三成を抱きしめ家康打倒を宣言した景勝
重い、重~い腰をようやく上げましたね
少しどころか?かなり決断が遅い様な気もしますが…
ドラマでは優柔不断で謝ってばかり、決断力に欠ける
武将として描かれているみたいですが、実際の景勝は
かなり違った様です。
尊敬してやまない謙信に近づこうとして自らを厳しく
律し寡黙で威厳に満ちていた景勝、近寄りがたいオー
ラを発していたと言われていますね
謙信の代から越後では反乱が続きますが、景勝が国主
となってからは殆ど起きていません
よほど統治能力に長けていたのではないのでしょうか。
かぶき者で有名な前田慶次郎ですら景勝の前では悪ふ
ざけを慎んだとか??
そんな景勝がいよいよ動き出します。
家康からの上洛要請を断り反徳川の狼煙を上げます
前田利家が生きている間は何とか歯止めが利いていま
したが、利家が亡くなると七将による三成襲撃事件が
勃発
加藤・福島・藤堂・蜂須賀・細川・浅野・黒田と秀吉
子飼の武将達が三成を亡き者とする為決起
結局、三成は家康の許に逃げ込み助かりますが、豊臣
政権から脱落佐和山に蟄居となります
ドラマでは伏見屋敷に避難する三成ですが、徳川屋敷
に逃げ込み難から逃れたというのが通説ですね
ドラマでは秀吉が建てた伏見屋敷に、七将が乗り込ん
で来る筈がないと言っていましたが、三成打倒で熱く
なっている七将なら秀吉の居なくなった伏見屋敷に乗
り込んでも不思議有りません
三成のいなくなった豊臣政権では表だって家康に対抗
する武将なく、もはや家康が天下人と言っても良いの
かも知れません
三成の傲慢さは気になりますが、後先を考えない七将
の愚かさも感じます
結局、徳川の天下に協力しただけで加藤・福島などは
家自体も存続出来ませんでした
七将は政治家ではなかったという事でしょうか??
来週はいよいよ歴史上最大の戦い関ケ原が始まりますが、
関ケ原の勝敗は七将による三成襲撃事件が起こった時点
で決まっていた様にも思います。
豊臣VS徳川ではなく三成VS武断派の構図を作った事で
家康の勝が決定的になったといっても過言ではありません。
やはり家康は秀でた武将でもありますが、超一流の政治家
ですね