9月9日の川崎での「集い」の冒頭で、
来年からは「関係者の集い」ではなく、「旧島民の集い」に
名称変更されると発表されました。
「呼称」へのこだわり、が伝わる発表だと感じました。
「 「いおうじま」を「いおうとう」という戦前の呼称に 」
と働きかけ続けた結果、
6月の墓参帰島から、おがさわら丸が東京の竹芝に着く日に
「念願だった いおうとう への呼称変更が発表」が実現しました。
「集い」の幹事の方々が協議して「旧島民」という呼称への
統一を決めて下さったのは嬉しいことだと思いました。
私自身も、このブログでの書き方で、自分のことを
どう表現するべきか迷うことが多くて、まどろっこしい思いを
してきておりました。
「旧島民関係者」と言ってみたり、「戦前在住の旧島民の二世」と
言ったり。
戦前に住んでいた島民の本土への疎開引き揚げから
20年ほど経ってから生まれたので、「旧島民」の定義が
「住んでたことがある人」であれば、自分のことを
「旧島民」には入らないと思って、「関係者」を付けたりしていました。
「集い」での 来年からの呼称変更の発表は、
戦前に在住だった正真正銘旧島民の高齢化の中で、
その子、孫の世代が、
「戦前に人が住んでいた島であったこと」を風化させないために
集まったり活動を継続したりする重要性が増す中で、
「戦後生まれの自分たちを今後、どう呼んでいくか」を
議論していただいた結果、
「 「関係者」などとつけずに、自分たちで集まる会の名前は
シンプルにに「旧島民」としよう。 」と決めて下さったのだと
思います。
小笠原村主催の年に1回の墓参では、
我々「旧島民」以外にも、硫黄島激戦で
戦士なさった方々の遺族の方々(「硫黄島協会」を
組織して活動なさっています。
http://www.iwo-jima.org/ )や、
父島、母島からの、中学生、
職員やお手伝いの方々なども参加下さっています。
乗船のための点呼の時などに、
「旧島民とその関係の子、孫などの親戚や、姻戚の人は
こちらに集合」などと、面倒な呼び方はされずに
「旧島民は、、」と呼ばれます。
戦前に生まれて島に住んでいたのではありませんが、
私も、これからは、このブログの中でも、
「旧島民」を使うようにいたします。
「旧島民」の活動を、年数を経て
ますます盛んにしていく必要があると思います。
映画などでブームになった後だけになおさらです。
ブームというものは一過性で去れば語られなくなります。
豊かな島民の生活があった島であった記憶を風化させないように
することが重要だと思っております。
写真は今年6月訪問、二日目に、飛行機利用トーチカ付近から
撮影した摺鉢山全景です。
来年からは「関係者の集い」ではなく、「旧島民の集い」に
名称変更されると発表されました。
「呼称」へのこだわり、が伝わる発表だと感じました。
「 「いおうじま」を「いおうとう」という戦前の呼称に 」
と働きかけ続けた結果、
6月の墓参帰島から、おがさわら丸が東京の竹芝に着く日に
「念願だった いおうとう への呼称変更が発表」が実現しました。
「集い」の幹事の方々が協議して「旧島民」という呼称への
統一を決めて下さったのは嬉しいことだと思いました。
私自身も、このブログでの書き方で、自分のことを
どう表現するべきか迷うことが多くて、まどろっこしい思いを
してきておりました。
「旧島民関係者」と言ってみたり、「戦前在住の旧島民の二世」と
言ったり。
戦前に住んでいた島民の本土への疎開引き揚げから
20年ほど経ってから生まれたので、「旧島民」の定義が
「住んでたことがある人」であれば、自分のことを
「旧島民」には入らないと思って、「関係者」を付けたりしていました。
「集い」での 来年からの呼称変更の発表は、
戦前に在住だった正真正銘旧島民の高齢化の中で、
その子、孫の世代が、
「戦前に人が住んでいた島であったこと」を風化させないために
集まったり活動を継続したりする重要性が増す中で、
「戦後生まれの自分たちを今後、どう呼んでいくか」を
議論していただいた結果、
「 「関係者」などとつけずに、自分たちで集まる会の名前は
シンプルにに「旧島民」としよう。 」と決めて下さったのだと
思います。
小笠原村主催の年に1回の墓参では、
我々「旧島民」以外にも、硫黄島激戦で
戦士なさった方々の遺族の方々(「硫黄島協会」を
組織して活動なさっています。
http://www.iwo-jima.org/ )や、
父島、母島からの、中学生、
職員やお手伝いの方々なども参加下さっています。
乗船のための点呼の時などに、
「旧島民とその関係の子、孫などの親戚や、姻戚の人は
こちらに集合」などと、面倒な呼び方はされずに
「旧島民は、、」と呼ばれます。
戦前に生まれて島に住んでいたのではありませんが、
私も、これからは、このブログの中でも、
「旧島民」を使うようにいたします。
「旧島民」の活動を、年数を経て
ますます盛んにしていく必要があると思います。
映画などでブームになった後だけになおさらです。
ブームというものは一過性で去れば語られなくなります。
豊かな島民の生活があった島であった記憶を風化させないように
することが重要だと思っております。
写真は今年6月訪問、二日目に、飛行機利用トーチカ付近から
撮影した摺鉢山全景です。