硫黄島の大坂山壕からの出土物が、いくつも並んでいる壕の入り口の中の一つの前に並べられて展示されていました。この壕は、去年から見学できるようになったもので、最近、おそらく、昨年か一昨年に斜面の土を大規模に重機で取り除いてから大規模に調査とご遺骨収集作業が行われたところです。かなり高い場所に壕の入り口がいくつも並んであります。その壕の入り口の上には、重機が土をとりのぞく時についた大きなシャベルの歯の跡が残っています。いくつもの入り口には全てテープでふさがれて立入禁止になっていて、中に入って見学できるところはありません。おそらく、これだけ高い位置に入り口があるのですから、入ってすぐに、急に降下しているのではないかと思われます。
これも、大坂山壕の前から海側を撮ったものです。右の手前に白い三角屋根が見えるのが慰霊式典がこの前の日に行われた硫黄島島民平和祈念墓地公園です。その向こう側の海に細く広がる島が監獄岩。真ん中に釜岩砂洲をはさんで、左側には、湾内に停泊している小笠原丸も小さく見えます。
今年の5月16日、硫黄島での二日目は例年どおり、私たちの旧島民のグループは、二班に分かれてそれぞれマイクロバスに乗って、硫黄島内の戦争に関係のある場所などを巡回するという日程でした。その最初に行った場所が、大阪山壕という場所で、二年ほど前に掘削されてご遺骨収集作業が大規模に行われて、昨年から見学ができるようになったという場所でした。昨年に続き、二度目でした。場所は上陸地点の釜岩や監獄岩からも近く、慰霊式典が行われる硫黄島島民平和祈念墓地公園から島の内部に向かって斜面を上がったところです。この写真は大阪山壕前から海側の整地された広場を見る方向を撮ったものです。
今年の6月16日、硫黄島の二日目の朝、宿泊した硫黄島平和祈念会館の前を少しだけ北側に行って東の方向にカメラを向けて硫黄島の対岸の監獄岩を撮った写真です。監獄岩のさらに向こう側に上陸地点の釜岩をはさんで、小笠原丸が停泊している場所があります。
戦前は子供たちの遠泳大会がこの釜岩まで泳ぐコースで実施されて、その時にはサメを追い払うためにコースの両側に舟がならんで櫂で船側を叩いて音を出したという話は、何度か聞いたことがありました。
この前の日曜日に、川崎の日航ホテルであった年に一度の集まり、全国硫黄島島民の会で、隣の席になった戦前硫黄島生まれの方から、「戦前はあそこに本当に監獄があったのを見た覚えがある。」と教えて下さいました。
戦前は子供たちの遠泳大会がこの釜岩まで泳ぐコースで実施されて、その時にはサメを追い払うためにコースの両側に舟がならんで櫂で船側を叩いて音を出したという話は、何度か聞いたことがありました。
この前の日曜日に、川崎の日航ホテルであった年に一度の集まり、全国硫黄島島民の会で、隣の席になった戦前硫黄島生まれの方から、「戦前はあそこに本当に監獄があったのを見た覚えがある。」と教えて下さいました。
これは、硫黄島平和祈念会館の前で島内周回道路を、前に紹介したのとは逆の北東側に向かって上り坂になっている方を撮った写真です。これは二日目の朝に撮ったものですが、この道をこの前の日、一日目の16:00前あたりの時間に、今年も走りました。例年と同じく、1日目の日程が終わって平和祈念会館に戻ったあとの時間に走りました。昨年も同じ道を同じ方向に走ったのですが、昨年は北観音という場所まで走って折り返しましたが、今年は、そこからも数百メートル先まで行って、きつめの坂道になる手前の地点で折り返しました。6キロ強走ったことになると思います。途中で、ランニング中の自衛隊の皆さんとすれ違ったり、追い抜かれたりなどしました。
昨年も思ったのですが、不思議なことに、この道路を走って往復すると、行きは、「坂道が上りが多いので、帰りはくだりが多くて楽だう。」と思いながら走るのですが、折り返した復路でも、「坂道は上りが多いな。」と感じます。かなり不思議なのですが、霊的なもののせいとかではなくて、酷暑できついから、そのように感じてしまうのだろうと思います。
昨年も思ったのですが、不思議なことに、この道路を走って往復すると、行きは、「坂道が上りが多いので、帰りはくだりが多くて楽だう。」と思いながら走るのですが、折り返した復路でも、「坂道は上りが多いな。」と感じます。かなり不思議なのですが、霊的なもののせいとかではなくて、酷暑できついから、そのように感じてしまうのだろうと思います。