ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

美禰子考⑴ (本郷③) … 東京を歩く6

2023年08月12日 | 東京を歩く

   (シャガール美術館 ─ ニース)

 東京旅行から帰って、小説『三四郎』を読み返してみた。19歳のときに読み、コケティッシュだと思った美禰子というヒロインにもう一度会ってみたくなったから。

 読み返してみて、まとまったことを書くのは難しいと感じた。

   それで、読み返すなかで気づいたことや考えたことの一部を、メモ風に書きとめることにした。

      ★

<閑話 ─ 詩のような漱石の文章>

 本題に入る前に ……

 今回、読み直して、写真で見れば気難しそうな漱石先生が、詩のようなメルヘンチックな文章も書くのだと(書こうと思えば書けるのだと)、改めて感心した箇所があった。その一つを紹介。

 その場面は ── 季節は秋。三四郎は学友の与次郎に頼まれて、祭日の日の朝、広田先生の引越しの手伝いに行く。ところが、まだ誰も来ていなかった。

 一人で待っていると、(同じように手伝いに呼ばれた)「池の女」 が庭に入ってきた。 (このとき、三四郎はまだ、彼女の名を知らない)。

 次のゴシックの部分を味わって読んでいただきたい。

      ★

 三四郎は、一人、手持ち無沙汰のまま、小さな庭の縁側に座っている。そのとき、「庭木戸がすうと明いた。そうして思いも寄らぬ池の女が庭の中にあらわれた」。 (略)

 『失礼でございますが…』。 (略)

 『広田さんの御移転(オコシ)になるのは、こちらでございましょうか』

 『はあ、ここです』。

 女の声と調子に比べると、三四郎の答えはすこぶるぶっきら棒である。

 「『まだお移りにならないんでございますか』。女の言葉は明確(ハッキリ)している。普通のように後を濁さない」(※ アンダーラインの部分については、あとで取り上げる)。

 『まだ来ません。もう来るでしょう』

 女はしばしためらった。手に大きなバスケット(籃)を提げている」。 (略)

 上から桜の葉が時々落ちて来る。その一つがバスケット(籃)の蓋(フタ)の上に乗った。乗ったと思ううちに吹かれて行った。風が女を包んだ。女は秋の中に立っている。

 『あなたは …… 』

 風が隣へ越した時分、女が三四郎に聞いた

 『掃除に頼まれてきたのです』と言ったが、現に腰を掛けてぽかんとしていた所を見られたのだから、三四郎は自分でも可笑しくなった。すると女も笑いながら、『じゃ私も少しお待ちしましょうか』と言った」。

   どうでしょう 風を擬人化して、テレビのコマーシャルの1シーンに使いたいような、オシャレな文章です。 

  ★   ★   ★

<美禰子は「優美な天性の演技家」か??>

 さて、以下は、ヒロイン美禰子はどういう女性として描かれているのか、ということについてである。

 ちなみに、『本郷界隈』(司馬遼太郎) の美禰子論はこうである。

 「(『三四郎を』を)連載中の明治41年、(夏目漱石は)『早稲田文学』に談話を載せている。この女(美禰子)は『無意識(アンコンシアス)な偽善者(ヒポクリツト)』であるという」

 「このタイプの女性は、『ほとんど無意識に、天性の発露のままで男を擒(トリコ)にする』のである。むろん善悪の道徳観念はほとんどもたない。要するに、無意識かつ優美な天性の演技家なのである。偽善には演技を伴う。演技が偽善ともいえる。後者(無意識)の場合、演技をして、そこから何を得ようという功利的目的もない。だから三四郎と結婚することなど頭から考えずに、いわばなぶるのである」。

