これも小笠原丸が北上してだんだんと小さくなる硫黄島の写真です。
今回の2015年6月の硫黄島への慰霊墓参の時の様子の紹介も、いよいよ残り少なくなってきました。
(リアルタイムで毎日投稿はできないので、投稿日を後から変えたりはしていましたが、できれば、開始から365日分の投稿をしたいと思っておりましたが、間もなく撮ってきた写真で紹介できるものの最後になります。父島で撮った写真で紹介していないものは多数ありますが、10か月も前の父島の写真になってしまいますので、今回はそろそろ終わりにして、今年の6月の訪問から戻ったら、今年分の紹介を始めようと考えています。)
今回の2015年6月の硫黄島への慰霊墓参の時の様子の紹介も、いよいよ残り少なくなってきました。
(リアルタイムで毎日投稿はできないので、投稿日を後から変えたりはしていましたが、できれば、開始から365日分の投稿をしたいと思っておりましたが、間もなく撮ってきた写真で紹介できるものの最後になります。父島で撮った写真で紹介していないものは多数ありますが、10か月も前の父島の写真になってしまいますので、今回はそろそろ終わりにして、今年の6月の訪問から戻ったら、今年分の紹介を始めようと考えています。)
小笠原丸による硫黄島一周と洋上での慰霊の献花も終わって、小笠原丸は北上に入って、だんだんと硫黄島が遠くなります。
今年2016年の硫黄島の慰霊墓参も日程が、6月10から15日と決まったとの知らせを受けたので、申し込みました。今年も天気に恵まれて無事に上陸できますように。
今年2016年の硫黄島の慰霊墓参も日程が、6月10から15日と決まったとの知らせを受けたので、申し込みました。今年も天気に恵まれて無事に上陸できますように。
慰霊の献花の直後の時間、小笠原丸の右舷側には硫黄島で、これは左舷側の西方向の太平洋は夕日がきれいです。慰霊の献花と、小笠原丸が硫黄島1周を終えていよいよ北上を始める時間と日没とがほぼ時間が重なります。
小笠原丸が硫黄島1周を終えて、停泊していた釜岩沖近くまで戻ってきました。釜岩の岬とその沖合の小島の監獄岩です。監獄岩には、戦前は子供たちが遠足に行ったり、ここまで遠泳をしていたという場所だそうです。また、漁具をしまった小屋もあったそうです。
摺鉢山をバックに洋上からの慰霊の献花のために配られた菊を撮りました。菊はかなり早い時間、まだ、小笠原丸が摺鉢山を回る前の島の逆側にいた時に配られました。小笠原丸が硫黄島を1周し終わって北上して島を離れる直前に行わる献花は間もなくです。