ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

紺碧のコート・ダジュール … 観光バスでフランスをまわる2

2022年05月01日 | 西欧旅行…フランス紀行

 (ニースの青い海)

    日本は四囲を海に囲まれた島国だが、フランスは大陸の国である。それでも、国土の北西側は (イギリス海峡を含む) 大西洋に臨み、南(東)側は地中海だ。

 このツアーは、地中海沿岸のコート・ダジュールからスタートして、北はイギリス海峡に臨むモン・サン・ミッシェルまで行き、ゴールはパリ。正味6日間のバスの旅である。

 スタートのコート・ダジュールは、南フランスの地中海沿岸部のうち、イタリアとの国境に近い、東部の海岸線を言う。

 19世紀になって、雨の少ない温暖な気候と青い海が、北欧やスラブ圏の国々、英国、オランダ、ドイツやフランスの北部の人々の憧憬の地となり、貴族や富豪が別荘を構えるようになった。

 やがて超高級ホテルやレストランも進出して、国際的なリゾート地へと変貌していった。

 日本語では「紺碧海岸」と言われる。

   ★   ★   ★

<旅先のホテル>

 2010年10月6日

   昨日の朝、関空を出発し、フランクフルト経由で、夕刻、ニースに着いた。

 ニースは高級リゾートのイメージがあるが、宿泊したのは高級ホテルではない。ごく安いツアーだから、ホテルも三流である。

 私のヨーロッパの旅は、リッチなホテルに泊まったり、星付きレストランで食事をしたり、ブランド品を買ったりすることとは無縁である。ホテルは静かであれば、狭くて古い、ヨーロッパらしい一室で充分である。欲を言えば、旧市街の中のホテルでも、田舎であっても、窓からその土地らしい眺望が少しでもあれば、最高である。

 ただ、このホテルのバスタオルの饐(ス)えたような臭いには閉口した。

 相当に使い込んだものらしく、布地は肌が痛いほどにざらざらしているが、洗いざらしで清潔そうに思えた。もしかしたら環境に配慮した自然洗剤の臭いなのかもしれない。そう思って、我慢した。

      ★

<国際映画祭の町・カンヌ>

 。8時半、観光バスに乗り込んだ。昨夕、空港に迎えに来たのと同じバスだが、今日からの6日間、7日目のパリの空港まで、ずっとこのバスに乗るのかもしれない。

 関空から同行の中年の女性添乗員のほか、現地女性ガイドも同乗した。

 今日は、ニースから西へ走ってカンヌを見学し、ニースに引き返してニースを観光。午後は東へ走ってモナコを見学し、再びニースのこのホテルへ帰って連泊する。

 10月初旬の地中海の陽光は爽やかで、バスは所々で海を望みながら快調に走って、50分ばかりでカンヌに到着した。

 バスを降り、ガイドに引率されて、クロワゼット大通りを歩く。海岸沿いのプロムナードで、カンヌの目抜き通りだそうだ。

 片側の建物は超高級ホテル、高級レストラン、ブティック。海側はプライベート・ビーチだという。ただ、季節外れなのか、人々の朝がおそいのか、人は少なかった。

 午前の透明な光の中、そういう高級リゾートの街路を、観光バスを降りた30人ほどの日本人がぞろぞろと歩いて行く。歩きながら、団体で見学するような場所ではないのではないか、という多少の違和感を感じた。

 クロワゼット大通りの西端の建物が、カンヌ国際映画祭の会場のパレ・デ・フェスティバル。外見はちょっとオシャレだが、まあ普通の現代建築で、玄関ホールは2階にあり、そこからプロムナード前の広場へ「大階段」が降りてくる。

 カンヌ映画祭の日、この階段には赤い絨毯が敷かれ、世界の大スターたちが、或いはモーニング姿で、或いは華麗なロングドレスを引きながら、優雅に上がっていき、また、降りてくる …… のだそうだ。

