OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

「踊り」といえば、こちらも名物!、、

2007年08月05日 | 硫黄島・小笠原村
「南洋踊り」で踊りの話題を取り上げましたが、
踊りの話となれば、硫黄島にも名物の踊りがあり、

その名も、「いおうとう あわおどり」!
踊り手は、自衛隊の精鋭の方々です。

とにかく、小難しい話は抜きにして、硫黄島の名物です。


話を上陸の時に遡って、
停泊のおがさわら丸からボートで
釜岩のはしけに運んでいただいて、上陸直後の私たちに
自衛隊の方々は、凧揚げ で、歓迎の出迎えをして下さいました。

これは、戦前に硫黄島で、凧揚げが盛んだったからだそうです。

「戦前の写真の上映会」を、帰りのおがさわら丸のサロンで
したいただいた写真の中に
戦前の硫黄島の凧の写真があり、解説もしてもらいましたが、

凧の特徴は、私たちが子供の頃に凧揚げをした、
やっこ凧、字凧(白地に赤の「龍」の字が多かった)などには
細い紙をバランスを取るために尾として一、二本つけましたが、
それがないことです。

長方形の私が知っている凧よりも、かなり縦長の形状で、
尾がなくてもバランスが取れる秘密は、骨の張り方が
特殊だからだそうです。

凧揚げで歓迎をしてくださった自衛隊の皆様、
ありがとうございました。


話を戻して、「精鋭踊り手の皆様による いおうとうあわおどり隊」の
方々は、
私たち旧島民関係者が宿泊している祈念館に、夕食後の、宴たけなわの
時にも、踊りに来てくれました。

二日目の島での日程が終わって、釜岩のはしけから
ボートで送っていただくのを待っている時には、
見送りの「いおうとうあわおどり」(写真)を披露しに来て下さっていました。

精鋭阿波踊り隊の中から、ボートの順番を待っている私たちの列に
近づいてくる二人組みの隊員の方がいました。

一人が凧で、もう一人が、凧を揚げる人の役です!
タイミングが難しい芸だろうな、と思いました。

「揚げ手」役の凧糸を引く仕草に合せて、凧役の人は両手を
動かして舞って揚がっている凧の役をしてくれていました。
見た目には楽しい演出の芸を見せていただきました。
体力自慢の隊員の精鋭メンバーの方でも
あの酷暑の中では、とても大変な運動量だったと思います。

一度にボートに乗れる人数は10人ほど。
3,4艘のボートが往復して、おがさわら丸に
送ってくれるのですが、並んで待つ時間がかなりかかります。
その間ずっと、打楽器演奏と踊りを
炎天下のあの暑さの中、長時間続けていただいたのも、本
当に体力的に大変だったろうなと思います。
ご苦労様でした。

そして、

心のこもった、凧揚げでの出迎えと、
「いおうとう あわおどり」と「人間凧芸」での見送り
本当にありがとうございました。

これからも、数少ないユニークな、
戦後の小笠原村変換後に生まれた、硫黄島名物として
継承していっていただきたいなと思いました。

写真は見送りの時の名物「いおうとう あわおどり」隊の皆様
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NHKのドキュメンタリーの再放送時間が新潟県中越沖地震のニュースで延期になっていました。

2007年08月05日 | 硫黄島・小笠原村
昨年の放送で衝撃を受けたドキュメンタリー番組が再放送されます。予定されていた時間に「新潟県中越沖地震 関連ニュース」があったために延期されていました。

「どんな戦争だったのか」について、昨年この番組を見て初めて知ったことが多かったので、再放送を待ち遠しく思っていました。多くの方々に見て欲しい番組です。

NHKの番組紹介のULR。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/070716.html

「2007年8月5日(日) 午後11時40分~0時35分
総合テレビ

第33回 放送文化基金賞
テレビドキュメンタリー番組部門 本賞受賞
アンコール放送 硫黄島 玉砕戦 
~生還者61年目の証言~」


母が硫黄島生まれですが、
父は新潟県柏崎出身です。父の姉夫婦が柏崎市在住です。
被災なさった方も多かった大きな地震のニュースで、
硫黄島戦争のドキュメンタリー番組の再放送が延期されていました。

伯母夫婦に怪我や家に住めないという被害はありませんでしたが、
ご高齢の方々に犠牲者が集中してしまい、
(硫黄島の旧島民の大きな問題が、戦前に在住の旧島民の高齢化です。)
多くの方が被害に遭われた大きな災害でした。
被災者の方々に心からお見舞い申し上げます。

「新潟県中越大震災義援金について」のURL。
http://www.pref.niigata.jp/suitou/info_saigai_2.html


写真は、多くのウェブサイトなどでにも載せられている、
摺鉢山山頂の米軍の記念碑(今年の撮影)です。
左端に、小さく、釜岩近くに停泊のおがさわら丸が見えます。

(2008年6月8日に、この記事に掲載している写真を変更しました。
昨年撮影した、地下の壕の地上への小さな開口部 です。)
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どうして続けて録画時間切れ?? 南洋踊り(4)

