硫黄島島民平和祈念公園から小さく見える釜岩の湾内に停泊している小笠原丸です。この場所からは正面には前に紹介した監獄岩という小島が横たわるのが見えて、そこから左側方向、方角でいうと西側が小笠原丸の停泊している位置になります。
慰霊式典が行われる硫黄島島民平和祈念公園の建物の屋根です。慰霊式典では、来賓や戦前島民関係の私たちは正面のテントの下の椅子に座ります。父島と母島から中学生参加者や小笠原村からの一般でご参加の皆さんは、この建物の下の椅子席になります。非常に厚い中で太陽の動きによって刻々とテントやこの建物屋根による日陰の位置がずれてきます。お年寄りもいますし直射日光にさらされると耐えられない暑さになってしまうので椅子を動かしたりなど、毎年、大変です。
この屋根は遠くからでも目立ちます。
この屋根は遠くからでも目立ちます。
前回に続けて硫黄島島民平和祈念墓地公園からの監獄岩の写真の紹介です。この硫黄島から見える監獄岩は細い島のように見えますが、小笠原丸が出発した後回り込むような角度の時にみるとかなり幅もある島であることが分かります。今回も一緒に行った戦前の硫黄島の様子を覚えている方から宿舎での夜の話の時に教えてもらったのですが、その方の家は漁師だったそうなのですが、漁のために監獄岩に屋根のある建物を作っていてそこに一度獲った魚を揚げていたそうです。この監獄岩の隣にあった小島の釜岩は、既に隆起によって硫黄島と地続きになっています。
今年の6月に行った小笠原村硫黄島への慰霊墓参の旅の様子の紹介を続けております。1日目上陸をして最初に行われる全員参加での慰霊式典の会場の硫黄島島民平和祈念墓地公園からの、正面に横たわる沖合の小島、監獄岩の写真です。
慰霊式典が行われる硫黄島島民平和祈念墓地公園にある島民で軍属として硫黄島に残って犠牲になった戦没者の碑です。ここに犠牲になった皆さんの名前が彫られています。同じ内容のもので、新しく大きな黒い御影石に名前が彫られた石碑の方は別の場所にあります。ここには、祖父の弟、祖父の甥二人(二人とも享年18才、私の母の従妹たち)などの親戚の名前も刻まれています。
硫黄島周回道路の平和祈念墓地公園の前です。バスでここまで連れてきてもらえるとすぐに公園の入り口で緩い下り坂を降りると墓地公園です。ここから墓地公園と反対側の内陸に上った場所が、二日目の最初に行く大阪山壕です。
また、この道をそのまま進むと、宿泊をする平和祈念会館で、歩いて行けないこともないという距離です。
また、この道をそのまま進むと、宿泊をする平和祈念会館で、歩いて行けないこともないという距離です。