心身社会研究所 自然堂のブログ

からだ・こころ・社会をめぐる日々の雑感・随想

ポリヴェーガル理論とSE療法

2019-12-12 13:20:00 | 身体・こころ・社会

セミナー等でいつもすっかりお世話になっているSさんが、サンディエゴで、ピーター・ラヴィーンのマスタークラスに参加していて、逐次その様子やメモを送ってくれます。


それにふれるにつけ、日ごろ漠然と思ってきた、ポリヴェーガルとSE療法の異同についてのイメージが、確証されてくるのを感じます。ひとことで言うと、ピーター(SE)は、ポージェス(ポリヴェーガル)と、はっきり基本スタンスのレベルでちがいがある! と明言できそうに思います。

ピーターはあくまでmobilization=healthy aggression≒anger こそが核心で、これこそがlife forceに直結するものとみていて、あくまでそのために(手段として?)、その限りにおいてのみ、social engagement やfeeling of safety も重要とみるのです。ところがポージェスでは、何よりもsocial engagement やfeeling of safety こそが核心で、これこそが哺乳類としての生の本質とみていて、あくまでそれを前提として、それと組み合わさる限りでのみ、mobilization も重要とみるにすぎません。

ピーターにとっては、何よりまずmobilizationがあり、そのうえで、それをよりよく生かすためにsocial engagement やfeeling of safetyが要請されるのに対し、ポージェスにとっては、何よりまずsocial engagement やfeeling of safetyがあり、そのうえで、それを基盤にすえる限りでmobilizationが容認されるのです。SEの重心はあくまでmobilization の方にあり、ポリヴェーガルの重心はあくまでsocial engagement の方にあることを見落としてはなりません。

いいかえれば、SEとポリヴェーガルの両者が意見を同じくするのは、social engagement とmobilization のブレンドされた状態(ポリヴェーガル的にはplayの領域に相当)においてのみ、ということになり、そこを離れれば離れるほど両者のスタンスのちがいは表面化してくることでしょう。

このことはいうまでもなく、トラウマ治療のプロトコルにも小さくない影響をもたらしてくるはずです。



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