今回の旅の第一の目的は、世界文化遺産登録の候補に挙げられている宗像大社である。古代海人族の宗像氏が祀る神社であり、今もその信仰は受け継がれている。
今、行っておかないと …… 世界遺産に登録されてしまったら、国内だけでなく近隣諸国からも観光客が押しかけて、静かに参拝することもできなくなるかもしれない。
せっかくなので、福岡県の玄界灘周辺の古代遺跡にも足を伸ばしたいと思う。
この地域は、縄文時代から、弥生、古墳時代へと移行していく、「倭」と呼ばれたころの日本の先進地域であった。
しかし、歴史書を読んでも、素人の頭にはなかなかすっきり入ってこない。特に、〇〇遺跡、△△遺跡などという地名の位置や相互の位置関係が、なかなか頭の中で明確な形をとらないのだ。こういうときは、地図を見ながら、実際に自分の足でその地を踏んでみることが大切である。
というようなことで、春たけなわの季節に、長年のモヤモヤを解消する旅に出かけた。
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旅の初日は雨だった。
博多駅でレンタカーを借り、今日の行動を、翌日の予定と入れ替えた。
太宰府天満宮の参拝は雨でも風情があるだろうし、そのお隣の九州国立博物館は、雨天も関係ない屋内見学だ。
( 太宰府天満宮の参道 )
八百万 (ヤオヨロズ) の神々を祀る日本の神社のなかで、最も「出張所」が多くて人気のある神社はお稲荷さん。全国に19800社もある。
続くは八幡神社の14800社。
その次、第3位にランクされるのが天神さんの10300社である。以上が、ビッグ3で、ダントツである。
その10300社の天神さんの総本社に位置するのが、京の都の北野天満宮と、ここ道真の墓所に建てられた太宰府天満宮だ。
元右大臣だった菅原道真が太宰府で病死した (903年) あと、都で落雷などの天災が起きるたびに、人々はあれは道真の「怨霊」の「祟り」だと噂した。なにしろ10世紀の初頭の話である。平安京も、夜は漆黒の闇だった。
西洋では、近世になっても、「魔女狩り」裁判が行われ、無実の人が「魔女」として火あぶりにされたぐらいだから、日本の10世紀の人々の天変地異や漆黒の闇夜に対する恐怖心を嗤ってはいけない。
かくして、道真の怨霊を鎮めるために、天満宮が建てられる。
しかし、時代が下がるにつれて、人々の記憶の中から恐ろしい「怨霊」の話は薄れていき、しかも朝廷や摂関家は天満宮を大切にしたから、平安末期には、地方の「嵐の神」や「雷の神」を祀る神社が次々と天満宮の傘下に入り、村の天神社になっていった。
中世になると、新たに興った商工民の中にも天神さんを祀る人たちが現れた。
江戸時代に、幕府の保護の下、朱子学が盛んになると、儒学者・菅原道真公は学問の神さまとして、いよいよ崇敬されるようになっていった (たとえば湯島天神) 。
今では、学業成就や受験の神様となり、全国の受験生やその親、最近では孫のために祈願する祖父母にまで親しまれるようになった。
現在の10300社の盛況を見れば、かつては不遇を恨んだ道真さんも、「身に余る光栄」と、すっかり満足されていることはまちがいない。((2)に続く)
( 大宰府天満宮の飛梅 )
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