幸か不幸か独居老人一歩手前でストップしたマンマ。 

加齢化を受け入れられずに格闘中。 週2~3日クラス開講で、刺激をもらい感謝。  

イングェ、貴方は翼を持ったレオパードになったのネ・・・・・

2014-11-23 00:57:39 | 日記
先日、“FBの力”を書いたのだが、ホボ10日後の20日、最悪の書き込みが出た。「ヘブンで安らぐように・・・」と。 彼本人の書き込みを読んだ後は、元気を取り戻して回復に向かって療養に努めているもの・・と信じ込んでいたので、一瞬、目を疑った。続く書き込みを読むと「RIP、Ingwe...」が延々と続く。“RIP”とはラテン語“Requiescat in Pace”の頭文字で、「安らかに眠れ」の意とのこと。何人の人が哀悼の意を表しているのか・・・数え切れない。3日たった今日も、FBを開けると、世界中から、真っ白な歯をみせた笑顔の彼と一緒の写真、彼の思い出、彼への感謝が、RIP・・・と共に延々と続いている。私にとっては初めての経験なので、この現象が通常なのかゴク稀なのかわからない。 が、コメントを読むと、如何に関わった人たちに彼がガイドとしてだけでなく、友人として大きな影響を与えていたのかが判る。

私が彼に会ったのは2007年の3月。友人と私の2人旅。ガイド役の彼と運転手のマタノさんとのホボ一週間、トヨタ・ハイ・エースに乗った4人のサファリツァーだった。彼はナイロビの空手道場に通い、それゆえに日本語を学んで、いつの日か日本に・・・と言う希望を持っていることを知った。大学で3年間学んだという日本語は、意思疎通には十分だったが、私自身は英語も使いたく、結果、日英を駆使してのサファリは、ガイドとツァー客という関係で終った。とても楽しかったのは事実。帰国してから何通か交わしたメールで、「私は日本のオッカサンだよ」と称し、当時起きたケニヤの政変(?)に対して軽くコメントして、彼はガイドとしてでなくケニヤ人として母国のことを憂い、且つ、自然を誇りにしていることが綴られていた。そのうちにFBで「お友だち」に応じ、折にふれ、頻繁に彼の書き込みを読み、いつの間にか、彼がケニヤだけでなくアフリカ中をガイドし、キリマンジェロをも案内してツァー客との交流をしている様子を知った。 大活躍の彼だ。どの書き込みにも、満面の笑み、無邪気に楽しんでいる様子が添付され、感謝のコメントがあふれていた。 それと共に、真剣にアフリカ諸国を憂いているコメントもあった。 ツイ先日まで・・・。 ソレなのに、ナゼ? かくも突然に? 何があったのだろう・・・?

多くの人に“・・・great loss for the world・・・”と言わしめる彼。喪失感は大きい。 皆が We'll miss you・・・と嘆いている。

葬儀がナイロビと故郷のブシアで準備されている由、その後、一年ほど前に亡くなった(・・・と聞いている)お父さまの横で眠りにつくそうな・・。 RIP・・・でも・・
Ingwe, now you are a Leopad with wings! You can fly to everywhere you want.
Everybody is looking forward to seeing you! I wish I could see you. I miss you very much.


イングェ・・・スワヒリ語で「豹」の意味とのことだった。