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散歩していると、今まであまり気に留めていなかったことに、改めて気づかされることがある。
例えば、気をつけて歩いていると、あちこちに石仏がある。
石仏には、雨露をしのげるようお家が作ってある。野ざらしの場合も、その前に、花が供えられている。
だれが、このように敬虔な、或いは、心優しいことをしているのだろう?
まさか役所がするはずもあるまい。核家族化し、互いに干渉しなくなったいま、 町内会や自治会が輪番でするわけもない。
その付近の住民も、そこに石仏があることさえ知らない人も多いだろう。人は、眼に映じているものすべてが見えているわけではない。
それでも、遠い昔から、21世紀に到った現在も、近所のだれかが自発的に、心を込めて、それぞれの野の仏のお世話をしている。
これもまた、この島国に生まれ、母音の強い言葉を話し、漢字混じりのかなを書き、四季の変化に一喜一憂し、風の音や鳥の声を左脳で聞く人々の、心に引き継がれてきた文化の一つである。
わが家から比較的近い八幡神社の近くの、田畑の小道にある石仏は、ステキな瓦屋根のお家に住んでいらっしゃる。
( 八幡神社の石段 )
もう一つの神社、春日神社の杜付近には、あちこちに古い石仏があり、そのいくつかは町の文化財保護の指定を受けているようだが、名もない野の仏にも、いつも花が供えられ、絶えることがない。
散歩の途中、大和川に架かる橋のどこを渡りどの橋から折り返すかは、そのときどきの気分なのだが、ここ多聞橋に立って、上流の方を眺めると、写真写りがいちばん良い。
( 多聞橋からの眺め )
多聞橋は、車の通れない、人 ( と自転車 ) のためだけの橋だが、以前は水かさが増えると水に沈下する石の橋だった。その上、川を直線で渡るのではなく、川の真ん中辺りで稲妻のように折れ曲がっていて、なかなか風情があった。ただ、欄干がなく、狭い橋幅だから、自転車で渡るときはちょっとスリルがあった。
今は、沈下橋ではなく、鉄の橋から水面を見下ろすと、かなり高い。
川の岸の草むら近くの淀みに、鯉が何匹も群れているのが見える。もとから鯉はいただろうが、近くの龍田大社の春祭りの神事の一つに、鯉を大和川に放流するという行事がある。毎年のことだから、もしかしたら、その鯉が増えていっているのかも知れない。鯉は、いずれ、龍になる‥‥?
その多聞橋のたもとにも、石仏がある。
横に、石版に書かれた説明があり、「多聞地蔵」 とある。全国からやってくる信貴山への参拝者の交通安全を祈って、このあたりのムラの人が立てたお地蔵さんだそうだ。
この列島に生きた心優しい庶民の、心と文化を感じることができる。
わが家の最寄りの駅は小さい。無人駅であった時期もある。今は、研修を終えた新人の、最初の勤め先になっているようだが、まもなく再び無人駅になると聞いている。
その駅の裏手に、比較的大きな石仏がある。 横に書かれている説明によると、「役の行者」さんらしい。やはり信貴山と関係があるのだろうか?
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この5月14日から23日まで、スペインに行ってきた。
アンダルシヤ地方の小さな村を歩いていて、道の辻に、マリア像や磔刑のキリスト像が祀られているのを見た。以前、何度か行った海の都ヴェネツィアの路地にもあった。
しかし、日本の石仏の、周りの家並みや野の景色に溶け込んで、穏やかで心優しい、愛嬌のあるお姿は、ちょっと一味違うと思う。
やはり、日本は素晴らしい。
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