◆名女優・岸田今日子さんが亡くなった。憎まれっ子、世に憚ると言われながら稀代のマルチ人間・青島幸男さんもこの世を去った。俳優・丹波哲郎さんは、元々、冥界と行き来していたような奇人だったので、死去の報道にも大した驚きはなかったけれど、岸田さんが突然冥界入りされたというニュースには、ビックリさせられた。意地悪ばあさんの青島さんは、しばらくテレビ画面から消えていただけに、久方ぶりに消息に接した感じだった。
この世の中から、個性の強い、しかも面白い人物が去っていくのは、寂しい限りである。政界のお騒がせおじさん、小泉前首相が退陣して以来、政治が面白くなくなっているので、国民の政治離れが加速しつつある感が強いだけに、政界にしろ、芸能界にしろ、名優、名女優が桧舞台から姿を消すのは、残念至極である。
◆とくにいまの政界に限ってみれば、サラリーマン社会とあまり大差がなくなっている。そのなかでも、サラリーマン化に拍車をかけているのが、松下政経塾出身の政治家たちである。男女問わず、リクルートスーツを着たような政治家ばかりで、丸で個性というものがない。どこから切っても同じような顔つきの人間が出てくる。演説は、下手くそで、とても聴いていられるような代物ではない。ロボットにしゃべらせた方がまだましだろう。
演説力というのは、民主主義社会では、必須条件である。聴衆をうならせる演説、引き込ませる演説、頭にくるような演説、それぞれが、国民・聴衆の気持ちを政治に向けて高ぶらせる。そしてそのエネルギーが、投票行動となって顕現するのである。
◆かつては、吃音を克服して名演説家になった田中角栄元首相、「金権政治の打破、政治倫理の確立」が口癖だった三木武夫元首相、「ホー、ホー」と鳴いていた福田赳夫元首相、「アー、ウー」と苦しそうに息をうならせていた大平正芳元首相、「わたくしが、リツコウホ(立候補)致しましたときは」と浪曲調で聞かせていた春日一幸元民社党委員長らの演説が、いまは懐かしい。いすれも声帯模写の名人・桜井長一郎さんの持ちネタだった。
ところが、いまは、コロッケにすら真似されるような政治家が見当たらず、ほぼ絶滅しかかっている。これでは、演説が衰退してしまうのは、当たり前である。
◆演説が下手なのは、松下政経塾出身の政治家に止まらず、最悪なのは、安倍首相の演説である。師匠の小泉前首相の真似もできず、どちらかと言えば、森喜朗元首相や青木幹雄参議院自民党会長ら「密室談合型」の政治家タイプの影響を強く受けた感の強い「ボソボソ」「コソコソ」バージョンに近いしゃべり方である。いかに熱弁をふるってみせても、「多言にして意味不明」なのである。何を言いたいのかさっぱり分からない。「言語明瞭、意味不明型」の竹下登元首相と、田中真紀子元外相から「多言にして空疎」と揶揄された羽田孜元首相を掛け合わせたような演説ぶり、説明ぶりなのである。
こうした演説力低下の政界にあって、民主党の渡部恒三最高顧問のいまや芸術的とも言える「ユーモア演説」が依然として精彩を放ち、「孤塁」を守っているのは、せめてもの救である。近い将来、「渡部恒三のユーモア演説集」と題して一冊の本にまとめさせてもらおうと密かに企画を練っているところである。お楽しみに!
この世の中から、個性の強い、しかも面白い人物が去っていくのは、寂しい限りである。政界のお騒がせおじさん、小泉前首相が退陣して以来、政治が面白くなくなっているので、国民の政治離れが加速しつつある感が強いだけに、政界にしろ、芸能界にしろ、名優、名女優が桧舞台から姿を消すのは、残念至極である。
◆とくにいまの政界に限ってみれば、サラリーマン社会とあまり大差がなくなっている。そのなかでも、サラリーマン化に拍車をかけているのが、松下政経塾出身の政治家たちである。男女問わず、リクルートスーツを着たような政治家ばかりで、丸で個性というものがない。どこから切っても同じような顔つきの人間が出てくる。演説は、下手くそで、とても聴いていられるような代物ではない。ロボットにしゃべらせた方がまだましだろう。
演説力というのは、民主主義社会では、必須条件である。聴衆をうならせる演説、引き込ませる演説、頭にくるような演説、それぞれが、国民・聴衆の気持ちを政治に向けて高ぶらせる。そしてそのエネルギーが、投票行動となって顕現するのである。
◆かつては、吃音を克服して名演説家になった田中角栄元首相、「金権政治の打破、政治倫理の確立」が口癖だった三木武夫元首相、「ホー、ホー」と鳴いていた福田赳夫元首相、「アー、ウー」と苦しそうに息をうならせていた大平正芳元首相、「わたくしが、リツコウホ(立候補)致しましたときは」と浪曲調で聞かせていた春日一幸元民社党委員長らの演説が、いまは懐かしい。いすれも声帯模写の名人・桜井長一郎さんの持ちネタだった。
ところが、いまは、コロッケにすら真似されるような政治家が見当たらず、ほぼ絶滅しかかっている。これでは、演説が衰退してしまうのは、当たり前である。
◆演説が下手なのは、松下政経塾出身の政治家に止まらず、最悪なのは、安倍首相の演説である。師匠の小泉前首相の真似もできず、どちらかと言えば、森喜朗元首相や青木幹雄参議院自民党会長ら「密室談合型」の政治家タイプの影響を強く受けた感の強い「ボソボソ」「コソコソ」バージョンに近いしゃべり方である。いかに熱弁をふるってみせても、「多言にして意味不明」なのである。何を言いたいのかさっぱり分からない。「言語明瞭、意味不明型」の竹下登元首相と、田中真紀子元外相から「多言にして空疎」と揶揄された羽田孜元首相を掛け合わせたような演説ぶり、説明ぶりなのである。
こうした演説力低下の政界にあって、民主党の渡部恒三最高顧問のいまや芸術的とも言える「ユーモア演説」が依然として精彩を放ち、「孤塁」を守っているのは、せめてもの救である。近い将来、「渡部恒三のユーモア演説集」と題して一冊の本にまとめさせてもらおうと密かに企画を練っているところである。お楽しみに!