幸か不幸か独居老人一歩手前でストップしたマンマ。 

加齢化を受け入れられずに格闘中。 週2~3日クラス開講で、刺激をもらい感謝。  

思い出すなぁ…子供の頃のクリスマス ☆

2015-12-14 12:07:07 | 日記

人間はシンダラごみになる・・・的な家風で育った私だが、クリスマスは物心ついた頃から楽しいイベントだったなぁ・・・。

最初の記憶は幼稚園のクリスマス会。真っ赤な衣装に真っ赤な帽子、白い髭のサンタさんがホントウに怖かった! 

同じサンタさんなのか否か・・サンタさんは家にも確実にやって来た。これも幼稚園時代、箱の中にナニヤラいっぱい入っていた。 その中のクレヨンで絵を描いた。どんな絵を描いたのかも覚えている。「リボンを付けた女の子」の絵。 「よ~く見てごらん。」と言うアドバイスと褒め言葉。 ソレまで顔?、アタマ付近から手が出ていたけれど、この時以降、キチンと首を描いて肩も描いて手はそこから。 以後、似た絵を描き続けたっけ!! ついでながら、バックもナカナカのもの。 足元はこげ茶色、背景はねずみ色と深緑に色分けした。これも母に褒められた。4~5歳の子にしては渋い、否、シックな色合いだと今も思うが、ココロに闇があった??  いずれにせよ、「褒めること」の為せる業。 が、「褒めるとズに乗る」と解したのか、母に褒められた記憶は殆どない。

楽しんだのは中・高生時代。 もちろんホーム・クリスマス。 母と戦略を練って、父から母へのプレゼントも用意した。 内情は「〇〇デパートの・・・で売っているウグイス色・・今でいうとアボカドグリーン・・・のスカーフ」を所望の母に「お母さん、自分で買ってきて。 私、お父さんに渡すから・・。それから・・・」 そのスカーフ代、どうしたっけ・・・??? ケーキも手作りした。 当時、バタークリームがメイン。 だが、いつも配達してくれる牛乳屋さんにメモを置いて生クリームを注文。 どんな出来栄えだったか記憶にないけれど、「生クリームってやっぱり美味しいわねぇ!」と言い合った。 ローストチキンも作った。 それなりのご馳走を食べながら、父の口から決まってでる話しは「コロンブスは何故アメリカ大陸を発見したか・・・」。

クリスマス前の家捜し・・どこにプレゼントが隠されているか。 弟たちと捜したけど見つからなかった!  そしてクリスマスの朝・・・・真っ暗なのにハヤ~ク目覚めて、プレゼントの包装紙を賑賑しく破ったものだ。 

サンタになった私、車のトランクに隠したっけ・・・。

 


「演奏する側が楽しんでくれればいいんです!」  

2015-12-13 17:13:33 | 日記

御意!・・・とばかり、これはクリアかな🎵

OBオケに某教会からお声が掛かって来週はクリスマス祝賀会で演奏。昨日は現地に赴いて練習をしてきた。 我がオケの専属コンポーザーというかオーガナイザー氏が組み立てた(?)名曲の数々。 イチオウ7曲だけれど、20曲くらいの名曲が潜んでいる。内容が濃い、凝縮されたメイ曲をクラリネット・フルート・ファゴット・ホルン・ベース&バヨリンで奏でてみた。フムフム・・・。 古典仕様の我が耳には”?”と言う和音も、スコアで確認し音符を確認。 実際に音をだしてナルホド。 氏の面目躍如のトコロだ。 で、演奏側は十分に楽しめた。お蔭さま・・・。 聴いて下さる方々が楽しんで下さるようにせにゃ・・。

但し、楽器は6種、楽士は上記の6名。バヨリンがリーダーになるのは当然なんだけど、これが非常に負担! なんせリーダーシップ欠如。 お隣りにどなたかが座って下さると勇気百倍なんだけど・・・。 弾き始め・・・「セ~ノ」と言うわけにはいかないし、オワリはもっともらしくカッコつけにゃならん。 慣れるっきゃないね。

駅でメンバー3人が集まって、お迎えの方に電話。 周りを見回すと、数メートル先の車で運転席から手を振っていらっしゃる方がいらした。 携帯電話の威力に興奮している私・・・便利な機器ですねぇ!


水木ワールドの子・・・・・???

2015-12-13 06:03:34 | 日記

キョウ用、キョウ行く・・・お陰様の一週間だった?! 月曜日の展覧会に始まり、生徒の保護者との面談、そしてコ~ミンカンエ~ゴの忘年会! 

正直言えば、面談が一番苦手! 生徒の送迎の際に親御さんと話すことが多い。それに、我がクラス、文字通り少数精鋭で、改めて話す必要もあまりない。 結局、”中央”からの来年度の継続要請が主目的? が、時間を指定して来室を促すには、ソレなりに準備が必要。 まっ、これもシゴトだね。 

とは言え、話したい子の親御さんもいる。 先日、「ウチの子、来年度、ヒトリで先生、大丈夫でしょうか? 学校でも先生から・・・と言われていて。」 どうも、もっと厳しくしないと今後コマルよ・・・・と言われているようだ。 「じゃぁ、面談で話しましょ。」と言っておいたが待ち人来たらず。 彼の場合、学習面では「集中力」で片づけられる段階だが、先ずは生活面で何とかセニャ…と思っている。 クラス終了後、お迎えに見えたお母さんに、「今日、待っていたんだけれど…」と言うと、「アッ、忘れていたぁ~!」 それだけ、我がクラスの存在が小さいってことなんだろうなぁ・・。 我がクラスの坊やのラテン気質は遺伝、DNAのなせる業であることが確定?! 頭の固い私にとって、彼がドウ育っていくのか興味深いのは事実。 天衣無縫であり、「マスト感」は少ない。 他の生徒と歩調を合わせる意識ナイんだろうなぁ・・。 「学校の先生に~~しろ!」って言われるんだけど…と口を尖がらかして言うけれど、「スル気」があるのか否か・・・と言うより、先生の言葉は聞こえているけれど意に介していない。 「僕、シュウチュウリョクがナイっていわれるんだよね!」 「分かっているジャン!」と思うけれど、 単なる性格判断と理解している?  たまたま、今、NHK番組のフカヨミを聞きながらハッ! 彼、水木しげるワールドの申し子なんだ・・。 マンガ禁止家庭に育った私の理解を超越している! ヤッパリ、興味津々の対象だ。

