◆黒田官兵衛は、「秦ファミリー」だったのか? 明智光秀が織田信長を本能寺で殺した事件「本能寺の変」が起きたのは、天正10年(1582)6月2日、黒田官兵衛が訃報を知らされたのが、6月4日だった。
羽柴秀吉軍がいわゆる「中国大返し」により、山崎の合戦に臨んだのが、6月13日、つまり、本能寺の変から11日後、訃報が知らされてから9日後の「スピーディ」な移動であった。
黒田官兵衛が訃報を知らされて、羽柴秀吉に「これで、あなた様の運が開けましたな」とし、耳打ちし、山崎の合戦場に向かった秀吉軍の動きは、以下の通りである。
4日、毛利輝元の軍師・安国寺恵瓊と停戦交渉、清水宗治が小舟の上で切腹さするのを見届けて、秀吉軍は走って、20キロ離れた沼城を走って目指す。黒田官兵衛は殿(しんがり)を務める。
6日夜、全軍沼城に集合。秀吉が「弔い合戦だ。光秀を打てば、出世は思いのままだ」と檄を飛ばし、走って80キロ離れた姫路城を目指す。
8日、秀吉軍、2昼夜で姫路城に入る。秀吉、金蔵(軍資金)をすべて開放。将兵に分け与える。休息を取る。
9日、秀吉軍1万3000人、姫路城を出発、軽装で80キロを2日かけて走破。
11日朝、摂津尼崎に入る。
12日、摂津富田、織田信長の3男・信孝を総大将とする丹羽長秀軍(脱走者が増えていた)と合流、軍勢は3万5000人に。作戦会議、秀吉、官兵衛軍、山崎、天王山に布陣。
13日朝、開戦。夜、明智光秀は、小栗栖の竹藪で討たれる。
◆秀吉軍は、武具を脱ぎ、軽装で走り続けた。武器弾薬、装備や兵糧などは、どうやって摂津尼崎まで運んだのか。備中に隠然たる勢力を張っている秦ファミリーが、海路、船で運んだと言われている。武器弾薬のほか、1万3000人分もの装備や兵糧などを運ぶ船や船頭を「6月4日から9日までの5日間」に調達するのは、簡単ではない。黒田官兵衛が事前に密かに手配していたのではないか。大量の船と船頭を一気に集められるのは、塩飽水軍などでしかあり得ない。
この作戦に、毛利輝元の軍師・安国寺恵瓊が関わっていたのではないか。安国寺恵瓊は、安芸国(広島)の守護・武田家の出身であった。毛利元就は、3人の息子の毛利隆元・吉川元春(吉川氏に養子)・小早川隆景(小早川氏に養子)に「三本の矢の教え」を授けるとともに、遺言で「天下を目指してはならない」と戒めていた。だから、毛利軍は、中国地方からさらに版図を拡大しようとはしなかった。その代わりに、秦ファミリーの勢力圏内に「皆殺し」も辞さない織田信長軍が侵入してくるのを恐れ、警戒していた。
◆織田信長は天正9年(1581)ころ、四国の覇者、長宗我部元親に四国征服を容認し、明智光秀に取り次ぎ役を任せ、明智光秀は、長宗我部元親の正室と縁戚関係にある重臣の斉藤利三(徳川家光の乳母・斉藤福=春日局の父)に取り次ぎ役の実務を行わせていた。ところが、天正10年(1582)5月上旬、織田信長は、長宗我部元親に警戒感を抱き、突如、四国政策を一方的に変更、「土佐と阿波南半分の領有のみを認める」と命じ、3男・織田信孝を総大将とする四国攻略軍の派遣を決めた。これに対して、長宗我部元親は、激怒し、織田信長の四国政策を拒んでいたが、間もなく翻意し、斉藤利三に「受け入れる」という内容の手紙を送った。だが、明智光秀は、面目丸潰れにされたばかりでなく、織田信長から領地・丹波1国を召し上げられたうえ、「秀吉の中国攻めの支援」を命じられた。このため、謀反を決意、本能寺の変を起こした。
実は、長宗我部元親は、秦ファミリーの一員であり、備前の秦ファミリーとも連絡を取っていた。同じく黒田官兵衛も秦ファミリーであったことから、秦ファミリーが明智光秀に謀反を唆しているという情報もキャッチしていた。ちなみに、毛利家も秦ファミリーである。すなわち、黒田官兵衛は、織田信長の備前侵攻を恐れる「秦ファミリー」が仕掛けた明智光秀謀反の謀略に乗っていたということだ。ただし、これはあくまで仮説である。
【参考引用】朝日新聞DIGITALが6月24日午後3時16分、「本能寺の変、なぜ起きた 謎に迫る長宗我部書簡見つかる」という見出しをつけて、以下のように配信している。