 5月の映画祭の開催期間、この小さなカンヌの町は世界からやってきたスターや映画関係者やメディア関係者らでいっぱいになり、ホテルもなかなか取れないとか。

 …… などと説明されても、クローズされた現代風の建物を外から眺めるだけである。わざわざ見学に来る価値があるのだろうかと思った。

 旅が終わって帰国してから少し調べてみた。

 カンヌ映画祭の特徴は、その期間、見本市も同時に開催されること。つまり、映画のコンクールだけでなく、世界の映画のスーパーマーケットになるのだ。

 世界から1千社近い企業や数千人のプロデューサーが集まってくる。コンクールに参加した映画ばかりでなく、まだ構想段階で日の目を見ていない映画まで、誰が監督で、主演は誰で、あらすじはなどということがプレゼン・PRされ、大量のおカネが動き、資本が投じられる。優雅に見えるが、その裏はまさに市場経済の投資の場となる。

 資本主義の発祥の地はヨーロッパ。ファッションでも、観光でも、スポーツでも、映画・芸術でも、建築でも、カジノでも、自動車産業でも、現代の環境問題にかかわる産業に到るまで、いろいろ大がかりな「しかけ」がつくられ、投資の大渦が作られる。そういう一面ももつのが、ヨーロッパの今に至る歴史である。

 カンヌは、19世紀まで陽光きらめく普通の漁村だったそうだ。まさに新興の開発都市である。

 映画『太陽がいっぱい』の若き日のアラン・ドロンが演じたような、欲望がぎらぎらした青年の姿もあったに違いない。  

 シーズン・オフの映画祭の会場よりも、どこか、もっとコート・ダジュールらしい風景・景観、人々の営みと歴史を感じさせるところへ案内してほしい。そう思ったのは、多分、私だけではないだろう。

 せめて記念にと、1枚だけ、旧港のヨットハーバーの写真を撮った。

  (旧港のヨットハーバー)

      ★

<コート・ダジュールの中心都市・ニース>

 ニースに戻り、ニースの海岸から離れた山の手側にあるシャガール美術館へ行った。今日一日の見学で一番良かったのは、ここ

 彼は晩年をコート・ダジュールで過ごした。

 「シャガールは<光>に惹かれて『コート・ダジュール』へ来たのであろう。彼の心のなかで、スラブの深い靄が少しずつ<光>に透かされ、晴れてきたにちがいない」。(饗庭孝男『フランス四季歴』)

 「スラブの深い靄」と、南仏の「光」…。

 ステンドグラスの青が美しい。シャガールの青は地中海の青だ。 

 (シャガールのステンドグラス)

 (シャガールの絵)

 ヨーロッパの美術館は、フラッシュを発光させなければ、ルーブルの「モナ・リザ」でさえ自由に写真撮影できる。

 そのあと、バスに乗って、古代ローマの遺跡が少し残るシミエ地区を通った。

 素通りしただけだが、実は港としてのニースの歴史は古い。BC5世紀ごろに、ギリシャ人によって建設された。

 フェニキア人やギリシャ人は航海術に長け、紀元前の地中海の各地に港湾都市を築いた。その代表がフェニキア人のカルタゴだった。

 その後、この地はBC2世紀にローマが支配した。

 ローマはカルタゴを滅ぼして、地中海を「ローマの海」にしたが、もともとは陸の民である。ローマが進出するところ、舗装道路は延び、町が造られ、交易が進み、「面」としてのパクスロマーナが広がっていった。

 ローマ滅亡後の5世紀以降の地中海世界については、塩野七海の『ローマ亡き後の地中海世界』に詳しい。

 サウジアラビアに起こったイスラムは、地中海の北アフリカ側を席巻し、イベリア半島まで進出した。イタリアやフランスの地中海沿岸部は、長い歳月、海賊に荒らされ続けた。海賊を恐れ、人の住む村や教会は「鷹の巣」と呼ばれる断崖の丘の上に築かれた。

 19世紀になって、青い海と温暖な気候を求めて、大英帝国の貴族や金持ちがニースにやってきた。

 今のニースの中心は、3.5キロの海岸沿いの「プロムナード・デ・ザングレ」だが、「イギリス人の散歩道」の意である。超一流ホテルやプライベート・ビーチが並んで、第二次世界大戦まではヨーロッパの王侯貴族の社交場だったそうだ。

