月曜日は「読売俳壇」「読売歌壇」が掲載される日で、毎週、楽しみにしています。私自身は句も歌も作りませんが、掲載された作品の中に自分の心にフィットする作品があるとうれしいです。
ただし、受け手は身勝手で、作り手の感動をそのまま共有するということはなかなかできません。
というのも、俳句も短歌もいわば世界最小の文学作品ですから、その短い表現を足掛かりに、表現の外の世界へと、受け手のイメージは勝手に広がっていってしまいます。
ただし、それも結局、受け手の「経験」という枠の中であるように思います。
ここで言う「経験」とは、人生の中で体験した事柄だけでなく、勉強して得た世界や読書や映画鑑賞で広がった世界などを含む自分の「宇宙」のことです。人はそれぞれに自分の小宇宙をもっています。
作り手の意図を考慮しつつも、受け手は自分の小宇宙の中で、作り手の意図やイメージからズレていき、相当にズレたところで勝手に感動するということになってしまうこともあります。
しかし、作り手は、「その解釈、ちょっと違う!!」などと文句を言ってはいけないのです。世間に発表した瞬間から、作品は自分の手を離れて、人々に受けとられ自由に鑑賞されます。その意味では、発表してしまった作品の所有権は読者になってしまいます。
『去来抄』に、去来の「岩鼻やここにも一人月の客」の句を、師である芭蕉が去来が思いもしなかったような優れた解釈・鑑賞をする話が出てきます。鑑賞は時に作り手を乗り超えてしまうこと、鑑賞もまた創造であることの例としてよく引用される話です。
芭蕉のような素晴らしい鑑賞はなかなかできませんが、受け手の勝手な想像を、作り手の方もニコニコと、時には、ニヤニヤと、楽しんでいただけたら幸いです。
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<桜の句>
まずは桜の句を2句。
今年の桜も、浮かれることもなく季節とともに去っていきました。来年こそもう少し朗らかな心で桜を眺めたいですね。
〇 風少し雨の少しを山桜 (神奈川県/新井たか志さん)
桜といえばソメイヨシノ。でもソメイヨシノは明治以後に広がった改良種で、古代から日本人に愛され詩歌に詠まれた桜は山桜だそうです。
山桜は若葉と同時に開花します。若葉のやわらかい薄緑を映す清楚な山桜の花は、楚々として気品があり、﨟(ロウ)たけた美女の風情があります。歳時記に、「ソメイヨシノよりもこの方を好む人もいる」とあります。
選者の宇多喜代子さんの評 ── 「天候不順の中の山桜だが、この少しの風や雨は山桜にとってはなによりのものであったのだろう。日の中の山桜もいいが、しっとりとした山桜もいいものである」。
山里の風情も感じられて、いい句ですね。
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〇 満開のさくらを永久の別れとす (加須市/松永浮堂さん)
この句の「永久の別れ」とは、どのような別れなのでしょうか。そのことが気になり、心に残る一句でした。選者の評もなかったので、自分に引付けて鑑賞するしかありません。少なくとも「満開のさくら」とともに別れるのですから、悲しくても、美しい別れであることはまちがいないと思います。
随分古い記憶ですが、この句を見た時すぐに、昔、新聞に投稿されていた短いエッセイを思い出しました。ふだん、新聞の読者欄を読む習慣はなかったので、そのエッセイを読んだのは本当に偶然でした。投稿されたのは女性で、亡くなったお母様のことを書いておられました。
不治の病であった母が最期にどうしても「弘前城の桜」を見たいと言い出し、心配する私を残して旅に出ました。途中で具合が悪くなり、動けなくなってしまったらと心配していた私をよそに、古い友人たちに支えられ、元気に旅をしたようでした。
母は帰宅し玄関を開けた途端に、「ああ、楽しかった。あんなに美しい桜は見たことがない。行って本当に良かった!!」と言われたそうです。
それから間もなくしてお母様は心静かに逝かれた、そういう内容でした。
これを読んだ時の私はまだ働き盛りで、ふだん死のことなど考えたこともなかったのですが、美しい桜のイメージを心に抱いて亡くなったお母様の最期に深く心を打たれました。
真善美といいますが、日本人は古来から真や善よりも「美」を愛する民族だと言われます。「正しい生き方」よりも「美しい生き方」にあこがれます。
辻邦生『西行花伝』から。
「師西行はこうして満月の白く光る夜、花盛りの桜のもとで、七十三年の生涯を終えた。
願はくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月(モチヅキ)の頃
(中略)
仏には 桜の花を たてまつれ わが後の世を 人とぶらはば」。
さて、元の「満開のさくらを永久の別れとす」という句に戻ります。
この句を見た時、すぐに記憶の中から上のエッセイが甦ってきたのですが、「永久の別れ」を青春の日の人との別れとして味わうこともできるように思います。以前にもこの項で書いた詩を思い出します。
「惜別の歌」。原詩は島崎藤村です。
(1番) 「遠き別れに耐えかねて/この高殿にのぼるかな/悲しむなかれわが友よ/旅の衣をととのえよ」
(2番) 「別れと言えば昔より/この人の世の常なるを/流るる水を眺むれば/夢恥ずかしき涙かな」
(3番) 「きみがさやけき瞳の色も/きみくれないのくちびるも/きみがみどりの黒髪も/またいつか見んこの別れ」
小林旭の歌が有名ですが、ちあきなおみの歌う「惜別の歌」も、凛として哀愁があり好きですね。