明智光秀が主君・織田信長を討った本能寺の変(1582年)の直前、光秀と近しかった土佐の長宗我部元親(ちょうそかべ・もとちか)が、光秀の重臣斎藤利三(としみつ)に送った手紙が見つかった。岡山市の林原美術館と県立博物館が23日、発表した。信長が一方的に変更した四国政策を当初拒んでいた元親が翻意し、受け入れるとした内容で、四国政策をめぐる信長と光秀の確執の解明に役立つ史料だ。
日本史上最大の謎のひとつ、本能寺の変の動機については、個人的な怨恨(えんこん)説や天下取りへの野望説、黒幕説(室町幕府最後の将軍足利義昭ら)など諸説があるが、近年では信長の四国政策転換で光秀が面目をつぶされたとする説が有力だ。
県立博物館などによると、信長は当初、元親と友好関係を築き、その四国征服を容認。元親の正室は利三の縁戚にあたるため、光秀が元親との取次(とりつぎ)役(外交官)を担っていたが、その後、四国統一に向け急速に勢力を広げる元親を警戒した信長が政策を変更。変(6月2日)の前、土佐と、阿波の南半分のみの領有を認めると命じられたことに、元親が激怒。光秀は信長と元親の間で板挟み状態になったとされる。(西江拓矢)
本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
安倍晋三首相は、「国際的にまったく信頼されていない」ので第3次世界大戦勃発の危機を回避できない
◆〔特別情報①〕
世界のロイヤルファミリーとフリーメーソン・イルミナティの「奥ノ院」に深く通じている権威筋の情報によると、「安倍晋三首相の政権がこのまま続くと、日本ばかりでなく、世界が大変なことになる。イラク情勢やウクライナ情勢を見ていると、第3次世界大戦が勃発する危険が日々高まっているので、何とか食い止めなくてはならない。安倍晋三首相は、この危機を回避できない」という。それは、なぜか。「安倍晋三首相は、国際的にまったく信頼されていないから」というのが最大の理由だ。ならば、「だれが、この危機を救うことができるのか」ということになる。答えは、「はっきりしている」のだという。
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第33回 板垣英憲「情報局」勉強会のご案内
平成26年10月5日 (日)
出版記念講演
地球連邦政府樹立へのカウントダウン!
縄文八咫烏直系!
吉備太秦と世界の
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◆新刊のご案内◆
[新版]孫の二乗の法則 (板垣英憲著 PHP研究所刊)
価格:¥1,404
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中国4分割と韓国消滅
ロスチャイルドによる衝撃の地球大改造プラン
金塊大国日本が《NEW大東亜共栄圏》の核になる
著者:板垣 英憲
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【板垣英憲(いたがきえいけん)ワールド著作集】
[『目を覚ませ!財界人~活力ある日本経済再建のための56の提言』(1995年9月25日刊)
目次
第4章◎政治家と一体になって危機を乗り切れ
―闘志満々の若手政治家を育成し、国難打開安定政権を樹立せよ! ②
提言28 財界人は商工利権争奪戦に巻き込まれるな
自民党VS新進党の商工利権争奪戦
商工利権の争奪戦は、通産省の管轄にかかわる企業群への政治的つながりをめぐる暗闘である。政治家にとって、日々の政治活動資金としての企業献金集めはどうしても欠かすことができない。いかに多くの企業と付き合い、献金してもらうかに腐心し、汗をかくかである。
つづきはこちら→「板垣英憲(いたがきえいけん)ワールド著作」*有料サイト(申し込み日から月額1000円)
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※ご購読期間中は、以下過去の掲載本全てがお読み頂けます。
『東京地検特捜部』鬼検事たちの秋霜烈日(1998年4月5日刊)
『誠』の経営学~『新撰組』の精神と行動の美学をビジネスに生かす
『忠臣蔵』が語る組織の勝つ成果Q&A