今週のボ~年会はビギナークラスの英語。 みんな声高に話す、はなす、ハナス・・・。 聞く一方側の私は草臥れた。 けど、タイヘンな宿題を申し渡された。 否、宿題なのか冗談なのか、今もってワカランで、時々考え込んでいる。 チョット苦手な年長の仲間から、「ねぇ、ドコかへ連れて行ってよ!。 以前、このクラスの〇〇さんと・・さんと・・・・でイギリスへ行ったんでしょ?」と。 一緒の卓だった人も同意??  仰せのとおりだけど・・・。 クラスイチのセレブらしく、アチコチ渡航回数100回以上?? は、ともかく、機内食を食べない! 草の生えているところはイヤ! もう歳なので7時間以上、飛行機に乗るのはイヤ!・・と堂々と宣言。「どこでもイイわよ。 私たち、付いていくダケだから・・・」 ヤッパリ冗談よね! 

イロイロな人がおいでだ!  

 


久々の展覧会

2015-12-10 08:59:12 | 日記

世界の名画が一点だけハルバル来日しての名画展、ワザワザ赴いてヨーロッパの〇〇美術館で名画をたくさん見ても、「これ、知ってるぅ。教科書に出ていた・・」程度の審美眼の持ち主。 コンサートも然り・・・。 自分でplay するのが一番イイ・・・下手でも。 が、「アマチュアオケの演奏会は聴いてもねぇ・・・。 参加したほうがイイわよ。」なんて友人に言ったら「デキレバねぇ…」と言われて、不用意な言葉を反省した。 

先日のオバの告別式で次男である従弟にも会った。 私、オバとの別れよりも、毛糸の帽子を被った彼の姿にショック。 お悔やみと労いの言葉を伝えると「僕は何にもしてないんだよ。オフクロに僕の病気のことも伝えてない。昨日、退院したんだよ。」 伝えていないことが親孝行だったかな? 私はオバの家の居間にかかっていた彼の絵が好きだったから、「絵、今も描いているの?」 彼、内ポケットから案内状を出して「僕の絵はコンナに小さいんだけど…。」と。 「フェルメールの絵は小さくて親近感がわくわ。」 開催期日をみたら今週中。 チョットまよったけれど、やっぱり出掛けた!

「小品展」とあるとおり、どれも小振りなもの。 彼の絵、水彩画二点と油彩一点。 江の島の西の漁港を水彩と油彩で描いていて面白かった。 横浜の絵も、キャプションも含めて良かったなぁ・・・。 名画も良いけど、親しい人の絵もイイなぁ。 否、親しい人の名画も良い!

展覧会もコンサートも、作者・奏者との関係で受ける側の感度も異なるのを改めて知ったというオソマツな私。 今まで、案内状を見ると「義理」というものが感性の前に出てくるのよね! こまったもんだ。

地元のオケのクリ・コンとは縁が切れたが、小さな教会からのオザシキにOBオケの6名で参加する。 「演奏する」ことはイイけれど「お聞かせすること」には消極的な私。 が、清らかな心の持ち主であろう信者の方々の前で心を込めて演奏しよう。 ・・練習セニャ!


家の空気 ・・・・・ 確実に母系だ!

2015-12-06 14:51:08 | 日記
昨日は伯母の告別式に出席。 94歳、大往生と言っていいだろう。 明るい式だった。
息子たちはそれぞれ円満な家庭を持ち、その子供たちも親に倣って幸せな家庭を築きつつあるトコロ。 伯母の大きな笑顔が飾られていた。 
 
家族葬というので小人数。久々に従弟に会い、彼ら家族、孫たち、そして伯母側の親戚に会えた。 
 
関西からいらしていた伯母の弟妹さんたち、私より幾分年長者の方々。 オバの口から時折出ていた方もいらしたけれど、私自身はホボ、存じ上げない方たち。 アチラさんは私の存在を知っていらした。 「ア~、〇〇さんのお嬢さんね! お父さんが・・・で、・・・」 ソウ、私は戦後間もない赤ん坊の頃、母方の祖父母の家に暫し滞在していたことは母から聞いていた。 その赤ん坊がワタシ! 今や立派な高齢者だ。
 
一方、従弟たち、それぞれ結婚して円満な家庭を営み、その子供たちが親を見倣って、良き家庭を築いているところ。 私の「大好きな伯母ちゃん」はいつの間にか「ヒーバーチャン」。 世代がズンズンと進んで最先端を目撃! 「家の雰囲気」も確実に変化している。 従弟たちは、子どもの頃、祖父母と同居していたので、何となく同じ空気を感じるが、従弟の子どもたち家族となると、カナリ異なる。 家庭は「母系」で繋がっていくことを目の当たりにした。 母方の祖父母の家のムードは母の嫁ぎ先、つまり私の実家が受け継ぎ、それを私が受け継ぎ・・・・さぁ、どこへ受け継がれるのやら・・・? 受け継いで欲しいような、断ち切って欲しいような・・・。