国連の理想化は危険であり、国民の多くは、「エコノミック・アニマル」と「一国平和主義」を望んでいる

2006年12月18日 16時36分44秒 | 政治
◆国連加盟50周年記念式典が、天皇・皇后両陛下ご臨席の下で行なわれた。大変おめでたいことではあるが、手離しに喜んでばかりではいられない。というのは、国連憲章に依然として「国連憲章」が残っているからである。死文化しているとはいえ、いつ何時、息を吹き返すかわからない。日本人の多くは、「平和認知症」(ボケは、差別用語だから平和ボケとは言えない)にドップリ漬かっているけれど、お人よしでいるのは、いい加減止めたほうがよい。国連は、国際国家でもなく、いまのところは、「烏合の衆」が勝手に覇権を貪るための格好の「隠れ蓑」になっている面がある。だから、国連をあまりにも理想化しすぎるのは、危険である。
◆巨額の拠出金を提供していながら、ほとんどの国から敬意を表されることもなく、むしろ侮られている。日本は、都合のよい財布ではない。安全保障理事会の常任理事国にわざわざ選ばれる必要はないけれど、手を挙げても、賛成してくれる国は少ない。期待もされず、推挙もされず、却って、警戒されるくらいなら、「無責任」な立場に甘んじている方が楽である。
◆この際、あえて言おう。国際紛争は、戦争好きなアメリカや中国、韓国に任せておけばよい。他国からいかに批判されようとも、日本人は、徹頭徹尾、「エコノミック・アニマル」を貫くべきである。試しに、国民に本音を聞いてみたらよい。日本国民の大半は、可愛い子供たちや孫たちを戦場に行かせたいとは思っていない。「一国平和主義」を望んでいるのである。軍事的には、日本は「孤立主義」を取るべきである。
◆教育基本法改正により「国を愛する態度」を明記、防衛庁を防衛省に昇格、国民投票法の制定(成立間近)と着実に憲法改正の外堀が埋められ、確実に「戦前体制」への「回帰」が進んでいる。国内での体制固めまではよいとしても、このエネルギーが外に向けられないように、「シビリアン・コントロール」の体制強化も行っていかなければ、「軍事クーデタ」を許すような「いつか来た道」を歩むことにもなりかねない。「軍人」というものは、「自己増殖」の習性があることを肝に命じておく必要がある。国内の武力装置は、国連という外部の機関や武力装置からの干渉に徹底抗戦する傾向を持っている。戦争を知らない「防衛大学校出身」の軍人が、暴走しないという保障は、どこにもないのである。
コメント (1)
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