どこ?って聞かれても、指をさすことはできないけれど。
以前の私とは見ている場所(世界)が違うなぁと感じる。
見え方が違うって言ったほうがいいのかもしれない。
表面上は何も変わっていない。
でも、これまでの人生からは想像できないような日常になっている。
先日の夜は、自分のバイブレーションがあまりに心地よくて、
ひとり…うちの中でウットリしていた。
なんて言うと、イッちゃっている人みたいだけど(^_^;)
この「自分」って、個の私を含む「大きな拡がり」のこと。
別の言い方だと「身体」だと思い込んでいる「自分」を超越した「拡がり」。
その中に溶け込んでいるような感覚が、
「至福」としか言いようがなくてウットリしていた…ということ。
条件のない幸福感。
大人になって忘れ去られていたけど、
子供の頃は何度も経験していたまさに…あれだ。
この感覚は昨年から徐々に「濃く」なってきているのは感じていたけど、
常時その拡がりを感じながら生活をするということは想像できなかった。
今までの世界が反転したような感覚。
これまで個だと思っていた私がどんどんメインから遠ざかり、
拡がりのほうがメインになってきている。
ちょうど私の存在そのものがカメラのレンズのよう。
身体に意識が集中する時などは(例えばコンタクトレンズを入れるとか?)
焦点が絞られるけど、すぐにまた拡がるような感覚。
絞られると言っても、レンズ自体がなくなっているわけではない。
また個の私が薄いと言っても。
喜怒哀楽に関して、他人事のように客観的になるわけではないし、
他人に無関心になるということでもない。
むしろより深く繊細に「味わっている」状態なのかな…と思う。
そしていつも。
湧き上がってくる愛は、拡がりを通って個の私にも向けられている。
自分を愛する、というよりも。
愛である自分に気づいていく。
以前の私とは見ている場所(世界)が違うなぁと感じる。
見え方が違うって言ったほうがいいのかもしれない。
表面上は何も変わっていない。
でも、これまでの人生からは想像できないような日常になっている。
先日の夜は、自分のバイブレーションがあまりに心地よくて、
ひとり…うちの中でウットリしていた。
なんて言うと、イッちゃっている人みたいだけど(^_^;)
この「自分」って、個の私を含む「大きな拡がり」のこと。
別の言い方だと「身体」だと思い込んでいる「自分」を超越した「拡がり」。
その中に溶け込んでいるような感覚が、
「至福」としか言いようがなくてウットリしていた…ということ。
条件のない幸福感。
大人になって忘れ去られていたけど、
子供の頃は何度も経験していたまさに…あれだ。
この感覚は昨年から徐々に「濃く」なってきているのは感じていたけど、
常時その拡がりを感じながら生活をするということは想像できなかった。
今までの世界が反転したような感覚。
これまで個だと思っていた私がどんどんメインから遠ざかり、
拡がりのほうがメインになってきている。
ちょうど私の存在そのものがカメラのレンズのよう。
身体に意識が集中する時などは(例えばコンタクトレンズを入れるとか?)
焦点が絞られるけど、すぐにまた拡がるような感覚。
絞られると言っても、レンズ自体がなくなっているわけではない。
また個の私が薄いと言っても。
喜怒哀楽に関して、他人事のように客観的になるわけではないし、
他人に無関心になるということでもない。
むしろより深く繊細に「味わっている」状態なのかな…と思う。
そしていつも。
湧き上がってくる愛は、拡がりを通って個の私にも向けられている。
自分を愛する、というよりも。
愛である自分に気づいていく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/f5/595c037616ebc599eb0e7807291f236c.jpg)