時代なのかもしれません。
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〇 それらしく 山畑にをる 案山子かな (小金井市/小林るり子さん)
子どもの頃、田んぼに立つ案山子を見て、あれでスズメやカラスが本当に騙されるのだろうかと思ったものです。
しかし、当ブログ「国東半島石仏の旅」で見た案山子は、民芸品と言ってもよいリアル感をもち、しかもメルヘンチックで面白かった。穫り入れが終わり、一息ついて、こういうものを作って楽しんでいる国東の農家の人々の遊び心に感心しました。
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次の2つの句のテーマは老い。私も含めて「日残りて、暮るるに未だ遠し」(『三屋清左衛門残日録』)という世代が増えています。
日本の高齢者は、今、過去の日本の社会の老人とは違う老いの生き方を切り開こうとしているように思えます。自分の親を看取った後、孤独に、それでも背筋を伸ばして、自分の生を自から引き受けて生きようとしています。
〇 迎えるも 送るも一人 門火焚く (旭市/神成田佳子さん)
「門火(カドヒ)」は、俳句歳時記によると、「迎え火とか送り火ともいう」。「7月13日の夕、祖先の霊を迎えるために門辺で苧殻(オガラ)を焚く迎え火、16日(または15日)の夜、霊を送るために焚く送り火の総称である」とある。
旧暦の7月13日、16日ですから、今は8月の13日と、16日(または15日)に行われています。京都の風物詩「大文字の火」も送り火です。
歳時記の「苧殻(オガラ)焚く」の「苧殻」って何だろう?? 広辞苑によると、麻の皮をはいだあとの茎のことらしい。
私は神社の注連縄(シメナワ)をずっと稲藁だと思っていたのですが、伝統ある古い神社の注連縄は今でも麻縄らしい。由緒正しい注連縄は、麻縄なのだそうです。ところが、戦後、進駐軍が麻の栽培を禁じてから、麻がなかなか手に入りにくい高価な品物になってしまった。お金のない神社は、稲藁の注連縄で代用せざるを得なくなった。
縄文時代の「縄文」模様。あれは、何の縄か?? まだ稲作が伝わっていない時代だから、稲藁ではない。戸谷学先生は『縄文の神』(河出書房新社)の中で、縄文の縄は麻縄だと言っています。その証拠の一つが今も続いている神社の注連縄です。言い換えれば、神信仰は縄文の時代に始まっており、その伝統が今も伝わる注連縄の麻縄だと書いておられます。
話は門火に戻りますが、私が子どものころの岡山では、お盆を前に肥え松が売られていました。母とともに焚いた小枝は、肥え松を短く伐ったもので、松脂が多く、暗闇の中でよく燃えました。
選者の矢島渚男さんの評です。「 盆に帰ってくる子もなく一人で門火を焚き、送り火を焚く。こうした家が多くなっている。淋しいことだが、盆行事を欠かさない習慣が嬉しい。これは先祖を崇める太古からの素朴な民俗行事である」。
私たちの世代は、家庭で門火を焚く最後の世代でしょう。
それはいいのですが、次の世代は自分たちの遺骨を海や山や川にバラまくのかもしれないと思うと、イヤな感じがします。1億人のうちの1人、2人がそういうことをするのはともかく、みなが遺灰をそれぞれ勝手に撒き散らすのはいかがなものでしょう。私もやがて自分は日本列島の土に戻ると思っていますが、それは日本の文化と伝統を重んじたやり方でやりたい。空や海にばら撒くというと、一見、いかにもロマンチックに聞こえますが、文明人のすることではありません。
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〇 また来るは 別れの言葉 花八手 (千葉市/中村重雄さん)
「八手(ヤツデ)」は、葉が「天狗のうちわ」などと言われる常緑低木。晩秋、白い小さな花をつける。こういう地味な庭木があるのは、とにかく古い民家だろう。
選者の正木ゆう子さんの評。「 若者同士の明るい『また来るね』もあるだろう。しかし私は、老親を訪ねた帰り際に必ずそう言ったことを、心の痛みと共に思い出す。子がまた来るまでの親の寂しさを思う」。
この句が、そういう場面の句かどうかわかりませんが、自分にも正木さんと同じような思い出があります。生きて、仕事をすることで精いっぱいで、老親の気持ちは知りながら、寄り添う心の余裕がなかった。夏目漱石が言うように、明治以後の近代社会は、ただ忙しい。