『風林火山』兵法に学ぶ経営学~人は石垣、人は城
『未来への挑戦「坂本龍馬」に学ぶ経営学』
『人生の達人~心に残る名言・遺訓・格言』(2000年6月11日刊)
『細川家の大陰謀~六百年かけた天下盗りの遺伝子』1994年1月5日刊(2000年6月11日刊)
『大富豪に学ぶ商売繁盛20の教訓―商機をつかむ知恵と決断』(2010年1月20日)
『内務省が復活する日』(1995年10月25日刊)
『情報流出のカラクリと管理術』(2003年3月10日刊)
『利権はこうしてつくられる』(1991年3月25日刊)
「『族』の研究~政・官・財を牛耳る政界実力者集団の群像」(1987年3月9日刊)
『愛する者へ遺した最期のことば』(1995年6月10日刊)
『自民党選挙の秘密』(1987年12月15日刊)
『小中学校の教科書が教えない 日の丸君が代の歴史』(1999年7月8日刊)
『大蔵・日銀と闇将軍~疑惑の全貌を暴く』(1995年5月26日刊)
『小泉純一郎 恐れず ひるまず とらわれず』(2001年6月15日刊 板垣英憲著)
『戦国自民党50年史-権力闘争史』(2005年12月刊 板垣英憲著)
『小沢一郎 七人の敵』(1996年2月6日)
『小沢一郎の時代』(1996年2月6日刊 同文書院刊)
『小沢一郎総理大臣』(2007年11月10日)
『小沢一郎総理大臣待望論』(1994年11月1日)
『ロックフェラーに翻弄される日本』(20074年11月20日)
『ブッシュの陰謀~対テロ戦争・知られざるシナリオ』2002年2月5日刊
『民主党派閥闘争史-民主党の行方』(2008年9月16日)
『民主党政変 政界大再編』(2010年5月6日)
『国際金融資本の罠に嵌った日本』(1999年6月25日刊)
『政治家の交渉術』2006年5月刊
『カルロス・ゴーンの言葉』(2006年11月刊)
「孫の二乗の法則~ソフトバンク孫正義の成功哲学」(2007年7月刊)
板垣英憲マスコミ事務所
羽柴秀吉軍がいわゆる「中国大返し」により、山崎の合戦に臨んだのが、6月13日、つまり、本能寺の変から11日後、訃報が知らされてから9日後の「スピーディ」な移動であった。
黒田官兵衛が訃報を知らされて、羽柴秀吉に「これで、あなた様の運が開けましたな」とし、耳打ちし、山崎の合戦場に向かった秀吉軍の動きは、以下の通りである。
4日、毛利輝元の軍師・安国寺恵瓊と停戦交渉、清水宗治が小舟の上で切腹さするのを見届けて、秀吉軍は走って、20キロ離れた沼城を走って目指す。黒田官兵衛は殿(しんがり)を務める。
6日夜、全軍沼城に集合。秀吉が「弔い合戦だ。光秀を打てば、出世は思いのままだ」と檄を飛ばし、走って80キロ離れた姫路城を目指す。
8日、秀吉軍、2昼夜で姫路城に入る。秀吉、金蔵(軍資金)をすべて開放。将兵に分け与える。休息を取る。
9日、秀吉軍1万3000人、姫路城を出発、軽装で80キロを2日かけて走破。
11日朝、摂津尼崎に入る。
12日、摂津富田、織田信長の3男・信孝を総大将とする丹羽長秀軍(脱走者が増えていた)と合流、軍勢は3万5000人に。作戦会議、秀吉、官兵衛軍、山崎、天王山に布陣。
13日朝、開戦。夜、明智光秀は、小栗栖の竹藪で討たれる。
◆秀吉軍は、武具を脱ぎ、軽装で走り続けた。武器弾薬、装備や兵糧などは、どうやって摂津尼崎まで運んだのか。備中に隠然たる勢力を張っている秦ファミリーが、海路、船で運んだと言われている。武器弾薬のほか、1万3000人分もの装備や兵糧などを運ぶ船や船頭を「6月4日から9日までの5日間」に調達するのは、簡単ではない。黒田官兵衛が事前に密かに手配していたのではないか。大量の船と船頭を一気に集められるのは、塩飽水軍などでしかあり得ない。
この作戦に、毛利輝元の軍師・安国寺恵瓊が関わっていたのではないか。安国寺恵瓊は、安芸国(広島)の守護・武田家の出身であった。毛利元就は、3人の息子の毛利隆元・吉川元春(吉川氏に養子)・小早川隆景(小早川氏に養子)に「三本の矢の教え」を授けるとともに、遺言で「天下を目指してはならない」と戒めていた。だから、毛利軍は、中国地方からさらに版図を拡大しようとはしなかった。その代わりに、秦ファミリーの勢力圏内に「皆殺し」も辞さない織田信長軍が侵入してくるのを恐れ、警戒していた。