 敬愛する司馬さんではあるが、この美禰子論はちょっときびしい。

 例えば、「三四郎と結婚することなど頭から考えずに …… 」と言う。

 だが、それは、むしろ三四郎の方である。『三四郎』の中にこういう場面がある。

 大学の講義が終わって教場を出るとき、三四郎は親しい学友である与次郎に突然、聞かれる。三四郎の恋を察知し、忠告を与えるのは、与次郎だけである。

 『あの女 (美禰子のこと) はきみに惚れているのか』。

 三四郎は『よく分からない』と答える。

 「与次郎はしばらく三四郎を見て、『そういうこともある。しかし、よく分かったとして、きみ、あの女のハズバンド(夫)になれるか』。

 三四郎は未だかつてこの問題を考えたことがなかった」。

 三四郎は、結婚のことなど頭から考えず、美禰子にひかれ、近づいていった。与次郎は、同年齢の女性との愛は成立しないからやめておけと言うのだ。

 実際、23歳の三四郎は田舎から出てきて大学へ入ったばかり。親の仕送りで勉強をしている身である。この世において、まだ、何ものにもなっていない。

 物語の終わり、美禰子は唐突に兄の学友だった男と結婚する。それで、三四郎の気をひき、擒(トリコ)にし、あっさり他の男と結婚した女という評価も出てくる。

 しかし、美禰子は三四郎に心ひかた瞬間もあったように読み取れる。だが、三四郎のそういう立ち位置を考えて、他の縁談を受け入れたのではないだろうか。そう読みとる方が自然である。

     ★ 

 そもそも文芸研究家や評論家は、しばしば、『三四郎』連載中に漱石自身が語ったという「美禰子論」を紹介し、それを根拠にしてヒロイン美禰子を説明する。

 だが、例えばピカソが、自分の抽象画の意味を誰かに聞かれて、(普通は笑って答えないと思うが)、仮に答えたとしても、それはそのときのピカソの思いのほんの一端の吐露、或いは、そのときの気分で答えたのかもしれず、或いはまた、自分の絵のファンのためにサービスとして語ったことかもしれない。

 だから、創作者自身がどう言ったかを根拠にして作品を説明するのは、必ずしも正しいやり方とは思えない。

 よく言われるように、発表された作品は世に出た瞬間に創作者の手を離れる。そして、時代を超えて、享受者の側に委ねられるのである。

 よって、作品の理解は、作者自身がどう言ったかを根拠にすべきではなく、作品に表現されているところに沿って、享受され、理解されるべきあろう。

     ★

 もう一つ。初めて『三四郎』を読んだ10代の終わり、私も美禰子をコケティッシュ女だと思った。男の心を翻弄するような魅力的な賢い女性というほどの意味である。それは、「無意識かつ優美な天性の演技家」ということと通じる。ただし、司馬さんの場合は、「… いわばなぶるのである」と、非難のニュアンスが強い。

 美禰子の三四郎に対する言葉やふるまいは、全て、男を擒(トリコ)にする天性の演技なのであろうか??

 今回、美禰子のその時々の心情を考えながら、美禰子の立場に添って読み直してみた。

 すると、明らかに演技めいたふるまいは最初の出会いのシーン ─ 池のそばで三四郎の目の前に花一輪を落として行った ─ だけかも知れない、とも思った。

 はっきりしていることは、主人公の三四郎自身が、物語の最終章においても、美禰子に「なぶられた」などとは思っていないことである。

 私は、男を擒にするようなキャラクターの女とその女に翻弄される青年の物語などではないと考える。『三四郎』は、江戸の色男や金持ちの坊ちゃんを題材にした浮世草子ではないのだから。

 とにかく、作品の表現に即して読んでいこう。

 その結果、それぞれの美禰子論があっていいと思うのである。

     ★

<きみが心は知りがたし>

 今回、再読して、美禰子についてまとまったことを書くのがむずかしいと感じた。それには理由がある。

 また、『本郷界隈』から。

 「最近、桜楓社が漱石の作品論をあつめた全集を出した。その第5巻『三四郎』を読んでみて、研究者たちの論文のほとんどが美禰子論だったのがおもしろかった。漱石は、それほどあざやかに美禰子を造形したのである」。

 『三四郎』という作品を論じた論文のほとんどが、「美禰子論」だったという。

 それは、美禰子というヒロインが魅力的であるというだけでなく、とらえがたいからだ。魅力的で、しかも、とらえがたいが故に、多くの論者が美禰子論を論じてみたくなる。

 だが、今回、読み直してわかったことは、作品に描かれている美禰子はほとんど全て主人公の三四郎の眼と心に映じた美禰子であるということだ。

 ゆえに、美禰子の言葉やふるまいの奥にあるその時々の美禰子の心情は、三四郎の目と心を通してしか、私たちにはわからない。

 美禰子は三四郎の自分への眼差しを意識する。そして、親しくなっていき、三四郎に心を寄せたかと思われる一瞬もあったのだが、そのあと、唐突に兄の友人である男との結婚に踏み切ってしまう。

