ドナウ川の白い雲

ヨーロッパの旅の思い出、国内旅行で感じたこと、読んだ本の感想、日々の所感や意見など。

アルペン街道をゆく … ロマンチック街道と南ドイツの旅(10)

2020年06月14日 | 西欧旅行…南ドイツの旅

 (アルペン街道をゆく … 車窓から)

 ノイシュヴァンシュタイン城から、ルートヴィヒ2世の2番目の城、リンダーホーフ城までは約50キロである。

 バスに乗って新白鳥城から野の方へ下っていくと、城のテラスから見た赤い屋根の小さな教会があった。玉ねぎ型の青いキャップをかぶった白い塔が寄り添っている。

 相当な数の人々が教会の周辺に集まっているが、いったい何事だろう?? そう言えば、今日は日曜日である。

 絵に描いたような牧歌的な光景だった。 

 (日曜日の小さな教会)

 『地球の歩き方』に、読者の投稿としてこの教会が紹介されていた。聖コロマン教会という名らしい。投稿した旅人も、新白鳥城とは一味違う牧歌的な野の教会が印象に残ったのだろう。

   バスはアルペン街道をゆく。

 険しくそそり立つ岩山があり、小さな集落があり、小さな教会がある。

        ★

<リンダ-ホ-フ城と王の孤独>

 リンダーホーフ城は、城というよりも王の別邸という感じだ。「△△城」という名にこだわりがあったのだろうか?? 「城」のもつ戦い、或いは、防御のイメージとは無縁で、こじんまりした優美なたたずまいである。

 ノイシュヴァンシュタイン城に遅れて竣工し、4年後に完成した。ルートヴィヒ2世が生きている間に完成した唯一の城で、実際にしばしば滞在したそうだ。 

 (リンダーホーフ城)

 庭園は、アルプスの山々や森を借景に取り入れつつ、あくまでヨーロッパ的である。

 邸宅の前には32mの高さに水を噴き上げる海神ネプチューンの泉があり、風の向きによって霧状の水が飛んできた。

 前方と後方に展望用の丘が造られ、写真は前の丘のテラスから撮影したもの。邸宅の後ろにも緑の丘があり、鳥籠のような形の緑のテラスが見える。

 敷地内には、「ヴィーナスの洞窟」や「ムーアのキオスク」など、ワーグナーのオペラに登場する伝奇的な施設もあるようだが、ルートヴィヒの奇怪好みにはついて行けないので、ゆっくり庭園を散歩した。しかし、同行の皆さんの半分以上は、何でも見てやろうと見学に行っていたようだ。

   ドイツ語のルートヴィヒは、フランス語ではルイ。

 彼は、ルイ14世を偉大な王として尊敬していた。食事は、深夜に、一人でとることが日常になっていたが、しばしばルイ14世らを食事に招いて、目の前にいるかのように挨拶をし、語りながら食事をしたという。好きな時に招待し、好きな時にお引き取り願えるから、このやり方がいいと言っていたそうだ。

 給仕人は入れない。完全に一人で食事ができるよう、調理室からテーブルをせり上げる装置が造られていた。

 孤独な人である。

      ★

<オーバーアマガウのメルヘンの壁画>

 リンダーホーフ城のあと、またバスに乗り、オーバーアマガウへ向かった。

 オーバーアマガウは人口5千人ほどの小さな町だが、町はずれの民家のメルヘンの壁画が有名なのだ。

 近くの路上にバスを停めて、遠慮がちに短時間、見学した。

 そういえば、このあたりの民家から抗議の声が上がっていると何かで読んだことがある。観光バスで大勢の外国人観光客が民家の周りに押し寄せ困っているというのである。

 この旅の2009年当時、観光バスで押し寄せるのは日本人しかいない。欧米人は基本的に個人旅行だ。中国人が日本やヨーロッパに押し寄せるようになるのは、もう少し後である。

 日本の海外ツアーは、高度経済成長時代の「〇〇会社」や「△△農協」の国内温泉旅行が発展したもので、多分に殿様気分の物見遊山のツアーとしてスタートした。

 わが一行のおばさんたちの中には、庭に入り込んで写真を撮っている人たちもいた。

 日本の週刊誌に一言。個人主義とは、プライベートを尊重し、人の家の中を覗かないということだ。仮に見ても、見ざる、聞かざる、言わざるが人間としての品性というもの。

 

 (赤ずきんちゃんの壁画)

  民家の外壁に描かれた壁画は、南ドイツ、オーストリア、スイス、イタリアの北部などアルプス地方に見られるそうだ。

 紅山雪夫さんの『ドイツものしり紀行』に、ガイドブックなどでこれらの民家の壁画を「フレスコ画」としているが、それはまちがいだとある。「セッコ」という絵画らしい。実際、『地球の歩き方』も、このツアーの「旅のしおり」にもフレスコ画となっていた。

 フレスコ画は漆喰が乾かないうちに一気に仕上げる必要があり、一度描いた箇所は修正がきかない。だから、フレスコ画を描く画家は相当高度な技術の持ち主で、制作に当たっては何度も下絵を描き、事前のトレーニングをして臨む。セッコは、乾いた壁に塗り、上塗りの修正もできるそうだ。

 この町を有名にしているものがもう一つある。以前、テレビで見た。

 10年に1回、町を挙げて、キリスト受難劇を行うのだ。最後の晩餐、ゲッセマネの祈り、エルサレム入城、十字架刑上の死、そして復活。

 1632年のペストの大流行のとき、この村は奇跡的に被害を免れた。それ以来、10年ごとに、30年戦争の最中にも絶えることなく続けられてきたという。

 出演者は町の全員。開催の年は年間102回の公演がある。1回の公演は5時間半。仕事を休むことも意に介さない。

 観客は、全世界からやって来る。

 主役のイエスの役に選ばれたいと思った若者は、10年後を目指して、ヒゲを伸ばし、髪も伸ばし、節制して痩せ、相貌がだんだんとイエスに似てくる。もちろん12使徒や母マリアも花形だ。そういう町の様子をとらえたテレビ番組だった。

         ★

 日が少し傾いた午後、バスはミュンヘン郊外のバイエルン王家の夏の離宮を目指して走った。

 

 

 


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