cogito ergo sum

日々の雑感・料理レシピ・KinKi Kidsに関することなど…
好きなものを気ままに綴るMy Style♪

ファッション考

2007-12-08 | Weblog
今日はたいしたニュースはなかったのですが…
知り合いと話していて話題になったことから。
私はまぁまぁファッション関係は好きなので、そんなことは考えたこともなかったのですが、知り合いの話ではですね、
とにかく、洋服を何着ようか、と考えるのがイヤだっ!
というんです。
だったら、適当にこの季節は決まってこれを着ちゃうとか、何なり自分で決めて、好きに着ていれば??
と、思ったので、そういったんですけど、それだと、
流行からだんだん離れていったとき、まわりと違う感じになっていると、ヘンな人~と他人から見られているようで気になる、そういうことを気にしながら街に出たりしなきゃならないのが耐えられない、
というんですね
で、
全員、これを着ましょう、みたいな、標準服があると安心で助かる、
らしいんです…

ぱっと聞いたときには、はぁぁ???
って感じだったんですけど、
まぁ、その人にしてみれば真剣な話で。
たしかに、本人に似合っていようが、似合っていまいが、流行するとみんなそんな感じの服にあっという間に変わってしまう、
雑誌で注目になれば、自分とモデルとの違い、なんてのは関係なく、そっくりそのままの、同じ服を買う人が殺到…
というのが、日本ですから、
古いままでもいい、新しいものに興味がない、と放ったままにしておくと、目だってしまう、という世の中なのかもしれません。
昔に比べると、日本もいろんな格好、個性的なスタイルで街を歩く人も増えてきたし、そういう人を特別視する傾向も少なくなってきていると思うのですが、
流行の流れは速く、極端になってきている、というところもあるので、
興味がない人でも、一目瞭然、大多数の雰囲気の変化、その違いにイヤでも気づかされる、という状況になってきているのかもしれません。

自信はないけど、好き、とはいえる私としては、
むしろ、まわりと違う格好ができてしまう、というほうが、感心に値する、
自分が身に着け「られる」なかで、まわりとは差異化を表現できる、なんてのはなかなかない、と思ってしまうのですが。

身に着け「られる」という判断基準が
そのときの流行と、自分に似合うかどうか、のとっても感覚的なところから来ている“範囲”だから、それがまず大きく違うんですよね。
たとえば、規則で「緑を着なさい」とかできたとしたら、
彼らはきっと喜んで「一般的」「真緑」を身に着けるんだと思います。
私は…様子をみつつ、だけど、モスグリーンにわざとしてみたり、偏光で違って見えるものとか、パステルとか、ついついいろいろ遊びたくなっちゃう…
で、みんながいろいろ「違反」し始めると、逆に超鮮やかな真緑を試してみようかな、とか…
要するにへそ曲がり??なんだけど、ファッションってそういうへそ曲がり的遊びがスキかどうか、ってところがかなりあると思うんです。
う~ん…そうなってくると難しい…

目立つのがイヤ、という相談として要約したとしても、
こういう私から見て「目立つ」というのは、あくまでかえって“おしゃれ”な人なんですよね。
あの人、カッコいい~☆ とか、
スタイルいいなぁ~ とか、
むずかしい形、むずかしい色なのに、キレイに着てるなぁ~ とか、
このタイプのはあんまり好きじゃないと思ってたけど、あんなふうに着ていると似合うなぁ、自分も試してみたら変われるかなぁ~ …とか、、、
とにかく、少なくとも記憶に残るのは、おしゃれさん、なんですよ。
イケてなっ
という人の場合は、せいぜいその場で避けて通る、くらいなもので、関心ないから忘れちゃうんですよね。
だから、つい、目立たないようにしたい、といわれても
別に興味なくて適当に着てたら、大してだれもなんとも思わないでしょ、
になっちゃうんだけど、
私みたいな人が大多数を占めるかどうかはわからない、
「適当」という範囲も、想像の中だから確定できない、
あれだけ、まとめて雑誌掲載品☆で完売になったりしてるところを見ると、私みたいなシニカルおしゃれ好きみたいな意見は、「特に」目立ちたくない、というところからして、役にたたなそうで…

