Jimmyの旅行放談

私は海外旅行が好きで、これから色々体験談を流して皆さんのご意見をお伺いいたしたいと思います。

シベリアの「お神渡り(おみわたり)」を見てきました!」続編-8、P3

2005年06月06日 22時30分55秒 | Weblog


 前回の続きで、今回が最終号になります。

 第7日目(最終日) 平成14年1月3日(木)続き-2

 空港へ着くと、厳重な出国手続きを済ませ、機上の人となるわけだ。

 帰りの便は、ウラジオストック航空だった。入国時のダリアビア航空とは違って、機内放送は全部日本人スチュアデスによってなされ、全く違和感は感じられなかった。約2時間後の14:15新潟空港へ到着する。

 ところが、新潟ではかなりの積雪のため、予定のバスでは列車の時間に間に合わないと分かり、急遽各自タクシーで駅へ向かう。

 駅へ着くとみんな小走りでやっと間に合って、上越新幹線「Maxあさひ388号」にて新潟駅を16:05出発する。終着駅、上野へは定刻通り、18:06到着。

 上野駅で団長Y氏のねぎらいの挨拶の後、自由解散。

 かくして、長~いタイトル「むさしの・多摩・ハバロフスク協会設立5周年記念冬季体験団、ハバロフスク タイガの中の小さな村でのお正月体験と冬のシベリア鉄道・ウラジオストックで芸術鑑賞7日間」の旅は無事終わったことになる。

 写真は、ウラジオストック空港のお土産店。

 ほんとに長~い間、この紀行文を読んで頂いた皆様、誠に有難うございました。


あとがき:

 私は、この旅行を終えて大変有意義な体験と、今まで抱いていたロシア観とイメージが変わったような気がする。

 ここで、注意しなければならないのは、私が訪問したのは、あの広大なロシアの中で、極東ロシアの一部だけを知った訳で、これのみを以って全体として捉えるのは大きな誤算になるものと思う。でも、そうは言ってもロシア国民の、しかも地方の国民性が少しは理解できたものと自己満足をしている。

 只、地理的、歴史的経緯から判じてロシア(旧ソ連)の南下政策だけは今後も変わらないと思う。

 従って、日本政府としては今後も中々難しい舵取りが必要となると思うが、まず国民一人一人が日露友好関係を築く努力の積み重ねが重要な課題だと、このツアーを通じての私の結論である。

 最後に、私が帰国してからハバロフスク・タイガの中の小さな村でのお正月を体験してお世話になったホスト宛に英文で礼状(礼状のことを英語で一般的にThank you note.と言うのであるが)をしたためて、ハバロフスク協会を通じて、その村へ送りました。いまだに、その返事は私の手元に届いていないので、果たして御本人に届いているのか否かも分からない。私のホストのお父さんは、きっと読んで頂けたものと期待しつつ、私のこの拙い紀行文を閉じたいと思います。     
                                        完