前回紹介した写真と同じ場所を、もっとズームして撮った写真です。小笠原丸の停泊している場所の向かい側の湾の付け根の場所にあるのは、コンクリート船が沈められた沈船群です。この沈船群もかなりの部分が隆起によって海上に現れています。
昨年の6月に行った時の硫黄島の写真の紹介を続けております。これも、摺鉢山の山頂からの写真です。硫黄島の北西側の海岸線の釜岩(戦前は沖合の小島でした。)が隆起で地続きになって湾になった辺りを撮ったものです。湾内には、私たちを運んでくれる小笠原丸が停泊しています。
釜岩の地続きの部分の後ろ側に見えるのが監獄岩です。戦前は、生徒たちによる遠泳大会が監獄岩までというコースで実施されていたそうです。
釜岩の地続きの部分の後ろ側に見えるのが監獄岩です。戦前は、生徒たちによる遠泳大会が監獄岩までというコースで実施されていたそうです。
クリント・イーストウッド監督で映画化されて有名になった、「父親たちの星条旗」の著者で、Flagraisersの一人で小説、映画の主人公であるジョン・ブラッドリーの息子のジェイムズ・ブラッドリーが硫黄島の摺鉢山を訪問して、父の名を刻んで残した石版の写真です。星条旗が掲げられたと言われる場所のすぐ近くにあります。
硫黄島の摺鉢山の山頂は、上陸した米軍がここに星条旗を掲げたことでも有名で、ワシントンの巨大なモニュメントや、クリント・イーストウッド監督の映画でもよく知られています。米軍にとっても、この場所は、とても重要な戦争の記念の場所ということで、ここにも米軍の碑があります。その碑のすぐ前に、二本の細い柱があって、そこにはこの場所を戦後になって訪れた多くの米軍関係者たちが、ドッグタグを下げています。硫黄島が日本軍のみならず米軍にとっても重要な場所であり続けていることを示しています。
硫黄島の摺鉢山の山頂にはいくつもの碑がありますが、その中の、第一御盾特別攻撃隊と第二御盾特別攻撃隊の碑です。特攻隊の出撃と言えば鹿児島などの九州の基地が有名ですぐに思い浮かびますが、あまり知られていないここ硫黄島からも特攻隊の出撃がありました。
前回に続けて、摺鉢山の山頂からの南海岸の写真で、二ツ根岩とその向かいのもうすぐ陸続きになりそうな小さな海中から出た岩の部分をズームして撮った写真です。二ツ根岩も戦前は海中から頭を出す岩であったということですから、かなりの広さにわたって隆起により地上に出たことが分かります。
硫黄島の南西端にある摺鉢山の山頂から、さらに南西側を撮ったものです。何年か前までは、この先の砦のようなコンクリートがあるもっと先まで行けたのですが、今では、足元が危険ということで立ち入りできなくなっています。