
小笠原丸が島の北東側をまわって、また、南の擂鉢山に近づく時間帯が
日没で、船から西側になる島に沈む夕日が見える頃なのですが、
今年は、だんだんと、厚くなる雲にさえぎられて、
空を染める夕日が落ちるところを見ることができませんでした。
その時間帯に擂鉢山が左に写る写真を撮ったのがこれです。
左から、擂鉢山の左側と右側から、島の高台にかけて、
スコールになっている様子が、分かると思います。
この後、小笠原丸は擂鉢山の裏側、島のすぐ南を通過して、
それから北上して、硫黄島を離れます。
この写真でスコールになっている場所に、近づいていく
ということです。
「スコールも動くだろうし、小笠原丸がコースを変えて
昨年より擂鉢山から離れたところをまわるのかもしれない。」
と、思っていた時間帯です。
結果としては、昨年と同じ、擂鉢山裏側すぐのところを
回りました。その時には、スコールは、もっと北側に移動していて、
雨がぱらつく程度の時間に、島の南を回りました。
空もだんだんと暗さを増して、島を離れる時が近づいてきました。
皆での海への献花は、予定されていた18:30から10分遅れて
18:40とアナウンスされました。
スコールに突入して、かなりの雨が降り始めたのは、
小笠原丸が、また島の西側に回りこんだ位置の18:35頃でした。
献花の時間には雨でした。
虹から始まって、スコールに入り雨の中での献花で終わった
硫黄島を離れる1周でした。
毎年、この、1周には、いろいろなドラマがあります。
献花が終わると、雨に急かされて、皆、デッキから船内に入り、
すっかり暗くなった海の上を小笠原丸は北上し始めました。
今年の島とのお別れの雨は、
戻れずに島で果てた兵士たちの無念の涙だったと感じましたが、
私たちが、全日程を終えるまでは、待ってくれました。
硫黄島を離れる時点での天気予報では、
翌日の父島は前線の影響で雨という予報でした。
日没で、船から西側になる島に沈む夕日が見える頃なのですが、
今年は、だんだんと、厚くなる雲にさえぎられて、
空を染める夕日が落ちるところを見ることができませんでした。
その時間帯に擂鉢山が左に写る写真を撮ったのがこれです。
左から、擂鉢山の左側と右側から、島の高台にかけて、
スコールになっている様子が、分かると思います。
この後、小笠原丸は擂鉢山の裏側、島のすぐ南を通過して、
それから北上して、硫黄島を離れます。
この写真でスコールになっている場所に、近づいていく
ということです。
「スコールも動くだろうし、小笠原丸がコースを変えて
昨年より擂鉢山から離れたところをまわるのかもしれない。」
と、思っていた時間帯です。
結果としては、昨年と同じ、擂鉢山裏側すぐのところを
回りました。その時には、スコールは、もっと北側に移動していて、
雨がぱらつく程度の時間に、島の南を回りました。
空もだんだんと暗さを増して、島を離れる時が近づいてきました。
皆での海への献花は、予定されていた18:30から10分遅れて
18:40とアナウンスされました。
スコールに突入して、かなりの雨が降り始めたのは、
小笠原丸が、また島の西側に回りこんだ位置の18:35頃でした。
献花の時間には雨でした。
虹から始まって、スコールに入り雨の中での献花で終わった
硫黄島を離れる1周でした。
毎年、この、1周には、いろいろなドラマがあります。
献花が終わると、雨に急かされて、皆、デッキから船内に入り、
すっかり暗くなった海の上を小笠原丸は北上し始めました。
今年の島とのお別れの雨は、
戻れずに島で果てた兵士たちの無念の涙だったと感じましたが、
私たちが、全日程を終えるまでは、待ってくれました。
硫黄島を離れる時点での天気予報では、
翌日の父島は前線の影響で雨という予報でした。