和泉の日記。

気が向いたときに、ちょっとだけ。

「アンテナ少女」

2008-03-30 23:25:59 | 小説。
多分、僕が今この地下道で座り込んで呆けているのは――
目の前で歌い続ける少女のせいなのだ。

あの日。
僕は、会社へ向かうためいつものようにこの地下道を歩いていた。
嫌になるほどの人の群れ。
前だけを見つめる目。機械的なリズムの足取り。無言。
いつも通りのいつもの風景。
そんな中、僕は「異質」を見つけた。

――地下道の中ほどで、か細く歌う少女。

白い肌に、白いブラウス、白いスカート。
透明な歌声が、存在感の希薄な少女から流れ出していた。
歌詞は、分からない。日本語のようでもあるし、英語のようでもある。
音量も小さい上に、発音も今ひとつ明瞭ではなかった。
気になるが、今はそんな余裕はない。遅刻寸前のペースなのだ。
僕は、少女を無視して、いつも通りの速度で地下道を歩き抜けた。
その日、100名程度の我が社の社員が、同時に10名近く欠勤していた。

次の日も、その次の日も、少女は歌っていた。
足を止めたい誘惑を、僕は何度も振り切った。
僕には、ひとつ考えがあったのだ。
それを実行するまで、取り敢えず我慢しておくことにした。
僕の考え――それは至ってシンプル。
あの少女は、休日も歌っているだろうか?
次の休日、いつもなら昼前まで眠っているところを、無理に平日と同じ時間に起きて
地下道へと向かった。
これならば、足を止めようが全く問題はない。
僕は少し高揚していた。
咽喉に痞えたものを取り除ける感覚。
そして、あの少女と直接会話できるかもしれないという、少し不純な動機。
前日には社員の半数が欠勤していたことも、忘れ去っていた。

白い少女は、休日にも関わらず、歌っていた。
人は殆どいない。そんな中で、いつもと変わらず、歌い続けていた。
僕は、歌う少女の真向いの壁にもたれかかって、それを聞いた。
細く、薄く、儚い、不思議な歌だった。
やはり歌詞は分からない。そもそも、意味があるのかも分からなかった。
だけど、やはり――どうしても気になって仕方ない。
意識が、頭全部が、根こそぎ持っていかれるかのような魅力を感じた。
そんな不思議な感覚が、10分は続いただろうか。ようやく、歌は終わった。
少し間を空けて、僕はささやかに拍手を送る。
少女は――驚いたような瞳で、僕を見た。
拍手は、まずかった・・・のだろうか?
「あ、いや・・・お上手ですね?」
我ながら最悪な台詞だと思った。
「・・・ありがとう」
思ったより悪くない反応だった。機嫌を損ねてはいないらしい。
僕は、調子に乗ってもう少し踏み込んでみることにした。
「いつも、ここで歌ってるよね」
「・・・ええ」
「えーと・・・学校、とかは?」
ああ、何だこの台詞。最悪だ。僕の頭は最悪だ。
「行ってない。もう、やめた」
抑揚なく、少女は言った。またしても、機嫌を損ねることはなかったようだ。
と、いうか――この娘、感情が希薄すぎやしないか。
「やめた・・・何でまた?歌手志望とか?」
「いいえ」
そこで、少女は一瞬間を置いて・・・だけど視線を逸らすことなく言った。
「私は、アンテナだから」
・・・アンテナ?
何を言っているのか、分からなかった。
「アンテナ。受信機。そして、アンプでありスピーカー」
「うん、いや、ごめん。ますます、分からないや」
かくん、と首をかしげる。分からないことが分からない、と言うように。
「アンテナはアンテナ。電波を受信し、それを伝えるのが仕事」
・・・電波、と来たかこのヤロウ。
僕は軽く頭を抱えた。
しかし、そこでひとつ嫌なことに思い当たった。
「そういえば、少し前に日本のどこかに電波塔が建ったとか・・・」
「そう、そこから発信される電波を受信し、増幅し、歌として伝えているの」
嫌なビンゴだった。僕は続ける。
「伝える、って、誰に?」
「みんなに。ここは、たくさんの人が通るから。今日は少ないけれど」
そりゃ、休日は少ないわな。なんという融通の効かなさだ。
「っていうか――」
そして僕は、核心に触れる。
「その電波を受けて、君は、何を、伝えているの?」
「・・・あなたには、伝わらなかった?」
「ああ――まぁ、キレイな歌だなぁとは思ったけれど」
「私が受けた電波は、言葉にすればほんの僅か。だけど、伝えるのは困難。
 だから、直截的な言葉を避けて、歌として――時間をかけて、婉曲的に伝えてる」
それは、何だ。
国が造った、不思議な電波を発射する電波塔。
それが発するメッセージとは、何だ。
「言葉にすれば、本当に一言。それは――」

「みんな死ねばいいのに」

「――そんな。それは、それは・・・誰の願いだ」
「そんなのは知らない。私は、電波塔からの電波を、伝えているだけ」
「会社・・・うちの会社、最近欠勤者が多いんだ。それってまさか」
「そう、多分、私が伝えたから。きっと、どこかで、死んでいる」
死んでいる。
会社の約半数――50人近くが、1週間もしない間に。
そんなこと有り得ない、とは、僕には言えなかった。
その代わりに、何も言わず、ふわふわとした足取りで自宅へと帰っていった。

次の日――つまり、今日。
僕は無理をして、いつも通り会社へ向かった。
予想した通り、会社は閉まっていた。
みんな、もう死んでしまったのか。
何にしても、仕事をすることができる人間は僅かであるようだ。
僕は、地下道へと戻った。そして、いつも通りに歌い続ける少女の前に座り込む。
歌が終わって、今度は少女から声を掛けてきた。
「会社は、どう?」
「・・・誰も、いなかったよ」
「そう。上手く伝わっているようで安心した」
人間とも思えない発言は、多分、もうこの娘は人間じゃないからだ。
「なぁ」
僕は、ひとつ提案する。
「電波を受信してるってことは、例の電波塔と繋がってるってことだよな。
 じゃあ、コッチから電波塔を攻撃するってことは――できないのか」
少女は、目を逸らさない。眉のひとつも、動かさない。
「できない。私はただのアンテナ。こちらからハッキングの類はできない」
「双方向じゃないってことか」
「そう、一方通行」
参ったね、それは。
「もうひとつ。アンテナって、君の他にもいるの?」
「いる。たくさん」
「・・・そっか」
僕はそこで目を伏せる。
そして少女は、話は終わったとばかりに、再度歌い始めた。

人もまばらな地下道に、少女の細い歌が響き渡る。
意味も分からないその歌は――確実に、この場にいる人を狂わせるだろう。
そう、いずれは、僕も。
そして、こちらから電波塔へアクセスできない上に、アンテナがひとつでない以上――
僕に、できることは、もう何もない。
絶望した僕は、アンテナを破壊しようと握り締めた、鋭利なナイフを投げ捨てて。
壁を背に座り込んだまま、その魅惑的な破滅の歌に耳を傾けるのだった。
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