いつの間にか深手を負ってしまった光秀
東庵の治療と駒の必至の看病のお陰で一命を取り止めたようですね
美濃への道すがら荒れ寺に泊まる事になりましたが、光秀に恋心を
抱いてる駒にとっては至福の時だったはずです
女心は僕には分かりませんが
光秀が深手を負った長慶襲撃事件。
昨日の敵は今日の友、誰が敵で誰が味方なのか
再びの権力闘争の始まりです
松永久秀は三好長慶の部下。
三好長慶は細川晴元の部下。
守護で管領でもある晴元が何故?自分の部下を撃とうとしたので
しょうか?
この時代、将軍よりも管領の方が実権を握ったことがしばしばあ
ります。
守護家でも全く同じような事が起こります。
京都に入り浸りの守護に替わり守護代などが力を付けて実権を握
って行くのです
勿論、武力も伴っていますので主といえども無視する事が出来なく
なります
足利幕府の創成期に起こった尊氏と直義、南北朝を絡めた争い観応
の擾乱と似てますね
秀吉や家康は沢山の領地を持っていましたが、尊氏は気前が良いのか?
家臣に領地を与えなければ政権が維持出来なかったのか?
足利家の自領が少な過ぎたのが要因かも知れません
最後の管領と言われている細川晴元。
応仁の乱の後、畠山、斯波の両管領家が急速に勢力を弱め残った細川
家だけが管領を独占する事になります
が、時すでに遅し。
管領も将軍も賞味期限切れといったところでしょうかね