( 城壁から見たドゥブロヴニク )
旅の終わりに
塩野七生の 『海の都の物語』 は、ヴェネツィア共和国一千年の歴史物語である。かつてヴェネツィアの商船が行き交った海、アドリア海を見てみたい …… そういう思いでツアーに参加した。
「紺碧のアドリア海感動紀行10日間」というタイトルのツアーだったが、実際にアドリア海沿岸地方を巡ったのは3日間だけだった。それでも、青い空と青い海、島々と、入江と、海に迫る山並みと …… そして、ヴェネツィアの東方貿易の拠点となった幾つかの歴史的な港湾都市を訪ねることができ、満足した。
帰国してブログを書き始め、改めて、自分がツアーで訪ねた国々やその周辺国 ━━━ スロヴェニア、クロアチア、さらにアドリア海に沿って南下すればモンテネグロ、東に向かってボスニア・ヘルツェゴビナ、さらに東へ行けばセルビアなど ━━━ これらの国々の歴史や文化について、ほとんど何も知らないことに気づいた。
書くために調べ、調べるにつれて興味が深まり、書くことによって頭の中を整理をし、せっかく得た知識を忘れないために書いた。
スラブという枠組みが、例えば、ゲルマンという枠組みと同じで、自分たちを支配するオスマン帝国やハブスブルグ帝国からの自立を目指すという点では一致できても、一つの統一国家をつくるほどの絆にはなりえなかったのだということを初めて知った。
ボスニアになぜイスラム教徒が多いのかと言えば、この地方には、もともとキリスト教から異端とされ、迫害を受けていた人々がいて、オスマン帝国に征服されたとき、それならいっそうイスラム教に改宗しようということになったのだ、ということも初めて知った。
確かに、例えば、イベリア半島でも、シチリア島でも、イスラム勢力が政治的に支配していたときには、各自の信仰はほぼ保障されていたが、キリスト教勢力が支配すると、イスラム教徒やユダヤ教徒は厳しい迫害を受けた。歴史的には、イスラム教の側の方が寛容であった。
ドゥブロブニクが元はラグーサ共和国で、ヴェネツィアに反旗を翻し、小なりと言えども自立した都市国家であったということも、これまで知らなかった。
(海上からドゥブロブニク)
虹のように架かる高い石橋の上から少年たちが川に飛びこむ映像をテレビでみたことがある。今回の旅で、その世界遺産の橋のあるモスタルという町を訪れるようとは、思ってもみなかった。
帰国して調べていたら、その町は、サッカー日本代表監督ハリルホジッチが高校時代を過ごし、やがてその町のプロチームに所属し、ヨーロッパで華々しい活躍をした後、監督として戻ってきた町であることを知った。内戦のとき、彼は、一人の市民として多くの人を助けたが、重傷を負い、全財産を失って、フランスに脱出しなければならなかった。
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調べていて、一番、心を奪われたのは、1991年に始まる内戦のことだった。
内戦のことを調べながら、今、ヨーロッパを揺り動かしている難民受け入れ問題が気になった。
犬養道子の『ヨーロッパの心』(岩波新書) は、古いけれど、名著だと思う。その中のスイスの項に、
「 ( スイスでは ) 外(国)人労働者の大方は (フランス、ドイツのように) 『 汚れ仕事 』 に従事しない。道路清掃 ( フランスではアルジェリア人とほぼ決まっている ) やゴミ処理は、スイスの人間が主となってやる 」。
「 難民受け入れのやり方や態度に至っては、わが日本は爪の垢でもいただきたいほど ( 注 : 1980年ごろのベトナムからのポートピープル受け入れのことを言っている)。定住センターなどつくるかわりに 、各共同体の各員が家を提供し、語学を教え、職をさがす」。
日常の言葉すらわからない「難民」を、本気で受け入れようとすれば、こうしなければならないのだろうと思う。地域共同体ごとに、難民の一、二家族を、包み込むように受け入れなければ、うまくいかない。「お上」(国や自治体) にできることは限られている。
ドイツ・メルケルは百万人の難民を受け入れると言い、EU各国も、競うように受け入れ目標を発表した。
社会的合意が不十分なまま、どんな受け入方をするのだろう??
遠いヨーロッパのことではあるが ……。
(スロベニア・ブレッド湖)
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「年末に印刷機を買い替えたので、試運転してみました」と、新年早々、知人からカレンダーをいただいた。見れば、わがブログの写真で作ったカレンダーである。
1月~6月の写真は、昨年の秋に行った「フランス・ロマネスクの旅」。オーセールの町の橋の上からの景色で、「ヨンヌ川の青い空と白い雲」。
7月~12月は、今回の「アドリア海紀行」から、プリトゥヴィツェ湖国立公園の「森のはずれの休憩所の黄葉」である。
新年早々、思いがけず、たいへん感激しました。ありがとう。こんなにカッコイイカレンダーになるとは、思ってもみませんでした。
( ずいぶん長くかかってしまいましたが、これで「アドリア海紀行」は終了します。ご愛読、ありがとうございました)。
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