 美禰子のその間の気持ちの変化、或いはその背景にあるはずの美禰子の諸事情は、ほとんど何もわからない。私たちは、三四郎を通して垣間見るだけである。

 『本郷界隈』は、「漱石は、それほどあざやかに美禰子を造形した」と言うが、あざやかなのは、三四郎が見た一瞬一瞬の美禰子であって、彼女の気持ちの変化の過程や彼女の諸事情は何もわからないのである。

 きみが瞳はつぶらにて / きみが心は知りがたし /

   きみをはなれて唯ひとり / 月夜の海に石を投ぐ (佐藤春夫)

 青春とはそういうものかもしれない。

 『本郷界隈』は、『三四郎』のテーマは青春などというものではないというが、私は改めて青春小説だと思った。それにプラスして近代文明批評。

 とにかく、美禰子は春の書斎に迷い込み、気ままに部屋の中を飛んで、ふいっと去っていったアゲハ蝶のようである。

 そういう美禰子を断定的に論じるのはむずかしい。

 ゆえに、それぞれの「美禰子」があっていい。

    以下は、私の美禰子論の切れ端を集めたものである。

 なお、「 」は漱石の『三四郎』からの引用。ただし、現代仮名遣いに直し、漢字も常用漢字の範囲に改めた。

  ★   ★   ★

<プロローグ ─ 三四郎について>

 まず、三四郎という青年について、はっきりさせておきたい。

 小説『三四郎』は主人公が上京する車中から始まる。九州から東京までまる2日間を要する。その間の二つのエピソードを通して、三四郎という青年が紹介される。

 彼は数え年で23歳(満年齢で22歳)。熊本にある第5高等学校を卒業して、これから東大に入学する。

 旧制高等学校は当時日本に8つしかなかった。東大で専門分野を勉強するための予科段階のためにつくられた学校で、今の大学の教養課程に相当する。

 『伊豆の踊子』の一高生は、旅の途中で見かけた旅芸人一座の踊子に恋心を抱くが、三四郎はこれまで恋を知らない。

 三四郎が知っている娘は、故郷のお光さんである。上京後、しばしば母から手紙がくる。そこにはいつもお光さんのことが書いてある。母は息子が大学を卒業したら、お光さんを嫁に迎えるつもりでいる。家と家のつり合いが取れ、年の頃も程よく、自分が気心を知る娘を嫁に迎えたいのだ。

 だが、三四郎はお光さんに異性を感じたことはない。

 汽車の旅はまる2日、かかり、駅近くの宿で一泊する。その夜、同じ宿に同宿した年上の女に誘われる。やりすごしたが、翌朝、その女に「あなたは度胸のない方ですね」と言われて、恐ろしくなる。

 こういうむき出しのストレートな人間関係は、熊本で勉強したことと次元を異にする。三四郎は現実世界の手ごわさを思い知らされる。

   (イブの誘惑 ─ オータン)

 また、車中で中年の男と会話する。その男は東京で再会することになる第一高等学校の英語の先生の広田さんである。もちろん、このとき、そういうことは知らない。

 ちなみに、時代は日露戦争後の明治40年頃。以下、二人の会話の途中から引用する。

 「 『これからは日本も発展するでしょう」と弁護した。

   すると、かの男は、すましたもので、『滅びるね』と言った。

 ── 熊本でこんなことを口に出せば、すぐ殴られる。わるくすると国賊扱いされる。三四郎は頭の中のどこの隅にもこういう思想を入れる余裕はないような空気のうちで成長した。 (略)

 すると男が、こう言った。『熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より … 』でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。『日本より頭の中の方が広いでしょう』と言った。

 『囚われちゃ駄目だ。いくら日本のためを思ったって贔屓(ヒイキ)の引き倒しになるばかりだ』

 この言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出たような心持がした。同時に熊本に居た時の自分は非常に卑怯であったと悟った」。