2007年08月05日 | 硫黄島・小笠原村
今年6月の行きと帰りに父島に寄りながらの硫黄島訪問の中で、
忘れ物、油断してのミスによる大打撃が三つありました。

(1)デジカメのメモリー容量が小さいSDカードしか持って行かなかったために、して、硫黄島1日目の写真撮影で容量がいっぱいになってしまいました。
不要なもの選択消去して、次の日に何枚か撮りましたが、十分な枚数の撮影
ができませんでした。

(2)DVDビデオカメラを持参していました。
デジカメの容量不足に気がついた時に、「ビデオの静止画モードで撮ろう。」と
思って、ちょうどビデオ撮影終了したDVDディスクを取り出して、新しいのに
変えようと思って、カバンを探しましたが、ありません。
あと2枚持ってきていたDVDディスクを、おがさわら丸に残した荷物の中に置いてきたまま、硫黄島に上陸してしまっていました。硫黄島の二日目はビデオは全然撮れませんでした。

(3)携帯の電波が入る貴重な時間が父島に寄っている時間でした。行きの父島では、携帯に仕事の用事の電話がかかってきたりと、有効にその時間を使いましたが、帰りの父島には、今度は、携帯をおがさわら丸の荷物の中に置いてきてしまっていました。


帰りは、朝早くに父島に着いて、夕方の出航までが自由に過ごせる時間でした。行きの父島の時に、硫黄島旧島民先輩の方々が企画して予約を入れて下さった「南島に行く半日ツアーに参加」の仲間に入れさせていただくことにしていました。


硫黄島での二日目の様子はビデオDVDディスクが無く撮影できませんでしたが、おがさわら丸に戻ると急いで、部屋の荷物からD探して、ビデオカメラにセット。
硫黄島との別れに、日没の時間に合わせて島を一周するのをビデオ、静止画モード(以前の記事につけた写真など)で撮影をしました。

1時間をかけて硫黄島を1周してくれました。太平洋に太陽が沈む瞬間、拡大をすると、旧島民墓地公園、宿泊した記念館、天山慰霊碑、自衛隊の施設なども撮影できましたので、たっぷりDVDディスク1枚(両面でビデオで60分)を使い切りました。

帰りの父島の日には、南島へのツアー。南島も本当にきれいな場所で、イルカを追跡、他のダイビング・ポイントへの移動などもコースにありましたので、撮影ポイントがいっぱいありました。そのツアーでDVDディスク1枚を使い切りました。持ってきているDVDディスクの残りはあと1枚です。

南島ツアーから戻って、いよいよ父島から竹芝に向けての出航の集合点呼までの時間は1時間ほどでした。その時間は、父島でおみやげを買ったり、あわただしく過ごしました。父島から帰るおがさわら丸に乗船の準備では、グループごとに点呼があり、乗船券を渡してもらって、いよいよ順番に乗船開始です。

「何かをなさってくれようとしているグループの方々」がるのには気がついていましたが、
「あの、ずっと耳に残っていたメロディー、南洋踊りだ!」と、演奏と踊りが始まって気がついたのは、ちょうど、私が船に乗り込む時でした。

デッキで、DVDディスクを入れ替えて、急いで撮影を再開すれば、南洋踊りを、今度こそは、撮影して残すことができたはずでした。

ところが、「大打撃(3)携帯を船に置き忘れ」をしていました。硫黄島から帰り組の荷物は、まとめて、ある船室に預かってもらっていました。そこの荷物から携帯を出さないと、、と焦るのですが、まだ、後から乗船の方が続いているので、船員の方にお願いしましたが、「全員乗船が終わるまで、荷物預かった船室は開けられない。」ということでした。

父島のFOMAの電波が入る圏外にでてしまうと、今度は八丈島通過で圏内に入るまで、メールの確認もできません。発信したいメールも何通かありました!

「焦っても乗船が終わらないと携帯の入った荷物は出せない。」と諦めて、
デッキに出て、ビデオのDVDディスクを入れ替えて、南洋踊りの皆様を撮影しようと、、

その時にちょうど、「南洋踊り」のメロディーがやんで、ご挨拶の言葉がアナウンスされました。 「もう、ワン・コーラス、歌と踊りを続けてくれないだろうか。}と思いましたが、デッキから叫んでお願いするわけにも行きません。

10数年前には、わずかし録画できなかった、「南洋踊り」、、。今回は全く撮影ができませんでした。 「また、録画できなかった。」と、呆然としてしまいました。

あの、すばらしい曲と踊りをビデオに残せなかったことは、痛恨!でしたが、

今回も録画できなかったことは、「来年も来たら、南洋踊りで見送りがあるから、
カメラと媒体の準備万端で乗船すれば、録画できる。」というメッセージだと、
受け取ろう、と思いました。

来年もできる限り、父島に行きと帰りに寄ることができる、硫黄島墓参帰島に参加したいと思いました。

DVDにして発売していただければ、購入させていただきたいと思うぐらい素晴らしい曲と踊りです。硫黄島にも繁殖していたタマナの木で作られているカカ(いくらぐらいする打楽器なのでしょうか?)も買いたいです。

写真は、この「ビデオDVDディスクいっぱいで録画できず事件」にも、関係がある、南島ツアーでビデオカメラ静止モードで撮影した写真です。
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