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<旅の句>
コロナ禍でヨーロッパ旅行にも行けなくなりました。しかし、ヨーロッパ旅行はもうそろそろ終わりにしようかなという気持ちになりかけていたところなので、よいのです。
でも、国内旅行はまたまだ行ってみたい所があります。
にもかかわらず、県内や隣県にさえ思うように旅行できないのは、残念無念です。
せめては旅の句を楽しむとしましょう。
〇 湖西線比良八荒の宿さがし (東京都/吉田貞夫さん)
湖西は、比叡山とその北に続く比良山系の山並みが湖岸まで迫っていて、平野が少なく、湖東と比べたらずっと鄙びています。
若い頃、湖西線に乗って比良登山に出かけました。最高峰は武奈が岳の1214m。標高で言えば千メートルを超えるぐらいの山並みですが、屹立した山容は少しアルペン的な雰囲気も感じさせて、好きな山でした。
この句の季語は「比良八荒」。それを調べました。
陰暦2月24日の頃、寒気が戻り、比良山系から湖南の水面をたたきつけるように吹き下ろす強いおろし風のこと。春(仲春)の季語。
陰暦では1月、2月、3月が春。順に初春、仲春、晩春。太陽暦になおすと、ざっと1カ月遅れ。昔の人の季節感は、今より少し早かったようです。ちなみに2021年の立春(即ち陰暦の正月。1月1日)は2月3日でした。豆まきをする「節分」は大晦日の行事です。
陰暦2月24日は太陽暦では3月の下旬になり、比良八荒は、湖国に本格的な春の訪れを告げる自然現象でもありますが、その荒れ方はすさまじく、「琵琶湖周遊の歌」で有名な4高のボート部の遭難はこの比良八荒によるものです。
「比良八荒」という言葉は、もともと「比良八講」からきているそうです。昔、比良明神を祭神とする白鬚神社において、陰暦の2月24日から4日間、比叡山延暦寺の衆徒が法華経8巻を読経し供養したそうです。それで、ちょうどその頃に吹き荒れる嵐を、「比良八荒」というようになったのです。
今、「比良八講」の法要は再興され、毎年、太陽暦の3月26日に、比良山系の打見山で取水した水を湖上に注ぎ、水難者への供養を行うそうです。
昨年、琵琶湖周遊の旅の折、湖岸の白鬚神社にも寄りましたが、そのときはこういうことも知りませんでした。でも、旅で訪ねた経験がこの句によってさらに触発され、勉強しました。
白鬚神社の祭神は猿田彦とも、白鬚大明神とも、比良明神とも。
「比良明神も白鬚明神も、共通するイメージは湖畔で釣り糸を垂れる白鬚の老人である。古代人の誰かが、この付近でそういう老人を見かけて、この地の神の化身と思ったのかもしれない」と、昨年のブログに書きました。
神社の門前からは見えないのですが、自動車道路を横断すれば、そこは湖岸で、湖水に赤い鳥居が立っています。
(白髭神社の鳥居)
「昔は舟に乗って鳥居をくぐり、湖岸の斜面に取り付いて、山の斜面に建てられた白鬚の社に参詣したのではないか。或いは、舟から鳥居越しに比良山を拝んだのではないか。比良は、この地方の『神のすむ山』とするにふさわしい」(ブログから)。
比良八荒の頃、鄙びた湖西で宿さがしをする。旅の俳人・芭蕉の風韻を感じる句だと思います。
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〇 花辛夷ここより旅のはじまりぬ (能代市/原田祥子さん)
白梅、紅梅。やがてモクレンがつぼみをふくらませ、桜が咲きます。関西ではコブシに注目することはあまりありません。
例の歌からですね。「白樺 青空 南風 こぶし咲くあの丘 北国の ああ北国の春」。
昔、4月に信濃の国に旅したとき、自然はまだ緑が一つも見当たらない冬枯れの景でしたが、渓谷の向こうの深い雑木林のなかに、二つ、三つ。ぼっと地味な白い花をつけた高木がありました。あれはきっとコブシの花だ、と思いました。
モクレン科の落葉高木。春、白い花をつける。花はモクレンより小さく、葉に先立って開花する。花弁は10枚ほど。花の下に小さい葉を1枚つける。
北国の春の旅立ちの花ですね。
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〇 仁淀急四万十の悠麦二葉 (広島市/藤域元さん)
旅の句かどうかわかりませんが、私にとって四国は少し遠い。よって、旅の句になります。大きな図柄の句ですね。
選者の正木ゆう子先生の評。「高知県の清流仁淀川と四万十川。片や急流、片や緩やかなのだろう。流域の麦畑と取り合わせて、多くの情報をきっちりと詠み込んだ」。
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〇 春風やどこまでもゆきたくなりぬ (玉野市/北村和枝さん)
同じく選者の正木ゆう子先生の評。「一見ありふれた思いのようだが、考えてみれば人はふつう決して何処(ドコ)までも行ったりはしない。だからこそ春風にふっと憧れが湧くのだ。
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〇 梅雨雲の上に抜け出て旅始まる (神奈川県/中島やさかさん)
選者の小澤實先生の評。「梅雨時期の飛行機での旅。梅雨雲の下はうっとうしいが、雲を突き抜けると、その瞬間に陽光が機内に満ち、晴れ晴れする。飛行機を省略したことも鮮やかだった」。
列車の旅も良いが、高度数千mから見下ろす地形は地図を見ているよう。幾重にも重なる山々も、幾筋もの谷筋も、川も、田園も、この列島こそわがふるさとなのだと実感させられます。
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