( 富貴寺山門 )
真木大堂から、富貴寺 (フキジ) の駐車場に着く。
周囲はのどかな田んぼと畑で、ここの駐車場の脇にも案山子たちが立って、出迎えてくれた。
空き地や駐車場の脇に置かれているのだから、雀やカラス対策であるはずはなく、参詣者・観光客の目を慰めようとのサービス精神? いや、その心は収穫を終えたあとの祭り気分かも。どうだ、案山子もここまで出来たら美術品だろうと、ちょっと得意顔のおじさんやおばあさんが目に浮かぶ。
マネキンを使い、美しい布地で衣裳を作れば、きれいな「人形」はできる。しかし、「世界農業遺産」に認定された村らしく、あくまで昔ながらの「案山子」の枠のなかで作って、しかもなかなかの出来映えである。
駐車場の端の畑の横で、コンビニで買ってきた昼食のおにぎりを食べた。おにぎりを買っておいたのは正解だった。道中、食堂、レストランめいたものは見なかった。
この世の中で旨いと思うものを2つ挙げろと言われれば、とりあえず日本のおにぎりと、イタリアで食べるパスタ。もちろん、これは私の好み、主観であるが、なにしろ2000年を超える食の歴史と味わいがある。アメリカ風ファーストフードが太刀打ちできるはずがない。
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( 富貴寺の山門 )
富貴寺は、平安時代の終わりごろに、宇佐八幡宮の大宮司家の氏寺として創建された。西叡山高山寺という大寺の末寺である。
末寺でだが、今、国東半島の第一の観光スポットとして、観光バスもやってくる。
それは、わずかに残る阿弥陀堂(富貴寺大堂)が、現存する寺社仏閣などの建造物のなかで、九州最古の木造建築物であり、大分県内では数少ない国宝の指定を受けているからだ。
( 国宝の阿弥陀堂 )
六郷満山は天台宗系であるが、にもかかわらず、そこに阿弥陀堂があるのは、平安後期の末法思想による時代の精神であろう。
宇治平等院鳳凰堂、中尊寺金色堂と並ぶ日本三大阿弥陀堂の一つとされるそうだ。
他の二つを創建した勢力の巨大な財力と比べれば、こちらはさすがに質素にも見える。だが、創建当時を再現した県立歴史博物館の富貴寺大堂の金色の輝きを見ると、宇佐八幡宮の大宮司の財力もなかなかのものであることがわかる。
( 創建当時の阿弥陀堂の復元 )
屋根の反りがいい。
内部に入ると、中央に祭壇があり、寄木造りの阿弥陀仏が安置されている。今は、彩色は消え、古色の気品がある。
周囲の壁には一面の壁画。極楽浄土を表した仏や菩薩たちの彩色もほとんど消えかかっている。しかし、これも県立歴史博物館の再現された阿弥陀堂の中の壁画によって、平安後期の美しく彩色された絵がどのように繊細なものであったかを見ることができる。
保護のため、お天気の悪い日はお堂を閉じて、公開しないそうだ。運が良かった。
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