 昼食は、旧市街のレストランでとった。

 旧市街のあたりは、毎朝立つという市、レストラン、海岸でのんびりする観光客も、庶民的に見えた。

  (ニースの海)

       ★

<世界で2番目に小さな国・モナコ>

 そのあと、モナコへ向かった。

 モナコと言えば、私の世代にとって、ハリウッド女優のグレース・ケリーが王妃として嫁いだ国である。それ以外のことは知らなかった。

   ニースから観光バスで30分少々。イタリア国境まで30キロという所に位置する。

 モナコ公国の面積は2平方㎞。バチカン市国に次ぐ小国とか。しかも、海岸から数百メートルの背後にフランス国境の山が迫っている。

 ジェノヴァの貴族グリマルディ家が、13世紀末以来、支配してきた。今は立憲君主制だが、君主(元首)の権限は強い。

 もともと領土と言っても岩山ばかりの所だった。19世紀にカジノを導入して以来、高級リゾートへと発展していった。

 所得税はなく、消費税のみ。タックス・ヘイブンの国で、そのため国民の人口よりも外国人の居住者が多い。居住者は億万長者のセレブばかりだ。彼らの落とすおカネのお陰で、一人当たりの国民所得は世界一というのだから驚く。

      ★

 大公宮殿は、波打ち寄せる岩礁の岬の上に建っている。

 (大公宮殿)

 岩に打ち寄せる波と宮殿の壁がマッチングして見飽きなかった。

 宮殿前広場では、折しも衛兵交替が行われていた。

 

   (儀仗兵の交替)

 モナコの公用語はフランス語。通貨はユーロ。防衛もフランスに依存する。

 軍隊は大公の警護や儀仗を行う1中隊のみ。

 その分、住民の数に比して警察官の数が多く、治安は極めて良い。治安が良いから、世界のセレブが居住する。

 大公宮殿に隣接して、美しい大聖堂があった。金箔のビザンチン風ドームが美しい。

 (モナコの大聖堂)

 大公宮殿や大聖堂のある岬の岩山から、パノラマのような眺望があった。

 開発され尽くされている。モナコの人口密度は世界有数だとか。国民の数より外国人の居住者が多く、地価は高い。我々庶民がここに住みたいと思っても、買える価格ではない。

 ストリート・サーキットの「モナコグランプリ」も、この街で開催される。カジノもサーキットも、モナコの映画祭と同じように、「しかけ」である。

  (モナコの全景)

 今や、モナコ大公は、封建領主というより、きわめて有能な資本家・投資家である。

 モナコからニースへの帰路。絶景ポイントに寄るという口実で、崖の上の小さな町・エズの村に近い香水店に寄った。他にも観光バスが停まっていて、広い店内は客で賑わっていた。ここにもおカネが落ちる「しかけ」がある。

 バスの車内で、現地ガイドの女性(フランス人)がお勧めの商品を2、3品、熱心に言葉巧みに紹介していたから、おばさまたちはほとんど全員が幾つも買いこんでいた。

 まだ、旅の初日ですぞ!!

   国内・国外を問わず、この当時の団体ツアーではよく見かけた光景で、店からのリベートがガイドの懐に入る仕組みになっているのだろう。

 そのあと、ニースの海辺のレストランで夕食をとって、夜、ホテルに帰った。

      ★

 今日は3つの町を回ったが、コート・ダジュールはやはりリゾート地だと思った。

 観光バスで乗り付けて、集団でぞろぞろ歩き、また次へ移動するというような所ではない。2、3日でも滞在して、のんびりと紺碧の海を眺めて過ごすとか、列車や路線バスに乗って小さな町 ─ 例えば、まだ漁村の名残りをとどめる町だとか、地中海を見下ろす崖の上の村だとか、晩年のマティスが造ったロザリオ礼拝堂のある町だとか ─ を訪ねたりするのがふさわしい。

 またいつか来ることがあれば、今度はそういう旅にしたいと思った。                                                               

 

 


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