cogito ergo sum

日々の雑感・料理レシピ・KinKi Kidsに関することなど…
好きなものを気ままに綴るMy Style♪

どよん…び?!

2008-07-05 | Weblog
[レシピ] ブログ村キーワード

今日は土曜日、だけに、どよん…と。。。
ってどんなおやじギャグだよそれ

まぁ、そんなサムいギャグは横へ置いておいて。
…ってタイトルにまでしてしまったのは、ほかでもないわたくしですが

相変わらず暑いし、なんだか不快指数高いような天気が続いていて、そうでなくてもどうも雰囲気が好きになれない土曜日に、どよん…とした気分。
いつもならこれを過ぎれば、明日はDBもあって
なんですけど、今週はお休みだし。。。ぐすん
こんなときは読書でもして…
と言いたいところなのに、図書館は夏休み前のシステム整理、蔵書整理で長期のお休み中。
しかも借りだめした本は、予想に反して、驚くべくツマンナイ、ときている…。
まったく踏んだりけったり?!な。

ま、そんなわけでついグチっぽくなってしまいそうですが、今日のニュースをいくつか。

まずは一般ニュースからひとつ。
今朝新聞に掲載されていたニュースなんですけど、
「歯周炎治療の容器使いまわし 広島で推計8500人に」
以前の採決器の使い回しが全国で次々発覚したケースと、ほぼ似たような事例なのですが、これは歯茎から出血しやすい歯周炎の治療薬である軟膏を歯と歯茎の間に注入する容器を、1本につき平均4~5人の患者に使い回ししていたというもの。
まったくどういう神経だったら、こんな注射器型のものを使いまわそうという気になるのか、素人考えからしてもまったく理解できないと思うのですが。。。
感染の危険性があることくらい分かっていそうですよね。
そのあたりがいい加減になってくる、
まぁ、大丈夫、消毒すれば、
言ってもそんな確率高くないし…
と、現場だからこそ、の油断が、そんな当たり前のことも分からなくしてしまうような現状があるのでしょうか。
まったく認識の甘さにあきれてしまいます。
で、それはもちろんなんですが、それにプラスしてこのニュースで気になったのは次のコト。
その問題の注射器型の容器はですね、炎症を抑える抗生物質がそれぞれ0・5グラムずつ入っていて、細いプラスチック製の先端部分を歯と歯茎の間に差し込んで注入するようになっているのだそうです。
で、この0.5グラムという量。
1人の患者の上下の歯にすべて使ったとしても使うのは、せいぜいその半分程度。
まず大半を余らせて捨ててしまわなくてはならない、ようにもともとなっているのだそうです。
なので、その問題の病院は、使い切るまで消毒して使いまわしてムダをなくしていた、とか。
使いまわすほうも使いまわすほうですけど、だいたいなんでそんな量が入っているのか、がおかしいと思いません??
一回で捨てることが大前提のもの。
一回分を入れておけよっ!
ですよね、どう考えても。
結局それだけ無駄な量を作ることで、薬の価格を保ち、不当に報酬・利益を上げている、としか思えない。
そうして捨てていかれる薬を、世界ではどれだけの人が切望しても手に入らないで苦しんでいるか、悪くすれば命までも…
という状況があるというのに。
そしてこうした使い回しだって予測される不正、と言えなくもない。
もうなんともいえない、やり場のない怒りを感じてしまいます。
感染を広げた危険があること、認識の甘さ、ももちろん論外の、非常に憎むべきコトですが、それとともにこうしたシステムが平気で続いていくようでは、きっといつか破綻する、
そのしっぺ返しを受ける日が来るのではないかと思います。
はやく本当にクリアで、人々が豊かに生きるため自ら選択して有用に利用できる、そんな理想的な医学との付き合いができる、世の中が実現して欲しい、一歩でも近づいていって欲しいものです。

と、次は卑近なハナシ。
今日、リビングでくつろいでいたら、突然裏戸が開けられて、庭を不審な人がっ
「な、なに???」
と、ぎょっとして、おそるおそる見たら、どうやら郵便の制服。
なんだ郵便さんか。。。
「で、でもちょっと待てっ!
どうしていつものようにポストに入れて帰るとか、玄関から、じゃないわけ??」
と。
で、まぁ、ココは話を聞かねば、と外に出てみたら
ぎろっとにらんで、何も言わずに、また裏から出て行くじゃないですか
っっ!!!
気持ち悪い~~~!!!
結局それから家の中から見ていると、どうやらお隣の家に用事(書留とかそういう受け取り確認が必要なもの)だったみたいなのですが、それで分からなくて間違えて入っていたにしても、いちおうこれはお隣ですか?と尋ねるとか、ちょっとくらい謝るとかしてもいいと思いません?
もうっっ
こっちはほんとにコワい思いしたのにっ!
しかもにらまれるなんて割に合わないわっ!!

