「南洋踊り」で踊りの話題を取り上げましたが、
踊りの話となれば、硫黄島にも名物の踊りがあり、
その名も、「いおうとう あわおどり」!
踊り手は、自衛隊の精鋭の方々です。
とにかく、小難しい話は抜きにして、硫黄島の名物です。
話を上陸の時に遡って、
停泊のおがさわら丸からボートで
釜岩のはしけに運んでいただいて、上陸直後の私たちに
自衛隊の方々は、凧揚げ で、歓迎の出迎えをして下さいました。
これは、戦前に硫黄島で、凧揚げが盛んだったからだそうです。
「戦前の写真の上映会」を、帰りのおがさわら丸のサロンで
したいただいた写真の中に
戦前の硫黄島の凧の写真があり、解説もしてもらいましたが、
凧の特徴は、私たちが子供の頃に凧揚げをした、
やっこ凧、字凧(白地に赤の「龍」の字が多かった)などには
細い紙をバランスを取るために尾として一、二本つけましたが、
それがないことです。
長方形の私が知っている凧よりも、かなり縦長の形状で、
尾がなくてもバランスが取れる秘密は、骨の張り方が
特殊だからだそうです。
凧揚げで歓迎をしてくださった自衛隊の皆様、
ありがとうございました。
話を戻して、「精鋭踊り手の皆様による いおうとうあわおどり隊」の
方々は、
私たち旧島民関係者が宿泊している祈念館に、夕食後の、宴たけなわの
時にも、踊りに来てくれました。
二日目の島での日程が終わって、釜岩のはしけから
ボートで送っていただくのを待っている時には、
見送りの「いおうとうあわおどり」(写真)を披露しに来て下さっていました。
精鋭阿波踊り隊の中から、ボートの順番を待っている私たちの列に
近づいてくる二人組みの隊員の方がいました。
一人が凧で、もう一人が、凧を揚げる人の役です!
タイミングが難しい芸だろうな、と思いました。
「揚げ手」役の凧糸を引く仕草に合せて、凧役の人は両手を
動かして舞って揚がっている凧の役をしてくれていました。
見た目には楽しい演出の芸を見せていただきました。
体力自慢の隊員の精鋭メンバーの方でも
あの酷暑の中では、とても大変な運動量だったと思います。
一度にボートに乗れる人数は10人ほど。
3,4艘のボートが往復して、おがさわら丸に
送ってくれるのですが、並んで待つ時間がかなりかかります。
その間ずっと、打楽器演奏と踊りを
炎天下のあの暑さの中、長時間続けていただいたのも、本
当に体力的に大変だったろうなと思います。
ご苦労様でした。
そして、
心のこもった、凧揚げでの出迎えと、
「いおうとう あわおどり」と「人間凧芸」での見送り
本当にありがとうございました。
これからも、数少ないユニークな、
戦後の小笠原村変換後に生まれた、硫黄島名物として
継承していっていただきたいなと思いました。
写真は見送りの時の名物「いおうとう あわおどり」隊の皆様
踊りの話となれば、硫黄島にも名物の踊りがあり、
その名も、「いおうとう あわおどり」!
踊り手は、自衛隊の精鋭の方々です。
とにかく、小難しい話は抜きにして、硫黄島の名物です。
話を上陸の時に遡って、
停泊のおがさわら丸からボートで
釜岩のはしけに運んでいただいて、上陸直後の私たちに
自衛隊の方々は、凧揚げ で、歓迎の出迎えをして下さいました。
これは、戦前に硫黄島で、凧揚げが盛んだったからだそうです。
「戦前の写真の上映会」を、帰りのおがさわら丸のサロンで
したいただいた写真の中に
戦前の硫黄島の凧の写真があり、解説もしてもらいましたが、
凧の特徴は、私たちが子供の頃に凧揚げをした、
やっこ凧、字凧(白地に赤の「龍」の字が多かった)などには
細い紙をバランスを取るために尾として一、二本つけましたが、
それがないことです。
長方形の私が知っている凧よりも、かなり縦長の形状で、
尾がなくてもバランスが取れる秘密は、骨の張り方が
特殊だからだそうです。
凧揚げで歓迎をしてくださった自衛隊の皆様、
ありがとうございました。
話を戻して、「精鋭踊り手の皆様による いおうとうあわおどり隊」の
方々は、
私たち旧島民関係者が宿泊している祈念館に、夕食後の、宴たけなわの
時にも、踊りに来てくれました。
二日目の島での日程が終わって、釜岩のはしけから
ボートで送っていただくのを待っている時には、
見送りの「いおうとうあわおどり」(写真)を披露しに来て下さっていました。
精鋭阿波踊り隊の中から、ボートの順番を待っている私たちの列に
近づいてくる二人組みの隊員の方がいました。
一人が凧で、もう一人が、凧を揚げる人の役です!
タイミングが難しい芸だろうな、と思いました。
「揚げ手」役の凧糸を引く仕草に合せて、凧役の人は両手を
動かして舞って揚がっている凧の役をしてくれていました。
見た目には楽しい演出の芸を見せていただきました。
体力自慢の隊員の精鋭メンバーの方でも
あの酷暑の中では、とても大変な運動量だったと思います。
一度にボートに乗れる人数は10人ほど。
3,4艘のボートが往復して、おがさわら丸に
送ってくれるのですが、並んで待つ時間がかなりかかります。
その間ずっと、打楽器演奏と踊りを
炎天下のあの暑さの中、長時間続けていただいたのも、本
当に体力的に大変だったろうなと思います。
ご苦労様でした。
そして、
心のこもった、凧揚げでの出迎えと、
「いおうとう あわおどり」と「人間凧芸」での見送り
本当にありがとうございました。
これからも、数少ないユニークな、
戦後の小笠原村変換後に生まれた、硫黄島名物として
継承していっていただきたいなと思いました。
写真は見送りの時の名物「いおうとう あわおどり」隊の皆様