ほんと、答えに困ってしまいました
完全な感覚的なこと、ココロの中のことだから、めったなことは言えないし。

とにかく、その本人に、ほかの人から浮いていると思わせなくてすむ、
そんなスタイルの保ち方をアドバイスしようと考えたんですけど…

無難にいこうとすると、ある程度流行に関心を持ってくれ、ショップの人に聞くとか、雑誌とかを参考にしてくれ、というところに行き着いてしまうんです。
でも、根本、それがメンドウ、そういうことに関心がないから、気を使うのが疲れる、というところから始まっている話…。

結局どうにもならない、堂々巡り~なんですよね。

ファッションってなんなんだろう??
流行ってなんなんだろう??

攻撃的、挑戦的な自己表現のひとつで、そういうなかに巻き込まれたくない、という人にはそれなりの逃避場所があってもいいのかもしれない
あ、だからといって、今の世の中で制服の設置、みたいなのは極めて不可能なことですけど、
おしゃれなんて楽しみじゃない、悩みのタネにしかならない人のための、ひとつの指針、
みたいなものにも、ぢつは隠れた需要があるのかも…
なんて、思ってしまったのでした。。。

いろんな人がいる、
だからおもしろいんだけど。
ツライ思いをしているなら、なんとか和らげられるような策はないのかな?
そう考えてみることは、悪いことじゃない、
アホっぽいようなことでも、考えてみる価値すらないわけじゃない、
何かと気ぜわしい世の中だけど、少なくとも、そういうことも考える幸せを感じられる、余裕のある、そんな器と深さのある人間でありたいものだと思います。

…ってそんなたいそうな話でもないか
ま、何気ないところでもいろんな感じ方の人がいるもの。
日々異文化交流?!です。

今日のレシピです

・はまちのポワレ 磯の香りのバターソース …①
・たこわさのイタリアンサラダ …②
・白菜と長ネギのアンチョビオリーブ炒め …③

①の作り方
1 はまちは切り身を用意し、軽く塩こしょうして、オリーブオイルでソテー
  する
2 みじん切りにしたにんにくと多めのバターを鍋に入れて炒める
3 焦がしバター状になったら、水で軽く戻した青さのりと塩、隠し味の醤油
  を加える
4 火を止めて、バターを香り付けに少し足し、ソースとして仕上げる
5 ごく細い千切りにしたジャガイモ、にんにくの薄切りを油で揚げる
6 器に4のソースを敷き、1の魚をのせて、上に揚げたパリパリのじゃがい
  もを針状に高く盛りつけ、まわりに5で揚げたにんにくのチップも散らす

②の作り方
1 大根の葉は適当な長さに切る。大根は短冊切りにする
2 1をさっと塩茹でする
3 たこわさと2の大根、葉をあわせ、オリーブオイル、レモン汁、塩であえる

③の作り方
1 白菜は食べやすい大きさに切り、長ネギは半割にする
2 刻んだアンチョビとひまわりオイル、刻んだオリーブを鍋に入れ、長ネギ、
  白菜を焦げ目がつくくらいに焼き付ける
3 軽く塩こしょうをして味を調え、出来上がり

※ひまわりオイルに漬け込まれたオリーブならば、その漬けオイルを利用すれ
 ばよいと思います。
 香りも出ているし、漬け用のハーブも入っているので☆
 中のオリーブを食べ切って捨ててしまう、のではもったいないので、私はこ
 んな風に炒めるときなどに使っています。
 大根葉も捨てる人も多いけど…おいしいんですよっ!
 …けっこう捨てるものばかり エコクッキング

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