心身社会研究所 自然堂のブログ

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「ブルシット・ジョブ」のエビデンス!(笑)

2023-09-12 22:52:44 | 社会・社会心理

今日、世界中で、自分の仕事が社会的に無意味だと考えている人が非常に多いことは、すでにいくつもの研究で報告されています。

それはまさに、惜しくも3年前に59歳の若さで亡くなってしまったアメリカのアナーキスト人類学者デイビッド・グレーバーのいう

「ブルシット・ジョブ」(bullsit jobs)、つまり“クソどうでもいい仕事” の現代世界における蔓延の表われにほかなりません。

グレーバーは「ブルシット・ジョブ」を、被雇用者自身もその存在を正当化しがたいほど、

完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態(でありながら、そうではないととりつくろわねばならないと感じているような仕事)

と定義していますが、それが今日の社会的な仕事の半分以上を占めるというのです[Graeber 2018=2020,pp.27-8]。

 

なぜここまでそんな不要な仕事が増殖するようになったのでしょうか? 

その理由の大部分は、「数量化しえないものを数量化しようとする欲望」の拡大の帰結だろうと、グレーバーはみています[Ibid.,p.337]。

しかし私たちの生の最も根幹部分、すなわち身体性の領域、そしてその身体と身体との関係の領域(愛、友情、連帯、ケアリングなどの社会性の領域)

こそ、その本性上まさしく数量化しえないものではないでしょうか?

 

「数量化しえないものを数量化しようとする欲望」を拡大してきたのは、1980年代以降に世界を席巻したネオリベラリズムにほかなりません。

ネオリベラリズムは、合理化や市場化や規制緩和を進め、そうするほど仕事を効率化し、ムダな仕事を減らしてスリム化することができると

強調してきました。そうして公共セクターを次々に民営化してきました。

しかし実際には、数量化しえないものを数量化しようとすればするほど、

それに対する管理の必要性の拡大、上からの統制の強化、ペーパーワークの増大などを招き、ますます不要な仕事を膨張させずにいませんでした。

かえって官僚制的手続きをややこしくし、規則をやたらと増殖し、ムダな役職を増やして、仕事をメタボ化し、

国家も民間管理部門も肥大化させることになりました。

 

これをグレーバーは、「リベラリズムの鉄則」と呼び、こう述べました:

「リベラリズムの鉄則とは、いかなる市場改革も、規制を緩和し市場原理を促進しようとする政府のイニシアティブも、

最終的に帰着するのは、規制の総数の上昇、お役所仕事の総数の上昇、政府の雇用する官僚の総数の上昇である」[Graeber 2015=2017]。

 

さて、チューリッヒ大学のSimon Waloは、2015年に米国で21種類の職種に従事する1811人の調査データを解析し、

「自分の仕事は、地域社会や社会全体に良い影響を与えていると感じているか」と「有用な仕事をしていると感じているか」を尋ねた結果、

質問に対して「一度も感じたことがない」「ほとんど感じたことがない」と回答した人の割合が調査参加者の19%にも上り、

とくに金融、営業、管理職の職種で多いことを明らかにしました[Walo 2023]。

いずれもネオリベラリズムに親和的なジャンルですね。

 

この研究では、労働条件のちがいを要因として除外するため、仕事のルーチン度、自律性、管理の質が同等である参加者どうしを比較しましたが、

その場合でも職種が従業員の感じる仕事の無意味さに大きく影響していることがクローズアップされてきました。

それは、グレーバーもとくに無意味と見なした職種、具体的にはビジネス・金融・営業に従事する人で、

「自分の仕事が無意味だ」と回答する人が他の職種の人より2倍以上多く、事務職でも1.6倍、管理職で1.9倍となりました。

このほか、民間企業の仕事に就く人の方が、非営利団体や公共部門の仕事に就く人よりも、

「自分の仕事が無意味だ」と回答する人の割合が高かったとのことです。

 

グレーバーの提起が、数字では表わせない定性的なものが主だったのに対し、

この研究は、これまで十分に活用されていない豊富なデータセットを活用して、これまでの分析結果を拡張し、

その決定的な要因が職種にあることを初めて明らかにした、定量的なエビデンスだとWalo自身は述べています。

この研究結果は『Work, Employment and Society』誌に7月21日に掲載されました[Walo 2023]。

 

ところで、数量化しえないものより数量化しうるものを重視するのが(定量的)エビデンスだとするなら、

これもまた現代社会のネオリベラリズムのきょうだいとも言えなくもありません。

そのとき(定量的)エビデンスに基づく科学の研究労働もまた、「ブルシット・ジョブ」の温床となるのでしょうか。

いやもちろん、ならないのでしょうか。

 

<文 献>

Graeber, D., 2015  The Utopia of Rules: On Technology, Stupidity, and the Secret Joys of Bureaucracy. =酒井隆史訳、2017『官僚制のユートピア──テクノロジー、構造的愚か

  さ、リベラリズムの鉄則』以文社。

――――, 2018  Bullshit Jobs: A Theory. Simon & Schuster. =酒井隆史・芳賀達彦・森田和樹訳、2020『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』岩波書店。

Walo, S., 2023  ‘Bullshit’ After All? Why People Consider Their Jobs Socially Useless, in Work, Employment and Society, vol.0, Ahead of Print.

  https://journals.sagepub.com/doi/epub/10.1177/09500170231175771

 

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