いよいよ桶狭間の戦いです。 ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/v.gif)
歴史的には史上最大の逆転劇。
中々見応えがありましたね。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/good.gif)
久し振りに見入ってしまいました![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/tv.gif)
ドラマでは…
義元と信長による心理戦として描かれていましたね。
織田方の城を次々と落としていく今川軍。
一見、順調そうに見えますが、そこには油断があっ
たのです。
信長はわざと城を落とさせたのかも知れません。
時を稼ぐ 為?
信長は今川軍に油断が生まれるのをじっと待っていた
のでしょうか![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/eq_2.gif)
定説では…緒戦で勝利した義元が窪地の桶狭間で行軍
を停止。
酒宴を催していた義元の陣を信長軍がピンポイント攻撃。
よく言われている桶狭間の戦いですが、最近では正面
突破で戦いを挑んだとの説が有力です。
普通に考えると少ない軍勢で正面突破はかなり無謀な策
といえますが…
状況を的確に分析、確勝とまではいかなくても勝てる可
能性が高まったからこそ信長は戦いに挑んだのです
桶狭間の戦いは究極の情報戦だったのかも知れません。
戦いの後の恩賞でも、義元を討ち取った毛利信介が一番
ではなく、今川軍の動向を探っていた梁田政綱が一番の
恩賞を受けた事からしても明らかです。
今川は上洛が目的ではなくあくまでも織田との国境紛争
だとすれば、今川軍の兵の数は意外と少なかった可能性
もあるのです。
逆に、織田兵は2000と言われてきましたが、当時の信長
支配地の石高は40万石前後。
織田家の存亡に係る戦となれば全軍で立ち向かった筈です。
2000の兵の数はいかにも少なすぎます。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_5.gif)
今川軍10000VS織田軍5000だとすれば十分に勝算が成り立
ちます。 ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/choki.gif)
長蛇の列で先頭から殿までかなりの長さだった今川軍。
織田領の支城 を落とすため兵の分散もあったとすれば…
ましてや自国領での戦いです。
地の利も考慮すれば織田軍が勝っても何ら不思議有りません。
今川軍の敗因は情報収集の失敗と織田軍を見縊り過ぎた事
が大きかったと個人的には思っています
天候の悪化も織田軍に味方しました。
時期的には梅雨時。
以前読んだ事がある(梅雨将軍信長)の中にも書かれていまし
たが、雨で相手方の鉄砲を封じ、自軍の移動を敵方に悟られ
なくなるまで信長はじっと時を待っていたのです
小説はあくまでもフィクションですが、当たらずも遠からず
かも??
信長ならあり得るかも知れません。
桶狭間の戦いは信長にとって一生に一度あるか?ないか?の
天地人の戦いだったのだと思っている僕なのです。 ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/etc_fire.gif)