硫黄島の北側で、海岸線近くから白い噴気を上げている箇所です。何箇所か噴気が出ている場所が島内にあります。この場所は、島内の場所でいうと北観音や銀明水などに近く、西大佐の碑からも遠くないと思うのですが、小笠原丸から撮った写真ではどこが西大佐の碑か確認できませんでした。二度ほど行ったことがあるので砂浜近くにあるのは知っているのですが。
小笠原丸から摺鉢山が見えなくなった確度の時に、望遠ズームで撮った写真です。海岸近く沖合いに岩が突出しているのが見えます。このあたりも海岸線から段丘のように高くなっていっている様子が見られます。昨日紹介の写真の中央やや左寄りの場所のアップです。
小笠原丸が硫黄島を一周する時にほとんどの時間、どこかに硫黄島の南西端にある摺撥山が見えているのですが、この写真はちょうどいよいよ摺鉢山が見えなくなった時点の写真です。北上を続けていた小笠原丸がしまの北西端を回りこんで東向きに進路を変えています。硫黄島の北側全体に隠れて向こう側にある摺鉢山が見えなくなっています。この後は、小笠原丸が島の東側にまわると今度は写真の左側に摺鉢山がまたか
硫黄島の沖合を一周している小笠原丸から撮った、小笠原村硫黄島平和祈念会館の写真です。この写真でみると、かなり海面からの高さがある場所に建てられていることが分かります。祈念館の後のさらに高くなっている一帯が大坂山と呼ばれる地域です。
この後もしばらく、小笠原丸が硫黄島を離れる時に沖合いを周回した時の写真の紹介が続きます。これは、昨日紹介した写真よりもさらにズームして撮った、右側に黒く見える釜岩と、その左側に摺鉢山が見える写真です。この地点に至るまではずっと、監獄岩の右側に摺鉢山という位置関係ですので、このような並びに見えるこの地点は珍しい構図で、それだけ小笠原丸が監獄岩沖を通過後回りこんできていることが分かります。
硫黄島の沖合にある監獄岩という小島を回り込んでから、かなり北まで位置を変えてきた小笠原丸からの写真では、このように摺鉢山の右側の位置に監獄岩が見えるという位置関係になっていました。摺鉢山の手前側にうすく延びている土地が釜岩が硫黄島とつながった砂州の部分で、それより右側の海上に黒く見えるのが監獄岩です。監獄岩は硫黄島旧島民平和祈念墓地公園のすぶ目の前の沖合にあるように見えるのですが、この場所からはかなり沖合に離れてあるように見えるという地点です。
硫黄島を周回する小笠原丸から、硫黄島全体が入る写真を撮ったのがこれです。この時の位置関係では、摺鉢山が島の一番右奥側に見えます。方角的には、ほぼ、北から南に向けてという角度です。硫黄島の北西側を北に向けて航行する小笠原丸は、この後、東向きに方向を変えます。この時間には、硫黄島の上を雲が覆っていた様子が分かると思います。このように硫黄島の上にだけ雲があるという様子はよく見ます。