残すは北条と伊達のみとなった秀吉による天下統一
関東の覇者北条は中々上洛に同意しません
秀吉を侮っているのか?秀吉の天下が長続きしない
と思っていたのか?
何れにしても天下の情勢を見誤った感があります
ドラマでは家康が氏政を説得しようとしていました
が、現実的には有り得ない話です。
秀吉に頼まれたのなら分かりますが、家康自ら動く
となれば秀吉に不信感を与えてしまいます
「何の得にもならないが、たまには得にならない事
もしてみたくなる。」と家康が言っていましたが、
家康らしからぬ言葉ですね。
危ない橋を渡り得にならない事をするほど家康は愚
かな武将ではありません。
利休に「北条、潰なはれ。」と言われ北条征伐を決
めたかのような流れですが、秀吉は初めから北条征
伐を心に秘めていたと僕は思っています
秀吉は北条を潰す為の大義名分を求めていたのです
この後に起きる名胡桃城事件が正にそれ
北条は秀吉の術中に嵌ったともいえますね
ところで
北条の外交僧・板部岡江雪斎ですが…
鎌倉幕府14代執権北条高時の次男の末裔だと言われて
います
後北条とは名ばかり、北条氏と何の繋がりも無い後北
条氏に使える事になるとは皮肉なものですね
武田・上杉・徳川・豊臣との外交交渉に携わった江雪
斎ですが、後北条氏滅亡の後は秀吉に御伽衆として仕
えています
弁舌が巧みなだけではなく度胸も有り仁義を重んじ相
手の懐に入っていく交渉術は一級品だったとも伝えら
れています
有能なネゴシエーターといったところでしょうか?
そんな有能な人物だったからこそ秀吉の御伽衆として
召し出されたのでしょうね
その時の逸話があります
小田原城開城で生け捕りとなった江雪斎に戦争責任を
秀吉が詰問します。
江雪斎は「負けたのは誰のせいでもない。北条は滅ぶ
運命だった。全国の武将を相手に戦った事は北条の面
目躍如、これ以上の事は無い。遠慮なく首を刎ねよ。」
と言います。
主を全く批判しない物言い絆され「一命は助ける。今
後は豊臣に仕えよ。」と秀吉が言ったとか
豊臣が滅んだ後、江雪斎は徳川に仕え子孫は幕末まで
家名を守っています
因みに、江雪斎の姉の子供が家康の側室・万で、紀州
徳川家の祖・徳川頼宜と水戸徳川家の祖・徳川頼房を
産んでいます
御三家の内二家に江雪斎の血(北条得宗家)が潜んでい
るのです。
歴史って面白いですね