こないだ「共感できない一人称ってどうよ?」っていう話をしましたが、そこでちらっと
「ニュートラル」という言葉を挙げたと思います。
今日はそのことについて少し。
ニュートラルって怖いよね。というお話。
ニュートラル。中立。グレー。曖昧。どっちつかず。
ここで言っているのは、「バランス感覚が良い」とかいうレベルではなく、
「極端な真ん中」
という若干矛盾したような概念です。
「共感できない一人称」の主人公を、コレにしようかと思っています。
ニュートラルなんだから共感できんじゃね?って感じですが、多分そうでもないです。
多かれ少なかれ、世の中の人々は偏ってると思うんです。
それを完全平均化したのが「普通の人」なわけですが、そんな特定個人はいないよね、と。
で、仮にそんな「普通の人」というキャラクターを持った個人がいたら、それはスゲエ
怖いことなんじゃないかなぁ。
仮に、この普通の人を「平均(たいら・ひとし)」さんとします。
平さんは、何事においてもニュートラル。
例えば、ニュートラルだから基本的に本気で怒ることがありません。
怒るってことは自分の許せないこと、許容範囲外のことについて発生するもの。
平さんは、立ち位置が真ん中だから、どんな人に対してもある程度歩み寄れるのです。
平さんの前に、凄く嫌味な人が現れたとします。
「平さんは地味で平凡だね。天才でイケメンで金持ちの僕とは大違いだぜ」
なんて言われても、
「ああ、確かにそうかもしれないね。君は凄いし、僕は普通だ」
・・・という感じで、華麗にスルー。
だって、平さんにとってフックすることが先の暴言に含まれないから。
それも、会話が成り立たないとか現実を見てないとかではありません。
一般的な、破綻しない会話はできるし、その場は違和感なくやり過ごせます。
さて、ここでもう一歩踏み込んで考えてみましょう。
そんな平さん、ある日友人からこんな話を振られました。
「海外には恵まれない子供がいる。海外への支援を強化すべきだ」
なるほど、と思う平さん。友人は続けます。
「しかし、個人でできることは限られている。まずは募金活動だ」
そんな熱い思いを持った友人に、平さんは賛同します。
「君の言う事はもっともだ。頑張るといい」
そして、少額ながら平さんも募金をすると言います。
友人は、自分の思いを理解してくれたと大いに喜びました。
――ところが、平さんは別に感化されたりなんかしません。
その場を取り繕うことは上手ですが、根っこのところは揺らいでいないのです。
ここでは、友人の過大な熱量をやり過ごすために話を合わせはしますが、例えばその後
一緒になって街頭で募金活動をしたりすることは絶対にありません。
友人にしてみれば、気持ち的には裏切られたような感じですが、別に確たる約束をした
わけでもないので咎めるわけにもいかない。
何だか肩透かしを食らったような、のれんに腕押しな感覚だけが残ります。
こういう人は、実に不気味で怖いなと思うんですよね。
偏った人間の偏った熱量を、上手く逸らして受け流すことに長けた人種。
話した内容が、客観的には何ら間違ってないけど異なった熱量をもって認識されてしまう。
しかもそれを天然でやってるものだから、相手としては何とも気持ち悪い。
それもこれも、平さんが「ニュートラルだから」なんです。
そんな「普通の人」。
善でも悪でもない、妙な立ち位置にはなかなか共感できないと思いますよ。
・・・ま、結局そんなキャラを書くのは難しいよね、という結論にはなるんですが。
「ニュートラル」という言葉を挙げたと思います。
今日はそのことについて少し。
ニュートラルって怖いよね。というお話。
ニュートラル。中立。グレー。曖昧。どっちつかず。
ここで言っているのは、「バランス感覚が良い」とかいうレベルではなく、
「極端な真ん中」
という若干矛盾したような概念です。
「共感できない一人称」の主人公を、コレにしようかと思っています。
ニュートラルなんだから共感できんじゃね?って感じですが、多分そうでもないです。
多かれ少なかれ、世の中の人々は偏ってると思うんです。
それを完全平均化したのが「普通の人」なわけですが、そんな特定個人はいないよね、と。
で、仮にそんな「普通の人」というキャラクターを持った個人がいたら、それはスゲエ
怖いことなんじゃないかなぁ。
仮に、この普通の人を「平均(たいら・ひとし)」さんとします。
平さんは、何事においてもニュートラル。
例えば、ニュートラルだから基本的に本気で怒ることがありません。
怒るってことは自分の許せないこと、許容範囲外のことについて発生するもの。
平さんは、立ち位置が真ん中だから、どんな人に対してもある程度歩み寄れるのです。
平さんの前に、凄く嫌味な人が現れたとします。
「平さんは地味で平凡だね。天才でイケメンで金持ちの僕とは大違いだぜ」
なんて言われても、
「ああ、確かにそうかもしれないね。君は凄いし、僕は普通だ」
・・・という感じで、華麗にスルー。
だって、平さんにとってフックすることが先の暴言に含まれないから。
それも、会話が成り立たないとか現実を見てないとかではありません。
一般的な、破綻しない会話はできるし、その場は違和感なくやり過ごせます。
さて、ここでもう一歩踏み込んで考えてみましょう。
そんな平さん、ある日友人からこんな話を振られました。
「海外には恵まれない子供がいる。海外への支援を強化すべきだ」
なるほど、と思う平さん。友人は続けます。
「しかし、個人でできることは限られている。まずは募金活動だ」
そんな熱い思いを持った友人に、平さんは賛同します。
「君の言う事はもっともだ。頑張るといい」
そして、少額ながら平さんも募金をすると言います。
友人は、自分の思いを理解してくれたと大いに喜びました。
――ところが、平さんは別に感化されたりなんかしません。
その場を取り繕うことは上手ですが、根っこのところは揺らいでいないのです。
ここでは、友人の過大な熱量をやり過ごすために話を合わせはしますが、例えばその後
一緒になって街頭で募金活動をしたりすることは絶対にありません。
友人にしてみれば、気持ち的には裏切られたような感じですが、別に確たる約束をした
わけでもないので咎めるわけにもいかない。
何だか肩透かしを食らったような、のれんに腕押しな感覚だけが残ります。
こういう人は、実に不気味で怖いなと思うんですよね。
偏った人間の偏った熱量を、上手く逸らして受け流すことに長けた人種。
話した内容が、客観的には何ら間違ってないけど異なった熱量をもって認識されてしまう。
しかもそれを天然でやってるものだから、相手としては何とも気持ち悪い。
それもこれも、平さんが「ニュートラルだから」なんです。
そんな「普通の人」。
善でも悪でもない、妙な立ち位置にはなかなか共感できないと思いますよ。
・・・ま、結局そんなキャラを書くのは難しいよね、という結論にはなるんですが。