幸か不幸か独居老人一歩手前でストップしたマンマ。 

加齢化を受け入れられずに格闘中。 週2~3日クラス開講で、刺激をもらい感謝。  

大人の休日・・・一日目 ”田老” & 宮古

2018-07-04 07:27:32 | 日記

盛岡からそのまま宮古へ。 「山田線」・・・ まるで森をかき分けながら進んでいるみたい。 窓に木々の枝が触るのでは??  もちろん単線。 で、前の頁に書いたように「カモシカ事故」に遭遇した次第。 他のオトナさんの話では、ワンマンの運転者さんは後片付けや写真、書類作成をする必要があるのだそうで、「ワンマン」は重責を独りで担っているワケだ。

宮古から震災で大きな被害を受けた田老へ。 電車の遅れを考慮して、次のリアス線も少し遅れて出発。 リアス線はJRではナイのだそうだが、私はオトナの列に従ってオトナパスでリアス線に乗車。 「Turkish Airline」と 大きく描かれた車体にビックリ。 トルコからの寄贈らしい。 13:35、田老の駅着・・高台にある。 一瞬、出口は?  階段を下りてトンネルを通って道路に出た。 ナニもナイけど左手に街並みが。 道端の野の花・・最近、頻繁に覗くネコさんのブログの真似をしてみたが私にはそのセンスはナイようだ。 遠くに「田老ホテル」らしきものが見えるがとても小奇麗に見える。 ビデオや説明はネットでもワカルかも・・・。 時間もナイ。左手高台に見えるお寺”常運寺”に行こう。 

いくつもの電信柱や建物の一部には「ココまで津波が来た」と言った標識がある。 お寺には慰霊碑が複数。 同じ日付けが記された墓碑銘が並んでいるお家の墓碑もある。 嗚呼!  ドコカの高台に石碑でなく木造で墨で地震警報ラシキことを書いた碑があると聞いたが、それはどこなんだろう?  永久にモツものでなく、数年毎に書き換えの必要があるので、かえって「警報」として意義がある・・・というのを新聞で読んで、ナルホドと思った記憶がある。

       

次に向かった「道の駅」。 想像していた道の駅とは異なり、閑散としている。  案内センター(?)の女性に声をかけると「ココは狭い区域で大勢の犠牲者を出したところなんです」と。  先ほどのお寺の慰霊碑には160名ほどの名前が刻まれていた。  立命館大の研究室が作ったという「津波前の田老の街並み」のジオラマがあって、「〇〇さんの家」「ココのおじさんは……」と書かれたキャプション付き。 ミンナ流れたんだ!  ネットで見ると津波直後の海岸はひどい「惨状」。 「万里の長城」と言われた防潮堤の跡にいま新しい防潮堤が工事中。 「観光ホテル」でのガイド代の半分をココの募金箱に入れて、新しい防潮堤づたいに歩いて駅へ。 

至るところにダンプカーが往来しているが、建設中のオリンピック競技場と比べたらどうだろうか?  コワレタ防潮堤はあった。  保存されているのか、放置されているのか・・。  駅に戻って15時半発の宮古行きに乗った。 たった2時間の滞在、ゴメンナサイ。 

         

宮古のホテルに無事チェックイン。 友人にメールを出そうと思ったらアララ,またもスマホ不調?  レセプションのお嬢さんのヘルプを乞い…完了。 すぐ、市場へ行ったが5時過ぎではもはやホボ、何もナイ。  野菜売り場は区画ごとに私物が置かれていたがダ~レもイナイ。 働き者のオカーサンたちは早朝来て売れるとサッサとお帰りになるんだろうなぁ・・。 魚類もホボ無し。 が、高いところになんだかスゴイものが下がっていた。  鮭の燻製。 ビンテージ物!  8年? 10余年?  飴色を通り越し煤でテッカテカに黒光りしていた。  市場のご本尊だ!  市場を後に町の中心部に戻り夕食を求めてウロウロ・・。  スーパーで食料調達はしないで、キチンと頂こうと決心。 もっともスーパーがあるのか否か?  意を決して、立派な構えの駅前の「蛇の目」というお店に。  街を歩いていて”どんこ”という文字が多かったので「どんこから揚げと刺身定食」を注文。 シイタケではなさそう。 出てきた”どんこ”殿は白味でフンワリしたヤワラカイ魚だった。  で、ココで新しい味に遭遇。 黒くて歯ごたえがあって・・・。 アワビ? チガウ?・・・・・アワビはベツにある・・・・ナ・ナマコ・・・だっ!!  どれも美味でゴザイマシタ。 ホテルに戻り、シャワーを浴びて・・おやすみなさい。 友人から電話があったが応答デキンかった。