 三四郎はこの男の言葉で、瞬時に、自分が熊本、或いは、日本の空気の中にどっぷりと漬かって、自分自身の頭で主体的にものを考えようとしてこなかったことを悟ったのだ。思考を停止して周囲に同調していた。その方が楽で安全だったから。そういう自分を、卑怯であったと悟るのである。

 三四郎は、この世にあって、まだ何ものでもない。だが、物事をまっすぐに見、やわらかい頭脳で受け入れることができる、清々しい青年である。そして、日本より広い頭をもった独立した人間として羽ばたこうとしているのである。

 このような青年が東京にやって来て、いきなり出会ったのが美禰子という女性であった。

  ★   ★   ★

<三四郎の池 ── 美禰子との出会い  >

 出会いのシーンの美禰子は、印象的である。

 当時の大学は欧米並みに9月始まりだったようだ。上京したばかりの三四郎は、夏の暑い日、大学構内に、郷里の先輩の野々宮さんを訪ねる。大学は人気(ヒトケ)がなく、閑散としていた。

 野々宮さんは理科棟の暗い地下室にいた。たった一人、実験器具をいじっている。毎日、こうして<光線の圧力>の実験をしているのだという。

 後でわかることだが、野々宮さんは三四郎より7歳の年長。日本ではまだ無名だが、彼の研究はむしろ西欧で注目されている。

 しばらく野々宮さんの実験器具の説明を聞いた後、三四郎は「穴倉」を辞した。構内を歩いて池の端(ハタ)まで来て、池のそばにしゃがみ込む

 そして、自分のこれからの生き方を思う。野々宮さんのように人気のない地下室で一生を研究に捧げる人生もある。そういう生涯を想像すると、急に寂しさがおし寄せた。

 ふと眼を上げると、池の向かいの丘の上に女が二人立っていた。丘の上は夕日が当たって明るい。

 一人は白い服から大学病院の看護婦だとわかる。もう一人は、日射しを避けて団扇(ウチワ)を額にかざし、和服姿だった。

  「この時三四郎の受けた感じはただ奇麗な色彩だということであった」。

 三四郎は見とれている。やがて、二人は坂をこちら側へ下りはじめる。三四郎はやっぱり見ている。

 坂の下に石橋がある。渡れば池の水際を伝ってこっちへ来ることになる。二人は石橋を渡った。

  (三四郎の池)

 以下、本文から。

 「団扇はもうかざしていない。左の手に白い小さな花を持って、それを嗅ぎながら来る。嗅ぎながら、鼻の下にあてがった花を見ながら、歩くので、眼は伏せている。それで、三四郎から一間ばかりの所へ来てひょいと留まった。(※ 1間とは約1.8m。絶妙の距離感!! )。

 『これは何でしょう』と言って、仰向いた。頭の上には大きな椎の木が、日の目の洩らないほど厚い葉を茂らして、丸い形に、水際まで張り出していた。

 『これは椎』と看護婦が言った。まるで子供に物を教えるようであった。

 『そう。実は生(ナ)っていないの』と言いながら、仰向いた顔を元へ戻す、その拍子に三四郎を一目見た。三四郎はたしかに女の黒眼の動く刹那を意識した。その時、色彩の感じは悉く消えて、何とも言えぬ或る物に出逢った。その或る物は汽車の女に『あなたは度胸のない方ですね』と言われた時の感じとどこか似通っている。三四郎は恐ろしくなった。

 二人の女は三四郎の前を通り過ぎる。若い方が今まで嗅いでいた白い花を三四郎の前へ落として行った。三四郎は二人の後姿をじっと見つめていた。……頭にも白い薔薇を一つ挿している。……」 

                ★

 美禰子は三四郎のそば、一間の所で立ち留まり、繁った樹木を仰いで「これは何でしょう」と聞き、仰向いた顔を元へ戻す瞬間に三四郎を見た。もちろん、一連の動きは意図的、意志的である。二人の目が一瞬、合う。