◆織田信長は天正9年(1581)ころ、四国の覇者、長宗我部元親に四国征服を容認し、明智光秀に取り次ぎ役を任せ、明智光秀は、長宗我部元親の正室と縁戚関係にある重臣の斉藤利三(徳川家光の乳母・斉藤福=春日局の父)に取り次ぎ役の実務を行わせていた。ところが、天正10年(1582)5月上旬、織田信長は、長宗我部元親に警戒感を抱き、突如、四国政策を一方的に変更、「土佐と阿波南半分の領有のみを認める」と命じ、3男・織田信孝を総大将とする四国攻略軍の派遣を決めた。これに対して、長宗我部元親は、激怒し、織田信長の四国政策を拒んでいたが、間もなく翻意し、斉藤利三に「受け入れる」という内容の手紙を送った。だが、明智光秀は、面目丸潰れにされたばかりでなく、織田信長から領地・丹波1国を召し上げられたうえ、「秀吉の中国攻めの支援」を命じられた。このため、謀反を決意、本能寺の変を起こした。
実は、長宗我部元親は、秦ファミリーの一員であり、備前の秦ファミリーとも連絡を取っていた。同じく黒田官兵衛も秦ファミリーであったことから、秦ファミリーが明智光秀に謀反を唆しているという情報もキャッチしていた。ちなみに、毛利家も秦ファミリーである。すなわち、黒田官兵衛は、織田信長の備前侵攻を恐れる「秦ファミリー」が仕掛けた明智光秀謀反の謀略に乗っていたということだ。ただし、これはあくまで仮説である。
【参考引用】朝日新聞DIGITALが6月24日午後3時16分、「本能寺の変、なぜ起きた 謎に迫る長宗我部書簡見つかる」という見出しをつけて、以下のように配信している。
明智光秀が主君・織田信長を討った本能寺の変(1582年)の直前、光秀と近しかった土佐の長宗我部元親(ちょうそかべ・もとちか)が、光秀の重臣斎藤利三(としみつ)に送った手紙が見つかった。岡山市の林原美術館と県立博物館が23日、発表した。信長が一方的に変更した四国政策を当初拒んでいた元親が翻意し、受け入れるとした内容で、四国政策をめぐる信長と光秀の確執の解明に役立つ史料だ。
日本史上最大の謎のひとつ、本能寺の変の動機については、個人的な怨恨(えんこん)説や天下取りへの野望説、黒幕説(室町幕府最後の将軍足利義昭ら)など諸説があるが、近年では信長の四国政策転換で光秀が面目をつぶされたとする説が有力だ。
県立博物館などによると、信長は当初、元親と友好関係を築き、その四国征服を容認。元親の正室は利三の縁戚にあたるため、光秀が元親との取次(とりつぎ)役(外交官)を担っていたが、その後、四国統一に向け急速に勢力を広げる元親を警戒した信長が政策を変更。変(6月2日)の前、土佐と、阿波の南半分のみの領有を認めると命じられたことに、元親が激怒。光秀は信長と元親の間で板挟み状態になったとされる。(西江拓矢)
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著者:板垣 英憲
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目次
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『東京地検特捜部』鬼検事たちの秋霜烈日(1998年4月5日刊)
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『細川家の大陰謀~六百年かけた天下盗りの遺伝子』1994年1月5日刊(2000年6月11日刊)
『大富豪に学ぶ商売繁盛20の教訓―商機をつかむ知恵と決断』(2010年1月20日)
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『小泉純一郎 恐れず ひるまず とらわれず』(2001年6月15日刊 板垣英憲著)
『戦国自民党50年史-権力闘争史』(2005年12月刊 板垣英憲著)
『小沢一郎 七人の敵』(1996年2月6日)
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