老害政治家・福田康夫首相は、民主党・小沢一郎代表に「哀願」する惨めな姿を晒したくなかったのだ

2007年10月31日 17時15分38秒 | 政治
◆福田康夫首相と民主党の小沢一郎代表との党首討論が10月31日行われる予定だったのが、中止され、ガッカリした。福田首相が前日、小沢代表と急遽トップ会談し、さらに今週末に再度会談することになったためだが、福田首相は、この政局運営によほど困っていることだろう。何のビジョンも政策も持たずに、「タナボタ式」に政権の座に祭り上げられた「老害政治家」の報いである。プロの政治家たちは、「安定感がある」などと持ち上げているけれど、それは見かけ上のことである。新しいことは何もしようとしていないので、静止画像のように浮遊しているだけのことで、それが奇妙な安定感を示しているにすぎない。新しい政策やドラスチックな改革に挑めば、当然、抵抗勢力や反対勢力との激突となり、その分、政局は不安定になる。何もしなければ、激突しようがないから、安定しているような錯覚に陥ってしまう。
◆小沢代表は、政治家としての最後の決戦を次期総選挙の場に設定し、「目標、ただ一点、政権交代を図る」と明確にしている以上、戦力を「決戦の場」に集中し、それ以外の局面においては、無駄なエネルギーは、消耗したくないのである。福田首相に会談を申し込まれて、無碍に断る必要はなく、45分くらい話を聞いたくらいで、疲れ果てるわけでもなく、飄々として福田首相の「哀願」に耳を傾けていたのだろう。二人だけのサシの会談だったことから、揣摩臆測がされているけれど、最もヤキモキしているのは、自民党から捨てられかねない公明党・創価学会くらいのもので、それほど心配することはない。
それよりも、「国際的孤立」を恐れて、「海上自衛隊の給油活動を継続すべきだ」と主張している政治家や学者、あるいは防衛専門家、それに一部メディアである。これらの諸氏は、根本から勘違いしている。
◆日本は、ドイツ、イタリアと並んで、国連憲章の「敵国条項」上は、然として「敵国」である。いかに「死文化」しているとはいえ、「敵国条項」は、存在している。いつ何時、息を吹き返すかわからない。日本に国際貢献を求めるからには、この「敵国条項」を削除してから求めるのが、最低限の礼儀というものである。
次に、絶対忘れてはならないのは、日本国憲法の基本原理である。軍事的には、日本は明らかに「一国平和主義」に徹することを要請されている。他国がいかに軍靴に蹂躙されていようとも、日本は、あくまでも「非暴力主義」を貫かなくてはならない。国際紛争ですら武力の行使は否定されている。そのうえで、「諸国民の公正と信義に信頼」して、我が国の安全と生存を維持する「他力本願の道」を切り拓いていくしかない。そもそもこの憲法を強要したのが、アメリカを筆頭とする連合国であったことを深く再認識し、ブッシュ大統領の指令を受けたシェーファー駐日大使を教育する必要がある。世の中には、訳知りの「現実主義者」が少なくないけれど、「国益」を翳して「何でも有り」の論陣を張るのは、日和見主義というものである。
◆大日本帝国陸海軍再建論者の立場で言うならば、「敵国条項」削除、「憲法改正」を経て、正式に国連安保常任理事国に就任し、我が国の軍備を万全にするべきである。それまで、国際テロ対策には、警察官を派遣すればよい。アメリカが、本音ベースで日本の国連安保常任理事国に就任に反対している限り、「国際貢献」には限度がある。小沢代表を捨てていたアメリカが、いまごろノコノコやってきて、協力を求めてきても、もう遅い。世の中は、アメリカの手前勝手にはいかないことを肝に銘ずるべきである。福田首相も小沢代表の前では、惨めだったろう。だからこそ、人目を避けての「密談」にしたのである。
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