折角斉彬が藩主になったのに大久保らには
赦免の沙汰が中々降りません
西郷らの苛立ちも尤もなのですが…
忠教を藩主にと画策した面々は針の上の筵
状態ですね。
こう云う時は、いっそ何らかの罰が下った
方が楽かも知れません
一方、於一は斉彬との初対面の席で素朴な
疑問をぶつけていましたね
勿論、西郷らの意を汲んだものでしょうが…
それにしても、やっぱり斉彬は名君です!!
目先の事には囚われないのです
斉彬擁立反対派を冷遇して斉彬擁立派を赦免
すれば良いようですが、藩にしこりが残って
しまいます
藩をまとめ、一丸となって難局に立ち向かわ
なければならないのです
反対派の中にも人材はいるのです。
この斉彬の考え方か戊辰戦争の時も脈々と
続いていたのではないのでしょうか
我が函館でも、榎本軍と政府軍の戦いがあり
ましたが、政府軍の大将黒田清隆は薩摩出身
なのです
反乱軍である榎本武揚を降伏させ、後に榎本
は大臣にまでなるのです。
ある意味、斉彬の考え方が脈々と続いていた
のかも知れません
現在の政界とは全く違いますよね。
幕末から明治の人達の懐の深さを感じてしま
う僕なのです
赦免の沙汰が中々降りません
西郷らの苛立ちも尤もなのですが…
忠教を藩主にと画策した面々は針の上の筵
状態ですね。
こう云う時は、いっそ何らかの罰が下った
方が楽かも知れません
一方、於一は斉彬との初対面の席で素朴な
疑問をぶつけていましたね
勿論、西郷らの意を汲んだものでしょうが…
それにしても、やっぱり斉彬は名君です!!
目先の事には囚われないのです
斉彬擁立反対派を冷遇して斉彬擁立派を赦免
すれば良いようですが、藩にしこりが残って
しまいます
藩をまとめ、一丸となって難局に立ち向かわ
なければならないのです
反対派の中にも人材はいるのです。
この斉彬の考え方か戊辰戦争の時も脈々と
続いていたのではないのでしょうか
我が函館でも、榎本軍と政府軍の戦いがあり
ましたが、政府軍の大将黒田清隆は薩摩出身
なのです
反乱軍である榎本武揚を降伏させ、後に榎本
は大臣にまでなるのです。
ある意味、斉彬の考え方が脈々と続いていた
のかも知れません
現在の政界とは全く違いますよね。
幕末から明治の人達の懐の深さを感じてしま
う僕なのです