幸か不幸か独居老人一歩手前でストップしたマンマ。 

加齢化を受け入れられずに格闘中。 週2~3日クラス開講で、刺激をもらい感謝。  

玄関ダケ改築・・昭和の家でいこう。

2018-02-10 18:35:03 | 日記

水曜日から玄関を改築していて、今日、完成した。 玄関ドアの表面がペコペコ、割れてきた。 最初のドア表面はどうして変えたのか記憶にないが、今の玄関オモテは10余年前に張り(?)替えて黒いプラスティックみたいなモノだった。 張り替えたので接着剤が効かなくなって反ったり、割れ目が出たり・・替えるっきゃナイ。 表ダケ替えたいのだがソウ言うわけにはいかないようだ。 結局、玄関枠をソックリ替えらざるを得なかった。 45年前の家を治すには部品もナイし、構造も変わっているらしく、職人さんは苦労していた。 が、ムカシのモノは何でも頑丈に出来ている。 職人さん、感心していた。 鉄骨だからねぇ・・これじゃぁ地震が来てもダイジョウブだ!  そう言えば同じ住宅地にも我が家とおなじセキスイが数件あるが、建て直した・・って話は聞かないなぁ。

我が家は軽量鉄骨造りのセキスイハウス。 表面は鉄板! 内部の壁は木、板・・・。 当時も花柄の壁紙などもあったが、”印刷でない”ホントウの木を選んだ。 私はこの板壁がお気に入り。 リビングは20㎡、6畳二部屋分。 セキスイの単位は90cmでなく100cm単位なので通常の「畳」より広い。 広いリビングもお気に入りだった。 当時、こんな広いリビングってあまりなかった。 テーブルの上に無造作においた虫かごの中の昆虫を怖がって、遠回りに歩いていた長男だったっけ・・・・。 

丈が数センチ短くなったのだが幅は同じ。 一枚の板状だった玄関扉にガラスが入ってグ~ンと明るく広くなった感じ。 それにしても築45年・・・立派な昭和の家だ。 ヨソの家にお邪魔したコトがないせいか、イズコも同じと思っている。 が、時折、子どもたちからそれぞれの家の様子を聞くと、我が家が古いコトを知る。 が、年号が代わる日も近いが、このままで行こう。


腰掛け・・・って死語??

2018-02-10 11:06:36 | 日記

昨日の公民館エ~ゴ、「シゴトを楽しんでいるか、楽しんでいたか否か・・」について・・。 夫々、虚実はトモカク答えた。 「一生懸命働いたが、給料が少なすぎた!」・・が大方の男性の意見。 女性軍は人間関係やら昨今のパワハラが・・・・。 アタシャ、ナ~ンモ言えないよ。 言えるほど真摯に働いていなかった。 

「半世紀前の・・・」と言ったら、みんな驚いていたけれど、ホボ同じ世代ジャン! は、ともかく「女子学生の就職は腰掛け」が大多数の考えだったのでは? 学校を卒業するや否や・・・「結婚」という次の段階へ進むべく圧力が母親からかかった。 優秀でないモテないオンナにとっては「お見合い」しか選択肢はナイ・・・とばかり賢母は苦慮していた。 「転勤族だったウチは知り合いは少ない。 選んでいる余裕はナイ!」 我が名誉のために言うが、断わられたことはナイ。 難癖をつけて拒否したり断ると、「アンタは自分ひとりで生きていく自信があるのか!」と脅迫!?!  なぜか、イロイロ搾取されたっけ。 家に入れる生活費は次第にアップ、お給料で買ったお気に入りのカップ・・。 根拠は? 罰金?  数回、経験したあと、お見合い写真をみて「この子、怒った顔しているね。」と言った相手と結婚した次第。

それにしても、みんな悩みつつ働いていたことに、改めて我が意識の低さを恥ずかしく思った。 就職、結婚・・・結局、私は親の手のひら格闘していただけ。 こんなコトをばらした自分に自己嫌悪! 私ってナ~~~ンも考えないで生きていたようだ。 否、母親に叱られないように・・・が、最重要の行動基準、規範だったかも。 情けなや。 

一番のムスコが就職して家を出た頃、私は母に尋ねた。 「息子が家を出ていくのって寂しい。 だけど、お母さんはソンナに私を家からサッサと追い出したかったの?」 「お嫁に出すまでが親の役目だと思っていたわ。」 お役目、御苦労さまでした。