 そして、三四郎の前に白い薔薇を落として行った。

 美禰子は「無意識かつ優美な天性の演技家」であるという評価は、この出会いのシーンで決まったようなものだ。「天性の発露のまま男を擒(トリコ)にする」女だとなる。

 初めて『三四郎』を読んだ19歳の私も、美しく魅力的だが…… このコケティッシュな女は心許せぬところがあると思った。

 しかし、今は、…… もう少し丁寧に読んでみたいと思う。

 「女の黒眼の動く刹那を意識した」時、三四郎は「何とも言えぬ或る物に出逢った」という。「その或る物は汽車の女に『あなたは度胸のない方ですね』と言われた時の感じとどこか似通っている」。そして「三四郎は恐ろしくなった」。

 三四郎は何に「恐ろしくなった」のだろう。その気持ちが起こったのは、女が花一輪を落としていく前である。それは、女の黒眼が動いた刹那だ。その眼は三四郎を見ようという意志をもって動いた眼である。

 三四郎の恐れは、「汽車の女に『あなたは度胸のない方ですね』と言われた時の感じとどこか似通っている」という。

 「どこか似通っている」ということは、似ているが、別種のものであるということである。しかし、別種だが、両者に共通するものがあるのだ。それは何か。どちらも、三四郎という青年が過去に経験したことがないもの、即ち、未知のものである。そういうものに不意に出会ったときの恐れである。

 それまでの三四郎の人生の中に、このように意志的にはっきりと自分を見た若い女はいなかった。

 『本郷界隈』の次の一節はヒントになる。

 「『三四郎』という小説は、(主人公の青年が) 配電盤にむかってお上りをし、配電盤の周囲をうろつきつつ、眩惑されたり、自分をうしないかけたりする物語である。明治時代、東京が文明の配電盤だったという設定が理解できなければ、なんのことだかわからない。主題は青春というものではなく、東京(もしくは本郷)というものの幻妙さなのである。 …… その意味で、明治の日本というものの文明論的な本質を、これほど鋭くおもしろく描いた小説はない」。

 その「東京(もしくは本郷)」を、ヒロインの「美禰子」に置き換えてみたら良いのではないか。

 明治の日本は、「東京(或いは本郷)」を配電盤として、西洋化、近代化しようと、「坂の上の雲」を目指して驀進している。

 その先に何があるのか?? それが、官の道を捨て、文学の道へ入った漱石の生涯のテーマであった。もちろん、漱石の関心は政治や経済そのものではなく、近代というものが生み出す新しい人間像、即ち近代人である。それは、どういう存在なのだろうか。前近代よりも、近代人は幸せになるのだろうか??

  これまで三四郎が知っていた女子は故郷のお光さんである。田舎の母は、「家」の継承と家格のつり合いを考え、丁度好い年頃のお光さんを嫁に迎えたいと考えている。息子の意思は二の次である。この母の思考は、いわば前近代である。

 一方、三四郎は、「頭の中は日本より広い」と自覚する近代人として羽ばたこうとしている。

 その前に現れたのが美禰子である。

 美禰子は、三四郎が今までに出会ったことのない女性だった。

 これまでの三四郎の頭の中にあった女性は、男に遠慮し、伏し目がちに、慎み深く、或いは楚々として歩く女性であった。

 だが、美禰子ははっきりと自分を見返してくる。

 この場面、美禰子が何を感じ、どう思ったかは書かれていない。『三四郎』は美禰子の側からは、書かれていない。

 しかし、美禰子の側に立ってこのシーンを振り返れば、池の端にしゃがんだ青年がずっと自分に眼差しを向けていたのである。女の側からすれば、当然、意識し、気になる。それは不躾(ブシツケ)であり、無礼でもある。

 そういうとき、美禰子という女性はひるまない。自分を見続けた男の目を、一瞬、見返して、どういう青年かを見定めようとする。

 落として行った花一輪は、自分を凝視し続けた青年の不躾に対する「お返し」

 美禰子は、そういう女性として登場したと、私は考える。

 彼女は、前近代に対して、あえて言えば、自我に目覚めた女性である。

 もちろん、漱石にとって、前近代が古くて遅れており、近代が新しくて立派であるということではない。

     ★

  今回、読み返して、この池のほとりの出会いのシーンを二人が回想する場面が、このあと3回もあることに気づいた。そこから、少しは美禰子の心理も読みとれるかもしれない。

 (続く)

 

 

 


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