< はじめに … これは10年前の旅です >
今回の旅行記「ロマンチック街道と南ドイツの旅」は、2009年10月に参加したツアー旅行の記録である。
ブログ『ドナウ川の白い雲』を書き始めたのが2012年だから、それよりも前の旅ということになる。
その頃、私の旅に同行していたカメラは、アナログの35ミリ1眼レフだった。
そのカメラがデジタルカメラに替わるには、ちょっとした事件があった。
2009年の1月、「冬のプラハとパリ」に出かけたとき、パリの凱旋門の下の地下道で、数名のグループの巧妙な手口によってカメラを盗られてしまったのだ。
カメラがないと旅行する意味が半減する。それで、デジタル1眼レフを新調した。世の中はとっくにデジタルの時代になっていたが、それまでなかなか吹っ切れないでいた。
というわけで、2009年以前の写真はアルバムとフィルムしか残っていないが、デジタルカメラに変えた2009年以降の写真はパソコンの中に残っている。
そこで、この際、2009年~2012年の旅の記録もブログに残そうと思い立った。
というわけで、題材となっている旅は、もう10年も前のことであることを初めにおことわりしておきたい。
その頃の自分の写真を改めて見ると、まだまだ若くて、驚いてしまいます。
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< 森の国ドイツへの旅 >
2009年のツアー旅行で回ったのは、ドイツ観光局が観光用にネーミングした「ロマンチック街道」と「アルペン街道」のほぼ全部、それに「古城街道」の一部である。「南ドイツ」と言って良い範囲だ。
私のヨーロッパ旅行は、それよりさらに10年以上も前の1995年の秋にはじまる。
最初は、ドイツ・フランスへの視察研修旅行だった。観光旅行ではないから、私的な観光が許されるのは研修のない土曜日の午後と日曜日だけだった。
ドイツに着き、フランクフルトに滞在した最初の土曜日にハイデルベルグへ、翌日の日曜日にはローテンブルグへ、一行の人たちとともに行った。視察旅行の添乗員のはからいで、観光バスをチャーターしてもらったのだ。もちろん、費用は自分たちもちである。
車窓から見る秋色の南ドイツの風景はすばらしく、ハイデルベルグもローテンブルグも、ロマンチックというか、メルヘンチックというべきか、夢のような国だと思った。
そして、いつの日か、「ロマンチック街道」と名付けられた全行程を走ってみたいものだと思った。
次は、その1995年の旅の記録の一部である。
『初めての異国 ドイツ、スイス、フランス紀行』から (1995、11、10~11、25 自著)
「ドイツは森の国である。アウトバーンも森の中を通り抜ける。
ナラ、ブナ、白樺などの落葉樹が黄色、きみどり色、茶色に色づき、森の土は落葉で深々とおおわれている。それらが小雨に煙る風情はすぱらしい。
森が尽きると、目の覚めるような緑の牧草地や黒っぽい耕作地があらわれ、赤い屋根と白い壁と出窓が印象的な村が見え、やがてまた、森に入る。
ドイツ人は余暇を自然の中で過ごす。日曜日には家族でキノコ狩りを楽しみ、長期休暇に入ると高校生たちはワンダーフォーゲルの旅に出る。ゴルフは流行らず、ディズニーランドもできなかった。
彼らは森の民である」。
2009年のツアー旅行は、点と点を結んで途中は高速道路をすっ飛ばすというツアーではなく、「ロマンチック街道」の田舎の道を全行程を忠実に走るというツアーを選んだ。
ツアーゆえのもの足りなさは随所にあったが、城壁で囲まれた中世そのままの小さな町や、ディズニー映画の中に出てくるような美しいお城に感動した。そして、森や、畑や、牧場や、村や、小さな教会や、墓地を、車窓から眺めながら走るバスの旅そのものが楽しく、心に残る旅になった。
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< 「青春のハイデルベルグ」へ … 2009年10月7日>
朝、ルフトハンザ航空で関空を出発。
現地時間の午後3時半、フランクフルトに到着した。
観光バスに乗り換えて約90キロ走り、夕方、ハイデルベルグのホテルに到着する。
外はまだ十分に明るく、ホテルの近くのビスマルク広場の商店街を歩いてみたり、ネッカー川の岸辺を散策した。
美しい風景の中、学生たちがカッターを漕いでいた。
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ハイデルベルグは、大学の町である。
ハイデルベルグ大学の創立は1386年。
当時、ドイツという国はまだなく、神聖ローマ帝国内では、プラハ大学、ウィーン大学に次いで3番目にできた大学だった。
もちろん今もドイツの名門大学で、多くのノーベル賞受賞者も輩出している。
例えば、饗庭孝男は『ヨーロッパの四季』の中で、このように書いている。
「ハイデルベルグはパリからだと1日1回、朝、直行の汽車があり、あとはマンハイムで乗り換えとなる。
南の方から入るときはミュンヘン経由だし、北からだとフランクフルトから1時間で、途中森や林を通りぬけてくる。
町はネッカル河の出口にあたり、平野を走ってこの町に近づいてくると、私の歓びは倍加してくるのであった。
駅はなお南のはずれにあるから、河や森は見えない。駅で降り、案内所で宿をとったのち、タクシーで町へゆく頃から、河の両側にある森と山が見えてくる。河沿いの道を走り、『アルテ・ブリッゲ』の近くで上がって宿へゆく。
( アルテ橋 )
この河沿いの道から、森にあふれた町のたたずまいを眺めていると、私は懐かしい思いでいっぱいになるのであった。
この『懐かしさ』というのは、前世からの、といってもよい。
昔、学生の頃、哲学であればこのハイデルベルグ大学へ勉強しにきたいと思っていた。その意に反して結局は文学を選び、パリ大学へ行ったのである。
しかし私が昔からその本に馴れ親しんでいた『京都学派』の人たちの多くがここに留学したこと、それに京都の『哲学の径』を歩くと、この町の左側、山の中腹につながる『哲学者の径』を思い出し、いつしか何度もこの町に来るようになったのである」。
「両岸を見ると、夏草の間をさわやかな風を受け、サイクリングをしている若い人たちがいる。太陽のかがやき、草いきれ、まさに<青春>がそこを駆け抜けていく感がする。子供の頃、よく父が私に大きくなったら「ワンダーフォーゲル」のように旅に出したい、といっていたことを思い出す」。
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明日は、ハイデルベルグを観光し、そのあとローテンブルグへ向かう。
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