まぁ、あまりこうして人を悪く言っていても、自分のためにもならないし。
こんなことで自分が腐っていく方がアホらしいので怒るのもやめますが。
う~~ん、正直あまり気分はよくなかったデス。

夕べはせっかくすばらしい出会い☆、ひょっとすると運命変えちゃうかも、な出会い☆だったのになぁ…
ま、あまりに衝撃過ぎて、考えていたらぜんっぜん朝まで眠れなかったので、睡眠不足で苛立っている私が悪いのかも
どよん…と見えるかどうか、
日々が輝いて見えるか、つまんなく見えるか、なんて、突き詰めるところ自分の心持次第、なところも大いにありますからね
反省して。
同じ生きるなら、その“時”が輝いて見えるように、
小さな幸せを見出せるような人でいられるようにした方が自分も幸せだし
わかっていてもなかなか…なんだけど。
努力したいものです。

今日のレシピです
・親鶏と夏野菜のグリル 柚子胡椒バターソース …①
・人参とくるみのサラダ …②
・焼きとうもろこしのフレッシュスープ ズッキーニの串揚げ添え …③

①の作り方


1 オクラは塩で板ずりをし、さっと茹でる。黄パプリカは細切りにする
2 たまねぎ(あればポロネギ)を細かく刻んでいためる
3 しんなりとしたらバターを加え、溶かす。柚子胡椒とパセリの刻んだものを加え、塩少々も加えてソースとする
4 親鶏は下味に塩をして、グリルする。仕上げに1の野菜類も入れて炒める
5 鶏と野菜を盛り付けソースを流す

②の作り方
1 人参は千切りにして塩でもむ
2 1の出てきた水分は切って、胡椒、オリーブオイル、ワインビネガーをくわえて和える
3 レタスをしいた器に盛り、香ばしく炒ったくるみを粗く刻んで盛る
4 よく冷やして出来上がり

③の作り方



1 とうもろこしは直火で網焼きにして、焼きとうもろこしにする
2 包丁で実をこそげ、水とともに鍋に入れて煮る
3 ミキサーにかけてなめらかにする
4 シノワで濾して、塩と白こしょうで味を調える
5 ズッキーニは半月切りにして、小麦粉、卵、マヨネーズ少々、水、をあわせたものにくぐらせ、パン粉をつけて串に刺す
6 5を油で揚げて串揚げにする
7 とうもろこしのスープを器に盛って、揚がったズッキーニの串揚げを添える

プレーンなとうもろこしのスープも、こんな風に串揚げを添えて盛り付けを工夫すると、ちょっと特別風?!
だいぶ懐かしくなっちゃったけど、なんとなくエルブジとかっぽいかな、とかね。
楽しんで、が一番
ちょっと一手間、遊んでみました。

こんな私ですが明日から、いや今からっ☆
気を取り直してがんばりますっ
どよん…、とか言い訳はしないぞっ
決意がうそにならないように。。。

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昨夜の芸術劇場より。

2008-07-05 | Weblog
ちょっと臨時なのですが、自分の覚書をかねて。

昨夜深夜のNHK、「芸術劇場」を見ました。
スティーヴ・ライヒ特集と題し、現代音楽家である彼の代表作といえる、
『18人の音楽家のための音楽』と『Different Trains』を放送していました。
先のほうは作曲者である本人もゲストとして参加したオペラシティでのもの、
後者はNHKスタジオでの録音から、の放送でした。

私は彼の音楽を聴いたのは今回が初めてだったのですが、紹介などで一般的に言われている、ミニマルミュージックを代表するアメリカの作曲家、といった表現から予想していたものとは違う、非常にひきつけられる、考えさせられるものでした。

本人自身ドイツ系ユダヤ人である、ということもあり、ホロコーストに関する考察も深く、非常に興味深いものがあります。

『18人の~』では、11のコードのサイクルを基本とし、それぞれのコードには短い曲がそれぞれ割り当てられていて、曲の終わりには元のサイクルへと戻っていく、というスタイルの新しいアイディアが展開されていて、確かに繰り返しのミニマルミュージック、テクノ的な雰囲気もありながら、ただのトランスといった単純な感覚ではなく、ハーモニックでもあり、凡庸な繰り返しのようでいて飽きることがなくひきつけられる、テクノ的機械性も感じるのに、そうでありながら、どこか太古の自然に包まれているような感覚にさせられる…哲学科の芸術部を卒業して、アフリカ音楽の影響も深く受けているといった彼の経歴からきているものなのか、非常に不思議な世界が感じられました。

『Different Trains』では、インタビューで録音された古い肉声を使用、その肉声が奏でる音程に合わせて弦楽器のメロディーが反復され、加速するといった、これも新しい手法が使われていて、時をかける列車のイメージで、汽笛を随所にちりばめながら、3部の形式で第二次世界大戦をモチーフに、ホロコースト、戦後の混乱、一攫千金を狙う人々…など、列車が深く関与する歴史を克明に描き出していくところがとても印象的でした。
音楽であるとともに非常に哲学的で、まだまだ読み解くべきところがある、深く研究してみたくなる、そんな印象をもちました。

正直、これほどひきつけられるとは思っていなかったので、自分でも驚いています。
まだそのぶん自分の中でも整理できていないところが大きいのですが…

テレビを通してのたまたま、の出会いでしたが、なにかこう、私のなかで、大きな出会いだったように感じています。
もう少し追ってみたい、考えてみたい、
久々の衝撃、
大きな出会いでした。