大坂山壕はいくつもの壕の入口が並んでいます。それぞれ中でつながっていて、全体では相当に大きな壕だと思われます。ここ大坂山壕では、いくつかの入口から、入れるようになりましたが、いずれも、入口から近くの部分だけにしか行けません。
これまでの硫黄島訪問では行ったことがなくて今年初めて行った場所の紹介をしております。
この大坂山壕という場所は、ご遺骨の収集作業が終わって、2,3年前から、壕の前の入口のところまでは行って見ることができるようになっていましたが、いくつもある壕の入口のいくつかから中に入れたのは今回が初めてでした。
入ってすぐの場所の写真です。
この大坂山壕という場所は、ご遺骨の収集作業が終わって、2,3年前から、壕の前の入口のところまでは行って見ることができるようになっていましたが、いくつもある壕の入口のいくつかから中に入れたのは今回が初めてでした。
入ってすぐの場所の写真です。
今年の硫黄島への慰霊墓参の旅からは、6月15日に戻りました。
これまでに行った時(小笠原丸で行った回数が13回と、入間基地から輸送機による日帰りで4回)には見ていなくて今年初めて行けた場所の紹介を続けています。今回は、一休みして、今年、硫黄島で撮った硫黄島島唐辛子の写真を紹介します。
すぐに乾燥させないと腐ったりしやすくなるので、硫黄島から父島に戻る途中の小笠原丸の船室(個室)の窓際に干しているものです。
おそらく、これまでの中で、一番、多く採りました。例年ですと硫黄島の初日の午後の出身集落への里帰りから戻ると、8キロから10キロほどのランニングをしているのですが、今回はランニングを休んで、その時間も硫黄島島唐辛子採りに当てました。
昨年は花が多くて実が少なくてタイミングが早すぎだったのですが、今年は、まずまずの時期でした。ただ、先に誰かが採った後である木が多かったのと、今年は、緑や赤の実に比べて茶色い実(時期的には緑と赤の間の熟し方だと思われます。)が多かったです。
一緒に行ったメンバーに分けた残りを持ち帰りました。
これまでに行った時(小笠原丸で行った回数が13回と、入間基地から輸送機による日帰りで4回)には見ていなくて今年初めて行けた場所の紹介を続けています。今回は、一休みして、今年、硫黄島で撮った硫黄島島唐辛子の写真を紹介します。
すぐに乾燥させないと腐ったりしやすくなるので、硫黄島から父島に戻る途中の小笠原丸の船室(個室)の窓際に干しているものです。
おそらく、これまでの中で、一番、多く採りました。例年ですと硫黄島の初日の午後の出身集落への里帰りから戻ると、8キロから10キロほどのランニングをしているのですが、今回はランニングを休んで、その時間も硫黄島島唐辛子採りに当てました。
昨年は花が多くて実が少なくてタイミングが早すぎだったのですが、今年は、まずまずの時期でした。ただ、先に誰かが採った後である木が多かったのと、今年は、緑や赤の実に比べて茶色い実(時期的には緑と赤の間の熟し方だと思われます。)が多かったです。
一緒に行ったメンバーに分けた残りを持ち帰りました。
別の角度からのB-29残骸の写真です。機体への出入り口に近づいた人の大きさと比べるといかに、いかにこの機体が大きいかが分かると思います。
この写真に写っている人は、私が毎年連続で硫黄島への小笠原丸での慰霊墓参に来るようになった14年前から、ほぼ同じタイミングから連続で一緒に行っている山本さんです。
山本さんは、前にも、硫黄島で物との大きさの比較に登場したことがありました。今年は近くまで行かなかったのですが、当時米軍が上陸した場所として知られている南海岸に二ツ根岩という海岸の浜から突き出た岩があります。戦前は海の中から突き出て見えていたものが硫黄島の隆起で海岸に上がってきた岩です。3年前に硫黄島を訪れた時に、その二ツ根岩まで山本さんとカメラマンの渡邊さんとが走って行って、山本さんが写真に収まりました。二ツ根岩は山本さんの身長の4倍以上、このB-29機体は身長の3倍以上といったところでした。
この写真に写っている人は、私が毎年連続で硫黄島への小笠原丸での慰霊墓参に来るようになった14年前から、ほぼ同じタイミングから連続で一緒に行っている山本さんです。
山本さんは、前にも、硫黄島で物との大きさの比較に登場したことがありました。今年は近くまで行かなかったのですが、当時米軍が上陸した場所として知られている南海岸に二ツ根岩という海岸の浜から突き出た岩があります。戦前は海の中から突き出て見えていたものが硫黄島の隆起で海岸に上がってきた岩です。3年前に硫黄島を訪れた時に、その二ツ根岩まで山本さんとカメラマンの渡邊さんとが走って行って、山本さんが写真に収まりました。二ツ根岩は山本さんの身長の4倍以上、このB-29機体は身長の3倍以上といったところでした。
この場所に大きなB-29の残骸があることは、現地の自衛隊の方たちなどは以前からご存じだったようです。この場所も以前は木々に覆われていて機体上部が少し確認できる程度であったのが、今回、整地がされて木々が取り払われて全貌を現したということだそうです。
私は、今年、ここに連れていってもらうまで、全く知りませんでした。
この日(今年の硫黄島訪問の2日目の6月13日)は、午前中にもこれまでには見れなかった、高射砲群と航空機残骸に連れて行ってもらって見ました。先にこのブログでの紹介をした写真がそれらです。
午後の行程の終わり近くになって、バスに一緒に載ってガイドをして下さっていた自衛隊員の方から、「午前に見た飛行機残骸よりも、もっと大きな残骸が見られるようになっているという報告が無線で入って、急きょ、コースに入れることになりました。」とアナウンスがされて、この場所に連れてきてもらいました。期待していなかっただけに、衝撃も新しい場所を見れた喜びも倍増でした。
私は、今年、ここに連れていってもらうまで、全く知りませんでした。
この日(今年の硫黄島訪問の2日目の6月13日)は、午前中にもこれまでには見れなかった、高射砲群と航空機残骸に連れて行ってもらって見ました。先にこのブログでの紹介をした写真がそれらです。
午後の行程の終わり近くになって、バスに一緒に載ってガイドをして下さっていた自衛隊員の方から、「午前に見た飛行機残骸よりも、もっと大きな残骸が見られるようになっているという報告が無線で入って、急きょ、コースに入れることになりました。」とアナウンスがされて、この場所に連れてきてもらいました。期待していなかっただけに、衝撃も新しい場所を見れた喜びも倍増でした。
前回に続き、B-29残骸です。この場所は、今年初めて行きました。海や他の目標物が見えないために島内のどのあたりなのかよく分かりませんでしたが、「戦前の元山飛行場からすぐの場所」と聞きましたので、島の中央部分から遠くないあたりだと思われます。
これまでには行って見たことがなくて今年初めて見ることができた場所の紹介の最後は、B-29の残骸です。これには、本当に大きくて驚きました。少し離れた場所に停まった移動バスから降りて歩いていくと、いきなり、これが現れた時には衝撃でした。
これも、これまでの硫黄島訪問では行って見たことがない初めての場所でした。高射砲群に連れていってもらった次に行った場所で、当時の飛行機の機体残骸があるということで、見学しました。この場所もこれまでは木々に覆われて見ることができなかったのが、今回から見れるようになった場所だそうです。