湖北の秋に、思わず車をとめて写真撮影した。
「京都は桜が盛りでも、まだその辺は早春で、枯れ枝の中にこぶしの花が咲いていたりする。紅葉の頃には、もう粉雪が降りはじめる。寂しいけれども暗くはなく、しっとりしていても、湿っぽくはない。陶器にたとえれば、李朝の白磁のような、そんな雰囲気が好きで私はしばしばおとずれる」(白洲正子『かくれ里』)。
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少し大回りして、今、人気のメタセコイヤの並木道を走ってみた。
(メタセコイヤの並木道)
のどかな湖北の野の中に、2.4キロに渡って約500本のメタセコイヤが植えられている。黄一色にはまだ少し早い。
(メタセコイヤの並木道のある野)
それに、ちょっと観光の車が多すぎる。自分もその1台ではあるが。『冬のソナタ』のようにはいかぬようだ。
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マキノ町、今津町、新旭町、安曇川(アドガワ)町、高島町を走る。
湖西は、比叡山とその北に続く比良山系の山並みが湖岸まで迫って、平野は少ない。だが、湖西でも北部のこの辺りは、比良山系が後ろに後退し、山と湖の間に平野が開けている。
司馬遼太郎『街道をゆく1』から
「安曇(アド)は、ふつうアヅミとよむ。古代の種族名であることはよく知られている」「厚海、渥美、安積、熱海などさまざまに書くが、いずれも海人族らしく潮騒のさかんな磯に住みついている」。
安曇氏については、当ブログの「国内旅行」の「玄界灘の旅10 海人・安曇氏の志賀海神社へ行く」及び「国内旅行」の「信州の旅4 北アルプスの山麓をゆく」を参照。
高島は、古代、藤原仲麻呂が吉備真備の率いる朝廷軍と戦い壊滅した地であった。
だが、それよりもさらに昔、この辺りは古墳が数多く造られ、中でも稲荷山古墳からは金色の飾りの付いた王冠、耳飾り、靴など多数が発掘された。日本海ルートで新羅と交流があったと言われる。墓の主である彦主人王は継体天皇の父で、母は越前の三国氏だ。
ただし、この旅ではそれらも全てスルー。
秋の日はつるべ落とし。暗くなる前に石山の宿に入りたい。
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再び比良の山並みが湖の間近に迫ったあたりで、道路沿いに白髭神社の看板を見つけた。ここだけは立ち寄る。近江国でも、最も古い神社と言われる。
(白髭神社)
白洲正子『近江山河抄』から
「この神社も、古墳の上に建っており、山の上まで古墳群がつづいている。祭神は猿田彦神ということだが、上の方には社殿が三つあって、その背後に、大きな石室が口を開けている」。
ウイキペディアには、背後の山中に横穴式石室が残るほか、山頂には磐座と古墳群が残っている、とある。
祭神とされる猿田彦は「古事記」「日本書紀」に登場する。高天原から降りてくるニニギノミコトを出迎え、道案内をする国つ神で、巨大な体躯をしていた。
しかし、何でも「記紀」の神話の中に祭神を求めなくてもよいだろう。
祭神は猿田彦とは別に、白鬚大明神とも、比良明神とも言われたりするようだ。要するに混沌としている。混沌としているところがいい。
比良明神も白鬚明神も、この神社を舞台とする謡曲の「白鬚」も、共通するイメージは湖畔で釣り糸を垂れる白鬚の老人である。やや中国の神仙思想的だが、このイメージも悪くない。
古代人の誰かが、この付近でそういう老人を見かけて、この地の神の化身と思ったのかもしれない。
日本の神々の起源は「記紀」の成立や仏教伝来などより遥かに古く、弥生時代、縄文時代にまで遡ると言われる。
各神社の掲げる「祭神」などにはあまりとらわれない方が良い。
手を合わせて、「猿田彦の神さま」とか「菅原道真さま」とか「北畠顕家さま」ではなく、「この地の神さま」と呼びかけたら良いのだ。その一言の呼びかけで、千年、数千年の人々の思いと一つになれる。古来、人々はその地、その場に何か聖なるものを感じて注連縄を張り、社を作った。神さまの名前などは、所詮、後世の人間の作である。
神社の門前の道路は、車が絶え間なく走る。信号も横断歩道もないから、疾走している。参詣者は、そこを何とか渡る。道路を渡ると、道路のすぐ下は湖岸で、湖水に赤い鳥居が立っている。
(白髭神社の鳥居)
人々が、湖岸に坐って、しばらくこの鳥居に見とれている。水鳥が浮かび、また、鳥居にとまって羽を休ませている。
厳島神社同様、昔は舟に乗って鳥居をくぐり、湖岸の斜面に取り付いて、山の斜面に建てられた白鬚の社に参詣したのではないか。或いは、舟から鳥居越しに比良山を拝んだのではないか。比良は、この地方の「神の山」とするにふさわしい。
鳥居はまた、湖の反対側、湖東の島を背景にするように立てられている。
沖の島である。琵琶湖でいちばん大きく、人の住む唯一の島。島のすぐ後ろは、水郷の近江八幡。岸辺に山があり、長命寺が建つ。明日、参拝するつもりだ。
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白鬚神社を出ると道路が混み始め、渋滞になり、またスムーズに流れ、時間がかかった。
運転に集中し、先を急いだ。浮御堂も、最澄よりもずっと古い日吉大社も、ささなみの志賀の宮跡も、三井寺の晩鐘も、義仲寺も、今回はパス。また、今度。
そして、夕闇の濃いなか、何とか石山の小さな宿にたどり着いた。
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