「むち打ち」という損傷が、脳画像上の異常所見を見い出しにくいために、現在の医療の現場ではあまりにも軽視されすぎていることを前回みましたが、
実はmTBIもこの点では全く同様なのです。
mTBIの神経線維断裂は、CTやMRIが捉えにくい深部(脳梁や大脳辺縁系)に[山口 2020,pp.15,23-4,61,71-2]、
CTやMRIでは異常所見が見られないミクロな(顕微鏡的)レベルで[山口 2020,pp.12,61]、
あるいは不可視の代謝性(生化学的)変化にとどまって[山口 2020,p.70]生じます
このため、往々にして画像診断上「異常なし」とされ、高次脳機能障害の診断基準に必須の「脳の器質的病変」は存在しないとされるので、
自賠責保険の認定上でも多くは「非該当」とされてしまいます
(自賠責保険で高次脳機能障害があるとされる絶対条件の1つは「外傷直後の6時間以上の意識障害」と、
重症の「びまん性軸索損傷」(次回にみます)レベルの条件にとどまるのです)[山口 2020,pp.15,39,61,70,76]。
しかし、「軽度外傷性脳損傷」(mTBI)の「軽度」とは、症状が軽度ということではなく、
受傷時の意識障害レベルが軽度という意味であり、実際には重い症状が残存する場合があるとのことです[山口 2020,p.26]。
2004年のWHOの定義では、mTBIは「物理的外力による力学的エネルギーが頭部に作用して生じる急性脳損傷
(脳の器質的損傷の有無にかかわらない)」とされるのですが[山口 2020,pp.11,75-6]、
しかしいかに深部の微細な損傷であっても、これはれっきとした「脳の器質的損傷」であり、精密な診断によって認定がなされるべき症候です。
またこの「脳の器質的損傷」という点で、(m)TBIはPTSDと区別されるものです[Goldberg 2018=2020,p.120]。
そのうえでなお、(m)TBIで生じる1つの精神症状としてPTSDも含まれることも見落とせません[山口 2020,pp.20-7,66-7]。
こうした脳実質の器質的損傷であるゆえに、mTBIは広汎な脳由来の症状を呈します。
TBIの場合と同じく、精神症状として、
まず高次脳機能障害のさまざまな症状(認知障害とくに注意・記憶・遂行障害、コミュニケーション障害、脳梁・大脳辺縁系や前頭葉の損傷による感情調節
障害とくに無気力・脱抑制、感覚的な選択脳低下=情報過多による易疲労など)、そして二次的な神経心理学的変化である心因反応(過敏症、イライラ、
鬱、情緒不安定など)、そしてPTSDです[山口 2020,pp.20-7,66-7]。
また感覚異常として、嗅覚・味覚の異常や光や音・振動への過敏、運動障害として、主に片麻痺、排泄障害(尿失禁、便失禁)、剪断損傷に弱い脳下垂体の
機能低下(ホルモン分泌異常)などがあります[同,pp.30-7,68-70]。
これらの症候群は、以前は軽度の頭部外傷、脳震盪後症候群、外傷後症候群、外傷性頭痛、脳損傷後症候群、心的外傷後症候群とみなされていたものです。
なおmTBIで人格変化として片付けられている症状の原因は、人格のあり方を司る前頭葉そのものの障害でなく、
「網様体-前頭葉離断症候群」、つまり腹側被蓋野と前頭前野の双方向性の投射(ドーパミン経路)の損傷であって、
多くが通常用いられる脳画像の手法では視覚化が難しいですが、
前頭葉への直接の損傷と実際上区別できないような臨床像を示すのです[Goldberg 2018=2020,pp.119-20]。
そしてこの器質的な神経損傷の有無が、(m)TBIとPTSDを区別する指標にもなるとみられています[Ibid.,p.120]。
逆にいえば、神経の機能的な障害にとどまるのがPTSDということになるでしょう。
ただいずれにせよ、脳の物理的な損傷と精神的なトラウマの両方を共に抱えることは、
両者にエネルギ-を分割してしまうため、物理的な損傷の治癒する速度を遅らせてしまい、
それを防ぐためにも、精神的なトラウマの治療は軽視できない大きな意味をもつことになるでしょう。
<文 献>
Goldberg, E.,2018 Creativity : The Human Brain in the Age of Innovation. =武田克彦監訳、2020『創造性と脳システム――どのようにして新しいアイデアは生まれるか』新曜社。
山口研一郎、2020 『見えない脳損傷MTBI』岩波書店。
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