光秀の四回目の尾張行きでしたね
織田からの援軍要請を断るのが任務とは荷が重そうです
失敗すれば人質同然の帰蝶が殺されるかも知れません。
信長が理解を示したのは一筋の光明でしたが…
美濃の国衆自体も相変わらず纏まりがありません
道三でも無理なようですね。
後に、信長による稲葉山城攻めにおいて美濃三人衆と呼
ばれた有力国衆たちも義龍をあっさり裏切るのですから…
「我々武士は今病んでいる!!」
現代にも通じる言葉かも知れませんね。
古い秩序が崩壊し将軍とは名ばかり。
少なくとも畿内を治めるのは将軍の筈ですが、実権は次
から次と変わります
家督争いの末、斯波や畠山の管領家は没落、唯一残った
細川も家臣の下剋上で没落
病んでるというよりも崩壊へのプロローグをもはや止め
る事は出来そうにありませんね
「麒麟を連れて来る事ができぬ、無念じゃ!!」と囁いた
義輝の言葉が虚しく響きます
ところで
信長の守り役にして織田家の外交も担った平手政秀です
が、信長を諫める為に自害したと言われていますね
信長と政秀の息子の揉め事が原因だとされる説もありま
すが、 信憑性に欠ける感じがします
単に信長の器量を見誤った末の自害の様な気がしてなり
ません
もう少し生きしていれば、立派な麒麟を見られたかも知
れませんね