Jimmyの旅行放談

私は海外旅行が好きで、これから色々体験談を流して皆さんのご意見をお伺いいたしたいと思います。

シベリアの「お神渡り(おみわたり)」を見てきました!」続編-7、P3

2005年06月02日 09時38分33秒 | Weblog
第6日目 1月2日(水)続き-2

 前回の続きです。

 そんな風景を胸に焼き付けた後、広場にある潜水艦博物館を訪れる。

 展示場となっているのは第2次世界大戦で使用したというロシアのC-56潜水艦(1941~1945活躍)の中へ潜り込むのである。潜り込むといっても頭が天井につかえる訳では無い。

 中型潜水艦だから結構中は広いのである。この潜水艦は大戦中にロシア帝国海軍が使用したC-56潜水艦が沈没したのをそのまま陸揚げして内部を博物館にして一般公開しているものである。
 
 その時の模様について詳細をお知りになりたい方は、以下のサイトをクリックしてお読みください。
 http://www.biwa.ne.jp/~yamato/jiku2.htm-70k [www.biwa.e.jpから検索]

 この博物館内では私の今まで知らなかった日本海軍の当時の模様がグラフや航跡などを交えて克明に綴られていた。

 そして、現在はインターネットで当時の日本海軍の事情が手を取るように分かるようになり便利な時代になったものだ。

 実は、いきなり日本の潜水艦で「伊58潜水艦」と言われてもサッパリ分からなかったが、インターネットのお蔭でその概要が知らされる。

 その概略を改めて少しそのさわりの部分を御披露させて頂くならば、「日本海軍ほど大型潜水艦やいろいろな種類の潜水艦を保有していた海軍は例を見ない」と言われているし、「潜水艦の型式は結構ややこしいものがあり、大きさの順番で伊号、呂号、波号(イロハの順)とも呼ばれている」ということが分かった。

 それで、はじめてウラジオストックの潜水艦博物館で説明を受けた沈没したロシアのC-56潜水艦と日本の沈没した「伊58号」潜水艦との出会いも良く分かろう、というものだ。

 日本海軍と言えば、私の長兄も当時東京帝国大学の独法科の3年生の時、学徒動員で青森の大湊海軍基地に配属され少尉に任官して、休暇で実家に帰った時、良く小隊長だから規律上よく隊員を殴るんだが、初めは片手ずつ両手で叩いていたが、何十人も叩くので手がふくれ上がり、履いている皮のスリッパを脱いで殴るんだって、聞かされたエピソードを思い出した。

 ほんとうに大戦中は皆死に物狂いで生きてきたのである。ましてや、日本海での海戦ならば絶後につきるものがあったに違いない。

 また、元に戻りますが、ガイドのイーリアさんはとても日本語がうまく、アクセントも標準語で違和感が全然無く、そのあたりの事情を聞いて見たかったが、彼について回るだけで精一杯だった。

                 今日は、ここまで…。

 写真は、広場に展示されている潜水艦内でガイドの説明を聞く団員たち。