摺鉢山の山頂から釜岩湾をズームして撮った写真です。毎年、同じような写真を撮っていますが、この構図は、硫黄島の写真の中でも最も好きなものの一つです。
写真の右側が沈船群で、停泊している小笠原丸の向こうが釜岩の岬(戦前は沖合の小島だった釜岩が隆起で硫黄島と地続きになったもの)でその向こうに見える島が監獄岩です。
写真の右側が沈船群で、停泊している小笠原丸の向こうが釜岩の岬(戦前は沖合の小島だった釜岩が隆起で硫黄島と地続きになったもの)でその向こうに見える島が監獄岩です。
硫黄島の摺八山の山頂から、南海岸の二ツ根岩を撮ったものです。前回も紹介しましたように、戦前には海の中から突き出ていたそうです。硫黄島の隆起を示すものです。まだ隆起が続いていて、最近になって面積が父島を抜いて小笠原村で一番広い島になったそうです。
摺鉢山の山頂から硫黄島の南海岸をズームして撮った写真です。
写真の中央あたりに海岸の砂浜から突き出てみえる岩は、二つ根岩です。六メートルほどの高さがあります。今年は時間がなくて南海岸には行けませんでしたが、一昨年には、南海岸に行った時に、この二ツ根岩まで走って行って根元に行きました。近くからの写真は2014年の記事でご覧いただけます。
この二ツ根岩は、戦前には沖合に海から突き出て見えていたものが、硫黄島の隆起で地上に出てきたものだそうです。
この写真の海岸に注目していただくと何本もの線が入っているのが見えるのですが、それもまた、硫黄島の隆起を示すものです。
戦前の南海岸の砂浜部分は今よりも相当に細くて狭かったはずです。そんな狭い場所に大挙して上陸艦艇で押し寄せて上陸を試みた時に、まだ兵力を残していた日本軍から狙い撃ちにされたのですから、米軍の被害は甚大で、まさか硫黄島戦でこんなに被害が出ることを想定していなかった米軍にとっての大打撃となりました。狭い海岸で狙い撃ちされた米軍には、日本からとっては敵兵であっても、大いに道場します。映画の「史上最大の作戦」でノルマンディー上陸戦の場面があったのを観ましたが、あれ以上の壮絶な戦闘であっただろうと思います。
写真の中央あたりに海岸の砂浜から突き出てみえる岩は、二つ根岩です。六メートルほどの高さがあります。今年は時間がなくて南海岸には行けませんでしたが、一昨年には、南海岸に行った時に、この二ツ根岩まで走って行って根元に行きました。近くからの写真は2014年の記事でご覧いただけます。
この二ツ根岩は、戦前には沖合に海から突き出て見えていたものが、硫黄島の隆起で地上に出てきたものだそうです。
この写真の海岸に注目していただくと何本もの線が入っているのが見えるのですが、それもまた、硫黄島の隆起を示すものです。
戦前の南海岸の砂浜部分は今よりも相当に細くて狭かったはずです。そんな狭い場所に大挙して上陸艦艇で押し寄せて上陸を試みた時に、まだ兵力を残していた日本軍から狙い撃ちにされたのですから、米軍の被害は甚大で、まさか硫黄島戦でこんなに被害が出ることを想定していなかった米軍にとっての大打撃となりました。狭い海岸で狙い撃ちされた米軍には、日本からとっては敵兵であっても、大いに道場します。映画の「史上最大の作戦」でノルマンディー上陸戦の場面があったのを観ましたが、あれ以上の壮絶な戦闘であっただろうと思います。
クリント・イーストウッド監督の映画でも有名になった「父親たちの星条旗」の原作小説のジェームス・ブラッドリーが摺鉢山の山頂を訪れていて、それを示すために石の銘板を、米軍記念碑の裏の星条旗掲揚場所とされている場所のすぐ横に埋めています。
小説や映画などこれまでは、ジェームズの父親のジョンが星条旗を掲げた人(フラッグレイザーズ)の一人とされていましたが、その中にはいなかったことが判明したというニュースが報道されたと思います。
小説や映画などこれまでは、ジェームズの父親のジョンが星条旗を掲げた人(フラッグレイザーズ)の一人とされていましたが、その中にはいなかったことが判明したというニュースが報道されたと思います。