◆前ドラエモンの声で有名な女優の大山のぶ代さんが、NHK番組「課外授業」に出演し、母校の小学校(渋谷区立臨川小学校)を訪問して、「伝えよう励ましの心」とのテーマで”短所は魅力に変えられる”ということを教えた。子どもたちに「世界の偉人になったつもりで、弱点に悩む同級生の相談に乗ってください」と課題を与えていた。のぶえ代んは、子どものころ、同級生らから「変な声だ」とバカにされたて、落ち込んでいた。いつものおしゃべりなのぶ代さんの異変に気づいたお母さんから励まされて、自信を回復したのぶ代さんが、学校の放送部に入り、後に女優となり、声優となって活躍するようになったエピソードを前触れにしていた。
◆子どもたちは、のぶ代さんが配布した用紙にそれぞれがいま悩んでいる「弱点」を書いて提出する。それらを再び、子どもたちに配り直す。用紙を受け取った子どもは、用紙に記載されている「弱点」に対してアドバイスを書く。そしてその用紙を見ながら、のぶ代さんは、不十分な点を指摘して、もう一度よく考えるように指導する。子どもたちは、自分が選んだ偉人(豊臣秀吉、一休、ノーベル、ベートーベンなど)について、図書室でよく調査、研究したうえで、最後に、相手の同級生に向かって、偉人になり切ったつもりで、口真似、物真似を交えて相手に弱点をいかに克服すればよいかなどのアイデアを示しながら、慰め、励ましていた。子どもたちの言葉は、心がこまった出来栄えで、最初にのぷ代さんに用紙を提出したときと比べると、格段優れた内容になっていた。子どもたちは、言葉というものの、素晴らしさを学び、みんな晴れやかな顔だった。
◆のぶ代さんの授業は、現在の日本の学校教育に欠けている自ら言葉を発して、人と「コミュニケーション」することの大切さを教えてくれていた。とりわけ、コミュニケーションの方法について訓練することの重要性を実証していた。アメリカでは、授業のなかに「コミュニケーション」という科目があるそうである。多民族社会では、自分のことをはっきりアピールするとともに、他人の意見や言い分にもよく耳を傾けて、悩み相談にも乗る訓練をする。また、議論を戦わす「ディベート」の訓練も行い、表現能力を高めていくのである。
◆これに対して、日本では、座学が中心で教師の話をほぼ一方的に聞き、ペーパーテストの成績により、到達度を測定するというのが、一般的である。これでは、表現力も、コミュニケーション力も、ましてや「励ましの心」を養うこともできない。
「愛国心」という言葉を「国を愛する態度」というまがい物の言葉で誤魔化すような教育基本法改正を行うことで事足れりとする暇があるくらいなら、むしろもっと実践的な基礎訓練を徹底的に行う方が、国際化した現代社会に最もふさわしい教育ではなかろうか。
ちなみに、読売新聞が12月16日付の朝刊の社説で、教育基本法改正を喜んでいるが、
民主党案にあった「愛国心の方が直接的で素直な表現だった」としながら、「ともあれ、改正基本法の成立を歓迎したい」と妥協しているのは、いかがなものか。「態度=ふりをする」教育では、「百年の大計」を誤ることに読売新聞が加担することになる。百年の禍根は、ここから生まれる危険がある。
◆子どもたちは、のぶ代さんが配布した用紙にそれぞれがいま悩んでいる「弱点」を書いて提出する。それらを再び、子どもたちに配り直す。用紙を受け取った子どもは、用紙に記載されている「弱点」に対してアドバイスを書く。そしてその用紙を見ながら、のぶ代さんは、不十分な点を指摘して、もう一度よく考えるように指導する。子どもたちは、自分が選んだ偉人(豊臣秀吉、一休、ノーベル、ベートーベンなど)について、図書室でよく調査、研究したうえで、最後に、相手の同級生に向かって、偉人になり切ったつもりで、口真似、物真似を交えて相手に弱点をいかに克服すればよいかなどのアイデアを示しながら、慰め、励ましていた。子どもたちの言葉は、心がこまった出来栄えで、最初にのぷ代さんに用紙を提出したときと比べると、格段優れた内容になっていた。子どもたちは、言葉というものの、素晴らしさを学び、みんな晴れやかな顔だった。
◆のぶ代さんの授業は、現在の日本の学校教育に欠けている自ら言葉を発して、人と「コミュニケーション」することの大切さを教えてくれていた。とりわけ、コミュニケーションの方法について訓練することの重要性を実証していた。アメリカでは、授業のなかに「コミュニケーション」という科目があるそうである。多民族社会では、自分のことをはっきりアピールするとともに、他人の意見や言い分にもよく耳を傾けて、悩み相談にも乗る訓練をする。また、議論を戦わす「ディベート」の訓練も行い、表現能力を高めていくのである。
◆これに対して、日本では、座学が中心で教師の話をほぼ一方的に聞き、ペーパーテストの成績により、到達度を測定するというのが、一般的である。これでは、表現力も、コミュニケーション力も、ましてや「励ましの心」を養うこともできない。
「愛国心」という言葉を「国を愛する態度」というまがい物の言葉で誤魔化すような教育基本法改正を行うことで事足れりとする暇があるくらいなら、むしろもっと実践的な基礎訓練を徹底的に行う方が、国際化した現代社会に最もふさわしい教育ではなかろうか。
ちなみに、読売新聞が12月16日付の朝刊の社説で、教育基本法改正を喜んでいるが、
民主党案にあった「愛国心の方が直接的で素直な表現だった」としながら、「ともあれ、改正基本法の成立を歓迎したい」と妥協しているのは、いかがなものか。「態度=ふりをする」教育では、「百年の大計」を誤ることに読売新聞が加担することになる。百年の禍根は、ここから生まれる危険がある。