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次に生活の中の句を3句。
〇 梅雨籠(ツユゴモリ) ラジオよりジャズ 流れくる (大和よみうり文芸から/宮西洋子さん)
梅雨の日曜日。コーヒーを飲みながら、静かに流れてくるジャズの音色を聞くともなく聞くのはいいものです。
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〇 雨蛙 のせ開け閉めの 門扉かな (生駒市/中谷ただこさん)
田んぼが近いせいか、わが家の小さな庭にも、小さな雨蛙があちこちに隠れています。新聞を取ろうと郵便ポストを開けた途端、中から元気よく跳び出してきてびっくりしたことも。蛙も驚いたのでしょう。
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〇 秋晴れや 球審も打つ 草野球 (川崎市/折戸洋さん)
昔の話です。近くの団地の小さな公園で、小学生たちが軟式ボールで草野球をやっていました。そのうちの一人は息子でした。通りかかった私は、審判を買って出ました。
「1回だけ打たせて」と頼んで(審判をやったのはこの瞬間のためである)、バッターボックスに立ちました。スカンと、いい手ごたえがあり、ボールはぐんぐん伸びて、公園のフェンスと樹木の上を越え、その向こうの家の2階の屋根にポンと当たり、跳ね返って庭に落ちました。
「拾って来いよ。家の人にボールを拾わせてください、と言えばいいんだ」「おっちゃんが打ったんやから、おっちゃん、行って来い」「守っているもんが行くんやろ」。
それにしても、会心の当たりでした。
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今回も旅の句で締めくくりましょう。
〇 集落の 奥に奥ある 蝉しぐれ (龍ヶ崎市/矢矧千童さん)
旅の句ではないかもしれませんが、地方の小さな町をゆく一人旅の旅人を思い浮かべました。ま夏。流れ落ちてくる蝉しぐれ。旅人のリュックの背中にも汗がにじみます。
( 飫肥の町 )
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〇 旅人の われに道訊く 鰯雲 (西宮市/高崎なほみさん)
海外旅行は3回目で、初めてツアーに入らず一人でパリに行ったときのことです。
観光しながら街を歩いていたとき、旅人らしい妙齢の女性が近づいてきて、「あの建物は何ですか?」と聞かれ、驚いた。もちろん、外国語だ。多くの人が歩いているのに、こっちはどこから見ても東アジア系の男。何で金髪碧眼の女性が、パリの街中で、なれなれしく私にものを尋ねるんだ??
ところが、それ1回きりではなかった。2度、3度。小川のほとりの橋で行き会った韓国人の青年からは、おずおずと「写真を写してもらえませんか」とカメラを渡された。
私はそんなに他人から声をかけやすい顔をしているのだろうか??
外国語が話せないから、全て自力を心掛けている。それでも、道がわからなくなって、誰かに聞かざるをえなくなった。それで一人で歩いてきた優しそうな女性に思い切って声をかけた。
そのあとで、悟った。私に尋ねたり頼んだりした人はみんな一人旅だった。一人旅は一人旅に声をかけやすいのだ。自身、道を尋ねようとしたとき、アベックや家族連れには、声がかけにくかった。旅人でなくてもいいが、一人で歩いている人に声をかけやすい。人種、民族、性別を超えて。不思議な人間心理の発見でした。
余計な思い出話を書いてしまいましたが、この句は、「鰯雲」が旅情を誘います。鰯雲の美しい秋空です。
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〇 無人駅 また無人駅 稲の秋 (下関市/野崎薫さん)
例えば、石川啄木の生家のある岩手県の渋民村を訪ねたときも、鈍行列車は北へ北へとみちのくの風景の中を走りました。行けど行けど知らない田園風景なのに、なぜかなつかしいものを感じていました。
そういう旅に、また出かけたいものです。
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