昨日の記事に続く覚書。
昨晩お風呂に入りながら。
覚書①を書いている最中に流れてきた「無心」という言葉に関連して、
思い出していたことがあった。
繰り返し繰り返し、浮かんできたのが幼少期の頃のこと。
裏のお寺さんで一心不乱で泥まんじゅうをつくっていた「私」の姿。
サラサラとした砂に水を加えることによって、だんだん形が出来上がっていく。
長時間しゃがんで手も泥だらけだったと思うけど、
何がそこまで「私」を夢中にさせたのかは覚えていない。
あの時も、そこに個としての「あゆみ」はいなかったなぁ。
同じお寺さんで、自分と樹や風との境目がなくなって、
時間にとけていった体験は過去にも書いたけどそれとは少し違う感覚。
外側に向かって拡がったのではなくて、内側から中へ拡がっていったのかな。
でも今は、外側も内側もないという感覚がしっくりくる。
別の言い方をすると…。
2つあった扉のうち、1つだけが開いていたんだけど。
ようやくもう1つの扉も開いて循環してまわり始めた感じ。
まわり始めたら、「外」も「内」もなくなった。
子供の頃の外側との境界線がなくなる体験の延長線上にチャネリングがある。
私にとっては呼吸するのと同じくらい自然なこと。
そして、昨年の12月頃から、
内側から湧いてくる何かに押されるように行動していた私がいたんだけど。
まさに、子供の頃…「無心」に泥まんじゅうを作っていた時と同じような感覚が毎日起こっていた。
言葉で説明するのが本当に難しいけど。
自分の肉体はもちろん見えている。
でも「無心」になっている時…。
「あゆみ」は限りなく透き通っている感覚。
外側へと感じていた拡がりも、内側へと感じていた拡がりも、
境界線がなくて「ここ」が中心で「ゼロ」。
全くもってなにを言っているのかわからないと思うけど。
「ここ」にいるってスゴイことだわ~!!と風呂場でひとり静かに感動。
さらに。
「無心は無敵だよ」
とメッセージをもらった。
言葉の意味を理解するより前にストンと腑に落ちた。
過去の私であれば「無敵」と言うと、
敵をバッサバッサとなぎ倒していくゴリゴリの強者のイメージがあったけれど…そうじゃない。
「・・・そうだよ」
「無敵って読んで字のごとく。そもそも敵なんて最初からいないんだよ」
「誰とも争う必要はないんだよ。自分に対してもね」
なんか、もう嬉しくってたまらない。
昨晩お風呂に入りながら。
覚書①を書いている最中に流れてきた「無心」という言葉に関連して、
思い出していたことがあった。
繰り返し繰り返し、浮かんできたのが幼少期の頃のこと。
裏のお寺さんで一心不乱で泥まんじゅうをつくっていた「私」の姿。
サラサラとした砂に水を加えることによって、だんだん形が出来上がっていく。
長時間しゃがんで手も泥だらけだったと思うけど、
何がそこまで「私」を夢中にさせたのかは覚えていない。
あの時も、そこに個としての「あゆみ」はいなかったなぁ。
同じお寺さんで、自分と樹や風との境目がなくなって、
時間にとけていった体験は過去にも書いたけどそれとは少し違う感覚。
外側に向かって拡がったのではなくて、内側から中へ拡がっていったのかな。
でも今は、外側も内側もないという感覚がしっくりくる。
別の言い方をすると…。
2つあった扉のうち、1つだけが開いていたんだけど。
ようやくもう1つの扉も開いて循環してまわり始めた感じ。
まわり始めたら、「外」も「内」もなくなった。
子供の頃の外側との境界線がなくなる体験の延長線上にチャネリングがある。
私にとっては呼吸するのと同じくらい自然なこと。
そして、昨年の12月頃から、
内側から湧いてくる何かに押されるように行動していた私がいたんだけど。
まさに、子供の頃…「無心」に泥まんじゅうを作っていた時と同じような感覚が毎日起こっていた。
言葉で説明するのが本当に難しいけど。
自分の肉体はもちろん見えている。
でも「無心」になっている時…。
「あゆみ」は限りなく透き通っている感覚。
外側へと感じていた拡がりも、内側へと感じていた拡がりも、
境界線がなくて「ここ」が中心で「ゼロ」。
全くもってなにを言っているのかわからないと思うけど。
「ここ」にいるってスゴイことだわ~!!と風呂場でひとり静かに感動。
さらに。
「無心は無敵だよ」
とメッセージをもらった。
言葉の意味を理解するより前にストンと腑に落ちた。
過去の私であれば「無敵」と言うと、
敵をバッサバッサとなぎ倒していくゴリゴリの強者のイメージがあったけれど…そうじゃない。
「・・・そうだよ」
「無敵って読んで字のごとく。そもそも敵なんて最初からいないんだよ」
「誰とも争う必要はないんだよ。自分に対してもね」
なんか、もう嬉しくってたまらない。